04 此処は巨樹の根元の街オールグ


 太陽の恵みが降り注ぐ晴天の元、街には人々の声や行き交う足音などが入り混じり、あちこちから聞こえてくる陽気な騒がしさに自然と笑みが溢れてきた。


 ――いい街なんだな。


 街の雰囲気は明るく、多くの人が笑みを浮かべていて、充足した生活をしているのが伝わってくる。


 そしてやはりと言うか、何よりそこにいる人たちの容姿の多様さに目を引かれた。


 毛皮や鱗を纏った人がいたかと思えば、赤や青、暗緑色の肌をした人も見かける。篝火のように鮮やかな鳥の羽、磨き上げたサファイアのように煌びやかな蝶の翅、馬の下半身を持つ人が鳴らすカポカポという足音に、蜘蛛の下半身持つ人のカチャカチャという足音。


 まさにファンタジー。遠目から見た時も感動したが、こうやって改めて見るとその驚きも一入(ひとしお)だ。


 何もかもが初めての経験で、どこを見ても今までにない景色に満たされている。


 キョロキョロと忙しくなくあちこちを見回すワタシの姿は、他から見れば完全なお上りさんのそれで、気付いた時にはニマニマと慈愛らしきもので一杯になったリィルさんに見つめられていた。


 彼女と目が合った途端に頭の中で火が点いたみたいに、カァッと顔が赤くなっていくのに耐えきれず、慌てて視線を下に向けた。


 ――これじゃあ、初めて親に夢の国(ハハッ)に連れてきてもらったお子様だ。


 熱を帯びた頬に手を当てて揉んでみるが、もにもにと柔らかな感触が返ってくるばかりで、顔に集まった熱が引いてくれる様子はない。

 駄目だ、このままでは観光どころではない。執拗に顔へ集まってくる熱を振り払うようにぶるぶると頭を振り、手を握りしめる。


 ――逆に考えるんだ、『恥かしくたって良いさ』と考えるんだ。


 そうとも、旅の恥はかき捨てと言うじゃないか。礼節さえ保っていれば、恥なんていくらかこうが関係ないのだ。そもそもワタシは『ワタシ』であって、『俺』じゃあない。少しぐらいはしゃいだって、なんてことはないのだ。


 だから頬の熱よ、静まりたまえへ。


「そ、そう言えばっ! つかぬことをお聞きするんですが、リィルさんの身長はどのぐらいなんですか?」


 むず痒い空気を誤魔化すように、ニコニコと満面の笑みを浮かべているリィルさんにたわいのない質問をする。居た堪れなくなったとか、お茶を濁すとか、そんな訳では断じてない。


 リィルさんの容姿は非常に端麗で、女性にしては身長もかなり高いように思う。着ている服も素人が見ても素材の良さが分かるし、デザインも仕立ても丁寧な物だ。

 ワタシの手を握っている指だって白くてほっそりとしており、あっちで言うところのモデルさんのような出で立ちをしている。


 もしかしたらこちらの世界でも似たような職があって、それに従事しているのではないだろうか。


「そのカチコチに固まった喋り方も可愛いと思うけど、やっぱりもっとくだけて欲しいなぁ。まぁ、それは今後の課題っていうことで。

 えっと、身長の話だっけ? 

 私はだいたい百六十五センチくらい、人族にしてはそこそこ高い方かな。まぁ森人族(エルフ)の血も混じってるからね。でも純粋なエルフはもっと長い耳をしてるし背も高い人が多いよ」


「……へっ?」


「うん?」


 リィルさんが話しながら耳元の髪を掻き上げて見せると、上向きに尖った特徴的な耳が覗いた、長さは普通の人の倍ぐらいはありそうだ。


 しかし耳が尖っていて長いとか、リィルさんがエルフとの混血であるとか、そんなことよりも衝撃的な事実を聞いた気がして、ワタシは間の抜けた声を上げていた。


 自分で聞いておいてなんだが、あまりにも聞き捨てならないことを聞いた気がする。


 ――リィルさんの身長が百六十五しかないというのはどういうことだろうか。


 仮に、本当に、嘘偽りなく、親告しているとしたら。彼女のことを仰ぐように見上げているワタシは、いったい何だというのか。


「リ、リィルさん。重ねてお聞きするんですが……ワタシは、どのぐらいに見えますかね?」


「イディちゃんは、頭までの身長で一一〇センチだね。耳まで入れると百三十五、五センチ。

 獣人族にしても、結構小さい方だね。

 私ね、この街で仕立て屋をやってるの。これでも結構有名なんだよ。

 だからって訳じゃないけど、身長、体重、スリーサイズから手足の長さ首回りとか、服を作るのに必要な情報は見ただけで分かるんだ。って、どこ行くのー?!」


 話の途中で彼女の手を放り出し、一番近くの店のショーウィンドウガラスに駆け寄って張り付く。薄々感づいてはいた、それでも懸命にリィルさんが大きいだけだと、周りに見える人々も背が高いのだと、自分に言い聞かせていたのに、


 ――なんてことだ。


 ガラスに映りこんでいた姿は、完全に幼女としか言えない自分の姿だった。


 簡素なキャミソールとショートパンツで身を包み、かなり短めのショートボブの白髪が陽光を淡く吸い込むその上で、同じ色の毛に覆われた大きな三角形の耳がピンッと上を向いている。


