第30話


「どうですか?あれからまた夢は見ましたか?」


 いつものように、真四角のテーブルの斜め右から、カウンセラーの宇野真由美が聞いてきた。


「見ました。先生から聞いたからなのかもしれませんが、サリーという人物は、本当は純也だと言っていました。そして、わたしが保育園に通っていた頃に、純也と一緒に行ったんです。そして……」


 わたしは一瞬、あの光景を口にすることを躊躇った。


「過去、有坂さんが保育園生のときの夢を見た、ということですか?」


 わたしが言葉を発せないでいるので、カウンセラーが手助けをしてくれたのだろう。


「そういうことになります」


 流石に、タイムマシンのことなどは言えなかった。


「どんな夢だったのか、話せますか?無理はしなくていいのですよ」


「大丈夫です。担任の先生に怒られていました。怒られて、押し入れに入れられる子供の頃の自分を、純也と園庭から見ていました。わたしは泣き叫んでいました。それは実際にあったことです」


 カウンセラーの宇野は、ふんふんとうなづきながら聞いている。


「知っています。純也から、その話は聞いていますから。マイという緘黙の人格の代わりに、わたしに教えてくれました。マイは、そのときの記憶をずっと引きずったままらしいのです。だけど、マイは幼児ではありません。ハッキリとした年齢はわかりませんが、20代前後だと純也は言っています。マイは、まるで、ずっと押し入れの暗闇の中で、怯え続けているような感じなのだそうです。だから純也は、マイを暗闇から救い出してあげたいと言うのです。それが純也という人格が現れた、一番の理由なのかもしれませんね。たぶん、純也は、有坂さんの内側だけの存在で、みんなを見守る役割りで、別人格として有坂さんが、純也のような男性になって行動するということは、ないのではないかと思うのです。有坂さん自身は、別人格の存在を知らないので、わからないのは当然ですが、有坂さんのお母様からの聞き取りで、有坂さんの行動を何度もお聞きしていましたが、男性のような行動をしていたというのは聞いていません。葉月という攻撃的な女性が現れたときに、少し男っぽいと言われたこともありましたが、純也は怒鳴ったり暴れたりすることはありませんから。お母様は純也の人格は知らなかったと、わたしは思います。お母様には、別人格のことを名前でお知らせすることはしておりません。何か変わったことがあったことだけを、お聞きしていただけですので」


 やはり、わたしの思っていた通り、マイは、ずっとずっと、暗闇の中で苦しんでいるのだ。だから純也は、わたしをあの場所に連れて行ったのだろう。


「純也は、あのときから、わたしに別人格が現れ始めた、みたいなことを言っていました」


「その通りだと思います。有坂さんは、怒られる理由が、自分が悪いからだと思われてしまったのですね。絶対に有坂さんのせいではないのにです。だから有坂さんは、いろいろな別の自分を作り出し、どんな風になれば、怒られたりバカにされたりしない自分になれるのかと思ってしまったのです。葉月、京香、愛子という人格が現れたのは、そのせいです。葉月のように、怒られる前に怒ったり逆ギレすればいいのか、京香のように、恋愛をしていれば、幸せな気分でいられるのではないか、愛子のように、優しい人間でいれば、怒られることもなく、他人と上手くやっていけるのではないかと……」


 今度は、宇野の方が言葉に詰まってしまったようだった。


「だけど、どの人格が出ても、何も変わらなかった、ということなのではないですか?」


 代わりにわたしが、言葉を吐き出した。


「いえ、何も変わらなかったということはなかったと思います。ただ、違う悲しみや苦しみが多くなったのではないかと思います。葉月、京香、愛子の悲しみ苦しみ、それは催眠療法で、いろいろと聞いてきました」



 当然のことだと思った。どんな人格になろうとも、わたしはわたしなのだから。別人格が現れれば、何もかも解決する、などという簡単なことではない。


 優子である、わたし自身、いま、ちゃんとそれを理解できるのに、何故、多重人格者となってしまったのか。


「わたしは別人格が今まで何をしてきたのか知りません。先生、今までの催眠療法で、別人格たちが何を喋ったのか知りたいのですが」


「わたしも、そう考えていました。お母様が亡くなってしまわれて、おひとりになった有坂さんの人格が変わった様子を、わたしに知らせてくださる方がいなくなりましたので。それに催眠療法をするだけではない治療方法を考えていかなくてはなりませんので」

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