第15話「追憶にまどろむ」
夢を、見ていた。
遠い日の夢、幼いころの追憶。
セピア色の世界では、小さなラルスは全てを見上げる存在だった。上しか見えず、前しか向いていない。その視線の先にはいつも、父がいた。
剣と学問とを教えてくれた、父。
あの日のままの姿で、父がなにかを言っている。
「父、さん……なにを。俺に、なにを? 会ったんだ、一緒だよ……姉、さん、が」
自分の声だけが反響する世界が、小さく狭く閉じてゆく。
現実へと覚醒したラルスは、見開く目でぼんやりと見渡す。
次第に鮮明になってゆく視界の真ん中に、じっとラルスを見詰める双眸だけが輝いていた。暗い中で光る、それは見下ろすヨアンの眼差しだった。
「あ、あれ? そっか、俺は寝てたのか……夢、かあ。って、ヨアンさん!?」
「ラルス、起きた。荷物、降ろす」
「ああ、もう目的地の村についたんですね。えっと」
「ここ、モルタナ村。仕事、始まる。……明日から」
それだけ言って、間近に顔を寄せていたヨアンが身を起こす。
その背後では、既に荷物を降ろし始めたバルクが笑っていた。
「よぉ、ボウズ! お目覚めかい? ついでだ、そのお姫様も起こしてくれや」
「お、おはようございます、バルクさん。うわっ、日が暮れてる、って……えええーっ!?」
「珍しいよなあ、隊長がそんなとこ見せるなんてよ。いつも肩肘張って、完璧な騎士様をやってるからな。お姉ちゃんを起こしてやんな、腹違いの弟クン」
ラルスは今、肩に温かな重みを感じていた。
それは、隣でラルスに寄りかかって眠るリンナだった。
安らかな寝息をたてるリンナに、思わずラルスは固まってしまう。
ドキリとする程に、美しい。
隊長だとか姉だとか、彼女との関係性を繋ぐ言葉が、どんどん無力化されてゆく。気付けばラルスは、ゴクリと唾を飲み下していた。不思議な乾きが口の中に広がってしまう。
そんなラルスをバルクが笑い、面白くなさそうにヨアンが
「えっと、隊長……リンナ隊長。目的地に、モルタナ村についたそうです。起きてくださいよ、リンナ隊長」
「ん……ラルス。もっと、こっちに。寒いです、から」
確かに、春とはいえ日が暮れれば底冷えする。
そんな中でリンナは、寝ぼけたままラルスの首に抱きついてきた。
鼻孔をくすぐる甘い匂いが、あっという間にラルスの中に満ちる。
そして、バルクはニヤニヤと締まらない笑みで行ってしまった。ヨアンはますます面白くなさそうで、その訳がラルスにはわからない。彼女もフラットな表情をことさら平坦な無感情にして、外へと去ってゆく。
「リンナ隊長! 起きてください、朝で……あ、いや、夜だけど。起きてくださいよ!」
「ふふ……ラルスは、ふかふかのもこもこですね。私のかわいいラルス」
「やっ、やめてくださいよ! 俺はあの、ヘンテコな
「ラルスは、狸じゃなくて、
「どっちですか、どれですか。もぉ、しょうがないな。あっ、カルカさん! ちょっと、助けてくださいよ」
荷物を降ろしにきたカルカは、眼鏡の奥の目を
最後に一度だけ、カルカはラルスを振り返る。
「……禁断の
「ちょっと、カルカさん!」
「抱き上げて運べばいいじゃないですか。お姫様を守る騎士みたいに」
「みたいにもなにも、俺は騎士で、リンナ隊長だって。……って、行っちゃったよ。あーもぉ、アゲてくしかないか!」
未だにラルスの首に両腕を回して、リンナは眠りこけている。
そんな彼女の小柄な痩身を、ラルスは両手で持ち上げようとした。が、重すぎはしないものの、思ったよりは重い。
「よっ、ととと……アガ、らない? っと! ふう、意外と重いな」
小さく
周囲ではもう、並ぶ家々に明かりが灯っていた。小さなランプの光が、どの窓にも満ちている。モルタナ村は、ラルスの故郷よりは少し広くて大きい。今いる広場は、井戸を中心に商店が
両手が塞がった状態で、さてどうするかとラルスが歩き始めた、その時だった。
不意に、聞き慣れた声が響いた。
「おづかれさまだあ、騎士様。宿さ用意してるんで、今夜はゆっくり休んで……あんれ! おめさ、ラルスでねーか!」
振り返ると、そこには意外な少女の姿があった。
「あ、あれ……ヌイさん? どうしてここに!?」
「モルタナ村ぁ、オラの故郷だ! ……その、ちょっと、色々あっただよ。
「そうなんですか」
「オラの家は宿屋なんだあ。王都から騎士様が来るって聞いてたけんど、まさかラルスだったとは驚いただよ」
「俺もびっくりです」