 鮮やかなシャンパンゴールドの瞳は大きく、目尻がわずかに上向いているが、迷子の子供のように情けなく下がった眉尻のせいで凛々しさの欠片もない。


 なんと言うかもう、全体的に犯罪臭が凄かった。


 ――神は死んだ……いや、どうやっても死にそうになかったけど。


 女の子だとは聞いていたが、幼女だとは聞いていない。


 ワタシがいったい何をしたというのか、いくら自称神様だからと言ってこの仕打ちはあんまりではなかろうか。女体化だけでも社会的に相当なダメージだといのに、幼女とか。


 いや、そりゃあこんな幼女が一人で街中をウロウロしていたら庇護する人が出てくるだろうし、ワタシが言った要望には応えやすくなるんだろうけど。


 でもこれは駄目だよ。なにが駄目って、獣幼女の中におっさん一歩手前が入ってる、って事実だけでワタシの罪悪感が絶賛肥大化中で押し潰されそう。


 崩れ落ちそうになる身体はガラスについた手で支えられるが、沈んでいく心までは支えられんのですよ。


「イディちゃ~ん。もう、急に走り出さないでよ、見失ったらどうするの? って、なんだ。イディちゃん、糸玉が食べたかったの?」


「……大丈夫、大丈夫……」


「イディちゃん?」


「はっ、はいっ!? い、いとだまですか?」


「あれ違った? でもま、いいや。せっかくだし食べよ。

 これはね『糸玉』って言ってね、完熟した巨樹の実だけを食べる蜜壺蜘蛛の糸で作られた、この街の名物屋台菓子なの。ガロンさ~ん。糸玉二つくださいな」


 落ち込んでいる暇もなく、リィルさんは再びワタシの手を握りなおすと、店先に止めてある屋台に大きく手を振りながら近寄っていく。


 屋台では先が二股になっている二つの金属質の棒を使い、器用に糸を丸めている中年の男性がにこやかに答えた。


「おっ、リィルちゃん。珍しいね、屋台の方で買ってくなんて」


「ちょっとねー。知り合いの子が初めてこの街に来たから、食べさせてあげようと思って」


「ほうっ! じゃあ後ろにいるのが、その知り合いか。いらっしゃい! 

 そして、ようこそ! 巨樹の根元の街『オールグ』へ」


「ど、どうも。こんにちは、トイディ、と申します。イディと呼んでください」


 両手を広げ快活な声で迎えてくれた男性に、どもりながらも頭を下げて挨拶をした。


「おおっ! こりゃあ、めんこいな。将来は美人さんだ。よっしゃ、オールグ初訪問の記念だ。俺の奢りってことで、天然と養殖、どっちが良い?」


「い、いえ。それはさすがに悪いので支払ま、って、そういえばお金持ってなかった……。あの、そのやっぱり結構で……」


「じゃあ、尚更奢らせてくれ。こんな可愛い子が困ってるんだ、放っておくのは忍びねぇ」


「イディちゃん。ここはガロンさんの好意に甘えさせてもらお、ね?」


「で、でも」


「いいからいいから。あっ、ガロンさん。私、天然の方で!」


「リィルちゃんに奢るとは言ってねーんだがなぁ、ちゃっかりしてるよ。まぁ、リィルちゃんには店の制服の件で世話になってるからな、特別だ」


 リィルさんの朗らかな笑顔に押し切られ、ガロンさんも苦笑しながらガラスケースの中に吊るされている紐のついた白い球体を手渡した。


 ワタシもこれ以上、相手の好意を無下に断るのは失礼かと思い、渋々ながら頷いた。と言うのも、自称神様の『設定』が生きているのだとしたらどう足掻いても仕様のないことだと、どこか確信めいた予感があったからだった。


「あの。それでは、ご厚意に甘えさせていただきます。それと、その、天然と養殖の違いって何なんでしょうか?」


「そのまんま、天然ものは巨樹に生息している野生の蜜壺蜘蛛が自ら巻いた糸玉を取ってきたもので、養殖は家畜として育てた蜜壺蜘蛛の糸を俺ら職人が手ずから巻いたものさ。

 なんでかは分かってねぇが、蜜壺蜘蛛は養殖すると自分たちで糸玉を巻かなくなっちまうんだ。

 だからこうやって糸だけ集めて人の手で一個一個巻かなきゃならねぇ。

 まぁ養殖には養殖の良さがあるが、舌触りとか口溶けなんかは天然ものが別格だ。俺も長いことやっているが、未だにそこへんは敵わねぇ。まぁ初めて食べるんなら、天然ものだな」


「では、おすすめしていただいてる方で」


「あいよっ」


 歯切れの良い返事と共に、ガロンさんがケースの中で一番大きな糸玉を渡してくる。


「噛まねーで、舌の上で転がして溶かしながら食べるんだ。だいだい十分ぐらいは口の中で持つからよ」


 糸玉を受け取ると、ガロンさんは陽気に笑いながら少々乱暴な手つきでワタシの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。


 頭を撫でられるなど、記憶に存在しない遥か過去にあったかどうかという具合だったので、思わず無抵抗のまま受け入れてしまっていた。


 同時に頭から背筋を通り尻尾までを、電流のようにゾクゾクとした快感が流れていく。でもそれは肌が泡立つような感触ではなく、全てを相手に預けたくなるような、全身を心地良いぬるま湯に包まれるような、安心感に蕩けて仰向けにお腹を出して寝転びたくなる気持ちだった。


「それじゃあ、オールグの街を楽しんでってくれ」


 片手を上げて見送ってくれるガロンさんに手を振り反しながらも、どこかふわふわとした気持ちで、熱に浮かされたようにボーッとしながらリィルさんと並んで街の大通りを歩いて行った。

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