0距離キングダム

節トキ

【距離:異世界別世界】遠隔魔法で視認できるレベル

1.ラブレター フロム 彼方

 アインス・エスト・レガリアという名のパッパラパーのウッキッキーへ



 以下、あたしの言い分。


 頭は悪いし、女癖は悪いし、何より性格が悪い。飽きっぽいし、態度はでかいし、そのくせ猫被るのは上手い。食い意地は張ってるし、寝汚いし、だらしないし、下品だし、幼稚だし、悪いところを挙げりゃキリがない。いいところなんか、ちっともございません。

 お馬鹿な頭でも、もうおわかりになりましたね?

 あたしはお前が嫌いです。嫌いなんてもんじゃない、大大大大大嫌いです。

 一緒に暮らすなんて、絶対に無理です。ありえません。とんでもございません。

 ホームレスにでもなって、人生の厳しさってのを学んだらいいと思います。

 そうしろバーカ。こっち来んなバーカバーカ。小汚い猿の世話なんざするもんかバーカバーカバーカ。


 以上。



 清く正しく美しく気高き淑女、エイル・クライゼより全力の呪いを込めて




 あたしの本音の限りを尽くしに尽くした素敵なお手紙は、そろそろ届いただろうか――――遠い遠い異国の地に暮らす、バカの上にバカをつけたような大バカ野郎の元に。


 わざわざ高い金出して、最速達にしてやったんだ。届いてなきゃ困る。


 しかし、手紙を出して、もう一週間になる。

 今日あたり相手から文句の一つも言ってくるかと身構えていたのに、何の反応もなかったのがちょっと……いや、かなり気がかりだ。いやいや、もしかしたらついに諦めてくれたのかもしれない。迷惑だって、はっきりちゃんと言われてやっと気付いたのかもしれない。あるな、バカだから。


 配達事故で届いていないという可能性は考えないことにして、超前向きな方向で自分を納得させると、あたしは読んでいた本を閉じ、眼鏡を外して、ベッドに身を横たえた。



 ――――ところが、それから間もなくである。



 閉じていた瞼を突き抜けて、凄まじい光が飛び込んできた。


 何事かと驚いて、跳ね起きてみれば――ベッドの真上に、人らしきものが浮かんでいるじゃないか!



「ぎぃやぁぁ! 出たあ!!」



 情けない声を上げて、あたしはベッドから転がり落ちた。


 オバケだけは大の苦手なの!

 ええ年ぶっこいてようと、怖いものは怖いの!

 三十路間近でも、無理なものは無理なの!


 光に包まれた人影は、恐怖のあまり身動きできなくなっているあたしにゆっくり近付いてくる。


 それにつれ、ぼやけた相手の姿が徐々に鮮明になってきた。


 細身の華奢な身体、毛先が遊ぶ柔らかそうな髪、きれいなカーブを描くフェイスライン、そして大きなアーモンド型の目に尖った耳。



 そいつの正体を理解した瞬間、あたしは叫んだ!



「お、おま……お前、アインス……!?」



 手紙の宛名を呼ぶと、バカ野郎は悪戯を企むような見慣れた笑みをくちびるに浮かべ、一言告げた。



『やだプー』



 ムカつくことこの上ない台詞を残して、奴の姿は煙のように消えた。



 しばし固まっていたあたしだったが、すぐに怒りが湧いてきた。


 あんの野郎……いつの間に遠隔魔法なんざ習得しやがったんだ!?

 しかも異世界ブチ越えの超遠隔とか……MP消費量パネェだろうがよ!

 ご大層な魔法をいちいちくっだらねえことに使いやがって!

 素直に電話すりゃいいものを、電話代ケチりくさりよって!


 言いたいことだけ言い逃げして、あたしをムカつかせるためだけにこんな汚い手を使ったに違いない!


 嫌がらせにもほどがあんだろ、クッソガキめ!!