「エヘヘ、なんが物語の騎士様みてえだど? ラルス、よぐ来たなあ。ささ、こっちだ。オラ、おかしいなあ。ラルスさ挨拶しねえで王都を出てきたから、嬉しぐて」
顔をくしゃくしゃにして、ヌイが笑う。
その表情は、出会ったあの朝と同じ笑顔だった。
だが、不思議とラルスには疲れて見える。なにがあったのだろうか? どうして王都から戻ってきたのか? そのことを聞いてみようと思った、その時だった。
「顔がにやけてますよ、少年」
不意に胸の中で声がした。
気付けば、目覚めていたリンナがラルスを見上げていた。彼女の目に映る自分の顔が、はっきりと見える。二つ並んだ黒い瞳に、なんだかしまりのない少年騎士が揺れていた。
「お、起きたんですか? 隊長。ええと、これは」
「私も寝入ってしまったようですね。降ろしてくれますか?」
「ああ、はい! ……あの、さっきのはですね、ヌイさんが」
「この間の居酒屋、
目を
ぬくもりが離れてもまだ、ラルスを
それは、夜風が吹き付ける寒さの中で徐々に霧散してゆく。
急激にリンナとの距離感が離れたような気がして、ラルスは不思議な寂しさを覚えた。
「荷物の方はもう、皆さんで降ろしてくれてますね? では、私達も宿に行きましょう。しばらく、仕事の拠点になりますので。ええと、ヌイさん、でしたね?」
「はいな! 王都から来る騎士様って、あんただったんだなあ。オラも村も、これは安心だあ。本当に困ってたども、よがっただよ」
そういえば、この派遣任務の内容をまだラルスは聞いていなかった。今更な気もするがと思いつつ、ちゃんと確かめておこうと思った、その時。そんなラルスの考えを知ってか知らずか、ヌイがリンナと話し始めた。
「あの
「安心してください、ヌイさん。あとで村長にも挨拶して、すぐにでも仕事を始めたいのですが――」
「まんず、今日は歓迎の
大股でヌイが歩き出す。
続くリンナを追って、すぐに横に並ぶやラルスは声をひそめた。
「任務って、ゴブリン退治ですか? さっき、砦って」
「この村の近く、山中にゴブリンたちの砦があります。そこは今までも何度か様々な騎士団で討伐しているのですが、定期的に別の群れが入ってくるんですね。ゾディアック黒騎士団でも、過去に数回遠征に来ています」
「砦そのものを壊さないと駄目かもしれませんね、それじゃあ」
「そうですね。今回はオフューカス
華の王都で憧れのゾディアック黒騎士団、そんな日常が一変した。あっという間に田舎へ逆戻り、紙切れ一枚で過酷な派遣任務に放り込まれたようだ。
だが、ラルスは腐ってはいなかった。
そんなラルスを横目で一瞥して、リンナは形良い鼻から溜息を零した。
「少年、言うほど容易い任務ではありませんよ。少し、緊張感を持ってください」
「は、はいっ! でも、なんだか嬉しくてつい」
「鼻の下がまだ、伸びっぱなしです。……ああいう娘が好みなんですか?」
「ああいう娘って……?」
リンナの視線の先で、宿屋のドアを開けながらヌイが振り返る。
満面の笑みが、やはりラルスにはどこか
心配になってつい見詰めてしまったが、横からのリンナの言葉が突き刺さる。
「また、デレデレと見て……しまらない顔はよしてください。騎士として恥ずかしくないふるまいを」
「にっ、にやけてなんかいませんよ!」
「そうでしょうか? ……わっ、私は、あのですね、姉として一応」
「俺はただ、その、リンナ隊長が温かくて、いい匂いがして、その、さっき……意外と、重くて」
「……今、なんと言いましたか? 少年、聞き捨てなりません」
小首を傾げるヌイの前で、気付けばラルスは低レベルな会話をさらなる低レベルに
「あのー、その話、長いんだべか? 中さ入ってけろ、な? なあー?」
見かねたヌイが、ガシリ! とラルスの手を握った。リンナが驚きに目を丸くしたが、ラルスは引っ張られるままに宿屋の中へ入る。
多くの村人でごった返している一階は、広い酒場になっていた。
肉の香ばしい匂いが満ちて、
「おお、騎士様が到着しただか!」
「見ろ! ゾディアック黒騎士団のエース、常闇の騎士だべ、ありゃ」
「あったら
ちらりと見れば、村人に囲まれたバルクがもうビールを飲んでいる。その横では、黙々とヨアンが出された料理を片っ端から食べていた。案の定、カルカはまた飲みながらバルクに
既にもう、宴は始まっていた。
そして、
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