其の四 君主、諸侯らとの会議に臨む
イシュナグがギシュタークを叩き起こしている頃、ウームルは飛翔館の地下を目指していた。
木造の飛翔館だが、普段立ち入ることのない地下は違う。
手元のランプの灯りを頼りに暗い螺旋階段を降りる。
さほど、深くはないはずなのに、常に鏡面のように磨き上げられた白い石造りの螺旋階段に、ウームルは底がないのではと錯覚してしまう。
グルグルと暗い螺旋階段を降りるうちに、つい考えてしまう。
これは、罰ではないのか、と。
この先には、目を背け続けている過去が待ち構えているのではないか、と。
自分は、その過去に飲み込まれてしまうのではないか、と。
コツコツ、コツコツ……。
足音が、虚しく響いている。
螺旋階段。手元の頼りないランプ。過去。足音。それらが、ウームルを暗澹たる気分にさせる。
ため息ばかり。
「まったく……」
口から出るのは、ため息ばかり。
さほど長くないはずの螺旋階段を降りきれば、壁際の書棚に囲まれた広間が。
主たるウームルを迎えた広間は、つなぎ目一つない床が穏やかな青白い光を放つ。
「さて……」
広間の中心を囲むように六つの敷物があった。
その中の一つ、翼の文様が織り込まれている敷物の上に、ウームルが胡座をかく。
すると、ボウッと六つのうち、三つの敷物の上に大小の人影が浮かび上がる。長子のオーウェスの呼びかけに白亜宮殿に集った諸侯らだ。
二つの空席は、聖王と、それから人間族の公主。
聖王の席はともかく、この世界を去った人間族の席に、再びつく者が現れる日が来るとは、この時誰も思わなかったに違いない。――それこそ、この世界の裏側で永遠の眠りについていると伝わる創造主でさえ。
「ウームル、参りました」
『遅かったじゃないかい! 妾の可愛い息子は、無事でしょうね?』
眦を吊り上げて声を荒げたのは、獣人族の女王ヒュンデ。
やはり、息子が可愛いのだろうと、ウームルはこっそり口元を緩めた。
「ええ。とても元気にしておりましたよ。イシュナグさまに、とても可愛がられていますよ」
愛らしい女装をしていたと、言えるわけがない。女装を抜きにしても、イシュナグがギシュタークを気に入ってるのは間違いないだろう。
まさか、女装させられたり、女湯で可愛がられていたとは夢にも思わないヒュンデは、あぁと切ない吐息をこぼす。自分を抱いた腕から溢れる豊満な乳房が、なんとも魅力的だが、いちいち目を奪われていては、諸侯などやっていられないだろう。
『そ、そうか。あぁ、妾が代わってやりたいわ。イシュナグさまは、なぜ妾をともにと誘ってくれなかったのかしら。あぁ、イシュナグさまぁ、妾が息子に代わって……』
それはないなと、他の諸侯らが一斉に心の中で首を横に振ったことなど、悩ましげに髪を一筋指に絡めている彼女が気がつくわけもない。
「それで、息子のオーウェスから聞きおよんでいるでしょうが、三日のうちにイシュナグさまを白亜宮殿にお戻りしてもらう方法、何か考えつきましたでしょうか?」
早速、ウームルが本題を切り出すと、諸侯らの顔が曇った。
わずかな沈黙の後に、小人族の君王ニグルスが首を横に振った。
『いや、まったく考えつかん。なにしろ、イシュナグさまを相手にすることは、容易ではないからのう』
四人分のため息が重なる。
すべてのことにおいて、彼らを上回る聖王に力づくでいうことを聞かせるなど、不可能だ。自ら戻ってもらうのが一番なのだが――。
「わたくしも、白亜宮殿に戻るように説得をしましたが、まったく聞き入れてもらえません」
ウームルの手は、知らず知らずのうちに眉間を撫でていた。
四人分のため息が重なる。
巨人族の大王ヴァルバルのどら声が降ってきた。
『ところでウームル。そのリルアとかいう娘は、一体何なのだ。百年前も、それ以前も、イシュナグさまは、ご自身のことはご自身でという主義を頑なに守っておられたはず』
白亜宮殿にいる三人の視線が、ウームルに刺さる。
膝の上で握りしめていた拳をゆっくりと開いて、ウームルは笑った。腹の底を読ませないための、仮面のような笑顔で、口を開いた。
「知りません。リルアなどという娘は、我が一族にはいません。この書庫の記録にもどこにもリルアという名前はありません」
創造主が世界の裏側で眠りについた時より、各種族の頂点に立つ者が記してきた歴史という名の記録。
そのどこにも、リルアという名前はない。――そう、君主のウームルは宣言した。
ヒュンデは、ほぅと目を光らせる。
『ならば、ウームル。一番初めに、死んだとでも言っておけばよかったのではないか』
「今さら、ですよ」
胸にたまった息を、ウームルは全て吐き出した。暗澹たる思いとともに。
本当に、今さらだった。
今さら、リルアという娘が死んでいたと言ったところで、イシュナグがはいそうですかと信じるわけがない。
ウームルは、諸侯として新参者であるが、イシュナグの性格をよく知っている。
知っていたにも関わらず、死んだと適当に答えることができずに、主君に逃げられたのは、失態以外の何物でもない。
最年長のニグルスが、豊かな顎髭を撫でながら、最悪の場合と口を開く。
『最悪の場合、わしらが映像機持ってイシュナグさまのお姿を世界中に魔法道具で晒すしかないのう』
できることなら、避けたい。
諸侯らを思いは言葉にせずとも、ウームルにも伝わった。
「では、それ以外の方法、引き続きお考え願います。わたくしは、イシュナグさまを留めることで手一杯ですので」
諸侯らが首を縦に振る中、ウームルは深々と頭を下げた。
ゆっくり顔をあげると、広間――地下の書庫の人影は、ウームルのみ。
激しい虚脱感が、彼を襲う。かなり魔力を消耗したようだ。
彼以外の諸侯らが白亜宮殿に集っているのは、遠距離の会議では魔力の消耗が激しく長時間できないから。
このまま寝てしまいたい誘惑にかられたが、そうもいかないと体を叱咤しながら立ち上がる。
「最悪の場合、わたくしが真実を……」
暗澹たる思いは、明るい地上に戻っても晴れることはないだろうと、彼は自嘲的な笑みを浮かべた。
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