 あまりに腹が立って、あたしは即効電話し…………ようとして、やめた。声も聞きたくなかったから手紙にしたのに、ここで挑発に乗ったら相手の思うツボだ。大人レディは、鼻タレ小僧と同じ土俵に立っちゃいけないよね。


 それに電話代、クソ高いし。今月は友達の結婚式もあったから、ちょっとお財布厳しいし。もしかしたら二次会で出会った人からデートのお誘いあるかもだし。連絡先どころか名前も聞かれなかったけど。


 何とか気持ちを落ち着かせたものの、効果ありすぎたのか、今度は虚しい気持ちになってきた……何これ、軽く辛い。


 あたしは再びベッドに転がり、ぐっと目を閉じた。


 久々に目にもウザい奴の姿を見たせいで、とんでもなく精神的に疲労したんだろう――――おかげさまですぐに睡魔に誘われ、難なく夢の世界へと現実逃避の旅に出ることができた。




『お〜らっしゃ〜い!!』


 威勢の良い音声が、寝室に轟く。


『らっしゃいらっしゃい、朝だぜらっしゃい! らっしゃいらっしゃい、朝だぜらっしゃい! らっしゃいらっしゃい、朝だぜらっしゃい!』


 あたしは手を伸ばし、ベッドサイドテーブルから雄叫びを上げているミニチュアマッチョマンの頭を叩いた。


『ヘイ、ナイス早起き!』


 いつもの決め台詞を吐いて、マッチョマンが黙る。五年くらい前に友達がプレゼントしてくれたイカす目覚まし時計は、毎日シバき倒されているのに相変わらず元気いっぱいだ。


 クソふざけた睡眠妨害があったせいか、ちょっと気分が優れない気もしたけれど、カーテンを開けて朝陽を全身に浴びると、すぐに調子が戻ってきた。毎朝の日光浴は、あたしにとって魂のリセットのようなものだ。


 お次は、念入りなストレッチ。


 気怠い肉体の重みが、緩やかに熱を帯びて戦闘体勢に入っていく感覚は、何度経験してワクワクする。心の血行までほぐれていくみたいで、本当に心地良い。


 それからジャージに着替え、眼鏡をかけて髪をしっかりまとめる。これが意外とめんどくさい。元々ハリガネみたいに真っ直ぐな髪質なのに加えて、最近サイドの髪が邪魔で適当にシャギーを入れちゃったせいで、なかなかまとまらないのだ。


 イライラしながらピンを使って何とかまとめ上げたら、鏡で最終チェック。

 胸上まである真っ黒な髪は、頭の後ろにきっちり収納されている。後れ毛が多少こぼれてるけど、細けぇこたぁいいんだよ。


 ぐっと眉をひそめてみれば、鏡の向こうから肉の薄い細面が睨み返す。眼鏡のフレームに縁取られた蒼い目は刃物みたいに鋭利で、自分の顔面パーツの中でも一番のコンプレックスだ。

 こいつのせいで、黙っているだけなのに怒ってると勘違いされることが多い。優しい印象に見えるって宣伝文句に躍らされてオーバルタイプに変えたのに、効果はまるでなかった。


 自分の顔のイケてなさに嘆くのは後にするとして、あたしは靴を履いて施錠すると、階段を駆け下り、ついに夜と朝の狭間へと飛び出した。



 地上に降り立てば、冷えた清々しい空気が出迎えてくれる。それを体中に染み渡らせるように思い切り深呼吸してから、あたしは走り始めた。

 赤みを帯びた紫色の空を眺めて、夜明けがずいぶん早くなったことを、改めて実感しながら。


 早朝一時間のランニングは、昔からのあたしの日課……というより儀式……というより趣味だ。


 走ることだけが、あたしの今の唯一の楽しみ――なんだけど、二十代も後半に差し掛かる微妙なお年頃としては、このままでいいのかと不安になる気持ちも頭をもたげてくる。


 周りは結婚やら出産やら、女としての幸せと呼ばれる世界へふわふわ飛び立っていく中、取り残された感がないわけではないわけで…………ああ、どうでもいいことを考えてたら、いつもより遅れてる。心拍数も乱れてるじゃないか。


 自分自身に舌打ちを一つ落としてから、あたしはそれを合図に、ゆっくりと身体に負担がかからないようにペースを上げた。


 流れる景色を、皮膚に触れる風を、滲む汗を、高鳴る鼓動を、上気していく呼吸を心身でしっかりと感じてただ走るという行為に没頭していると、前方に折り返し地点となる公園が見えてきた。


 その手前で、あたしはいつも速度を落とす。


 何のことはない、公園へと繋がる土手から見る風景が、格別にきれいだからだ。


 朝日の照り返しに輝く川の水面、金色に揺らめくさざ波、柔らかに揺れる名も知らぬ草花――ここマーブルと呼ばれる地域ならではの美しい景色は、今日も変わらずあたしを迎えてくれた。実家の近所にも似た場所があって、それを思い出させてくれる、お気に入りのポイントだ。


 夜明けが早まったということは、これからはもう少し早起きしなければこの景色は見られないわけか。

 まあ一時間は無理だとしても三十分くらいなら、いけるかな……などと考えながら癒しの空間を通り過ぎ、あたしは公園に向かって、またペースを上げた。



 うまくペースを取り戻し、いつも通りの時間にマンションの部屋に戻れば、今度は急いで出勤の準備だ。働かざる者食うべからず、世知辛い世の中なのです。


 疲労した筋肉を和らげるように軽くストレッチしてから、慌ただしくシャワーを浴び、朝食のパンを丸飲みする勢いで貪り食っていると――この時間に珍しく、電話が鳴った。



「はい、エイル・クライゼです」


『あ、エイル? 俺、俺、俺だよ。最高にカッコ良くて最強に優しくて、欠点がないのが欠点のアインス様だ』



 相手の声を聞いた途端、あたしのテンションは垂直降下した。



 もしやのもしやのもしやで三ヶ月前に合コンで連絡先交換した彼かも……な〜んて胸ときめかせて可愛い声作ったのに、激しく損したじゃねえか!


 すぐにでも電話を切りたかったけど、しつこくかけ直してくるならまだしも、昨晩みたいに遠隔魔法で一方的にムカつかされたくなかったから、あたしは嫌々の渋々で用件を聞いてやった。


「何すか? あたし、チョ〜ォウ忙しいんですけどぉ?」


『今、マーブル区画総合チェックポイント着いた。迎えに来て』


 それだけ言って、相手は電話を切った。



 あたしは通話の途絶えた受話器を手にしたまま、氷像のように凍り付いてしまった。



 嘘だろ?


 アインスがこのマジナにやって来るのは、まだ一ヵ月くらい先だったはずだ。ありえない。

 こんなの、あの馬鹿の悪い冗談に決まってる。うん、そうだ。そうに違いない。


 ですよねー、あいつは最低最悪最凶の三拍子揃った、とことんバカですもんねー。


 受話器を置いて落ち着きを戻し、コーヒーでも飲もうとキッチンに向かったところで、再び電話が鳴り響いた。慌ててリビングに駆け戻る。


 アインスだったら、今度の今度こそ電話番号変えてやる!



 ……と勢い込んで、電話に出てみたらば。



『エイル、私よ。まだ出勤してなかったのね。間に合って良かったわ』



「…………か、母さん? 久々だけど、どうしたの……?」



 滅多に連絡を寄越さない母からの電話なんて、死亡フラグすぎて嫌な予感しかしない。自然と声も震える。



 ところが母さんは、そんなあたしとは対照的に、嬉しそうに、それはもう楽しそうにまくしたてた。



『すっごく良いニュース! アインスが今日、マギアからマジナに渡界するんだって!! 今朝早くに手紙が届いて、今知ったのよ〜』



「…………あ、そっすか。じゃ、あたしはとんでもなく忙しいので」



『待ちな、エイル』



 母さんの口調が、ガラリと変わる。


 目の前に本人がいるわけではないのに、あたしは嵐の気配を敏感に察知して直立不動になった。



『アインスの面倒、見てくれるんだよねえ?』



 脅しの効いた強い声色に屈伏して頷きそうになったけど……負けられない!


 今の悠々自適な生活がぶち壊されるのは、絶対に嫌だ!!



「無理無理無理無理! 実家がダメなら母さんとこで面倒見てよ! 頼むから、あたしをあのバカと同じ空間に閉じ込めないで……ほんと、お願いだからぁぁぁぁ…………」



 こうなったらもう、泣き落とししかない。


 あたしは神にも祈る気持ちで、受話器を握り締めた。



『それこそ無理だわ。アインス、そっちで良さそうな仕事決めちゃったらしいし』


「は!? あたし、そんなの聞いてないよ!」


『あらまあ、聞いてなかったの。でも今、聞いたよね? ちゃんと聞いたんだから、何の問題ないよね? 実家を改装するって案もあったんだけど急に予定早まっちゃったし、あたしのところじゃ狭いし、きっと気を遣わせちゃうだろうし……まあ、仕事が決まったんなら、もう考えるまでもないわね。あの子なら、きっとうまくやれるでしょ。あ、週末にでも顔見せに来なさいよ。じゃ、頼んだから』


 アインスと同じく、言いたいことだけ言い尽くすと母さんは電話を切ってしまった。


「ちょ、待って! 母さん!? 母さぁぁぁん!!」


 受話器に向かって呼べど叫べど、当たり前のように返事はなく――――最早あたしには、蒼白してただただ立ち尽くすことしかできなかった。

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