第35話 鉄砲水

「カルバス、カリン! アタシも参戦するわ!」

「御意に!」

「お願いします!」


 アリシアは上空から体を鋭く回転させ、まるでドリルのように魔獣サイカーバの眉間に攻撃を加える。そして何度も何度も眉間へ斬り込んでいく。その度に魔獣は首を振ってアリシアを振り払う。


 魔獣が下を向く瞬間に、カルバス兄妹が首と胴体の繋ぎ目を狙って斬り込むが、タイミングが合わずに失敗した。


 アリシアが狙う魔獣の眉間は少しずつその硬い皮膚が削られていく。眉間はあらゆる生物にとって急所の1つ。彼女はその一点突破を狙っているようだ。そしてそれは同時にカルバス兄妹の狙う魔獣の首筋の急所を開く足掛かりにもなっている。そのことを彼女たちにうまく伝えられれば――僕がそう思いついたとき、


『ブオォォォォ――――!』


 魔獣サイカーバはまた口を閉じたまま唸り声を上げ、後ろ足で立ち上がり前足を高らかに振り上げた。

 アリシアたちは三方に分かれて魔獣から飛び退く。

 続いて魔獣が前足を川底に振り下ろすと、凄まじい地響きと共に無数の岩や石が四方に飛び散った。


 当然、それは近くで見ていた僕やルシェにも降り注ぐことになる。僕の名を叫ぶアリシアの声は轟音にかき消され、死の瞬間を迎えることを覚悟したその刹那――


「【大きい壁の守護を与えよ】」


 それは聞き覚えのある女性の声――

 妹のマリーを暴漢から助け、僕に魔法の力を授けてくれた――

 悪魔ルルシェの声。


 悪魔ルルシェの魔法のおかげで、僕の目の前にまるで透明な壁がそこに存在するかのように無数の岩や石から僕を防いでくれている。

 少し離れた場所にいたルシェの前にも小さな壁が形成されている。良かった、彼も無事のようだ。彼は水かきのある両手を壁に向かって広げ、長い筋肉質の後ろ足で立ち上がっているように見えたけど……それは僕の見間違えだったかもしれない。


 やがて土埃が晴れ、怒り狂う魔獣の姿が月明かりに照らされた。

 魔獣の目が赤いのは凶暴化した証拠だ。魔王の娘の加護により昼間は寄りつかない森の魔獣たちも、夜間はその限りではない。魔王城でアリシアの足首に噛みついていたクロモジャのことを思い出して僕は苦笑いを浮かべ、そして行き場のない怒りを覚える。


「くそっ! 魔人にとっても森は充分に危険地帯じゃないか!」


 ペンダントを握ってみても、何も起きない。

 自分で何とかしろということか? それとも……


「皆聞いてくれ! 僕が今から魔獣の頭を下に向けさせるから、3人で一気に首の付け根の急所を狙ってくれ!」

「えっ? なに、ユーキも一緒に戦うの!?」

「ユーキ殿、無理をなさらずとも拙者達だけで……」

「無駄死にするつもりですか!?」


 僕は魔獣サイカーバに向かって走り出す。カリンは相変わらず辛辣な言葉がけをしてきたが、僕は決して自棄やけになったわけではない。悪魔ルルシェの後ろ盾がある今、どんな攻撃にも耐えられる気がしているのだ。


「お……オマエ何を血迷っているげろ!? ワシはこの姿ではしばらく魔法は使えないでげろよ! 戻ってくるげろよぉぉぉー!」


 ルシェの焦った声が聞こえたけれど、僕には悪魔ルルシェが付いていてくれる。その使い魔の言うことなんか今は完全無視だ!


 僕の指示で3人は川の両岸にある高い木の上へジャンプする。

 魔獣の視線は地上に1人残された僕に向けられる。

 

「まだお前の口の中には食べ物が一杯残っているんだよな! だから口を開けられないんだろう? この食いしん坊の間抜け魔獣がぁぁぁー!」


 そう、魔獣サイカーバが口に入れた電飾ウナギを全て飲み込むまで口を開けない。そう確信した僕は、短期決戦に挑んだのだ。

 

 魔獣は僕を踏みつぶそうと右前足を上げて地面を踏みつける。

 すぐさま足を変えて踏みつける。

 僕は寸前のところで避けて転がる。


 あれ? 悪魔ルルシェの見えない壁が守ってくれない?


「今は無理げろぉぉぉ――、戻ってくるげろぉぉぉ――!!」


 ルシェが泣きながら叫んでいる。 


 あと少し――


 あと少しで魔獣が下を向きそうなのに!


「ええい! こうなったらやけくそだぁぁぁ――!」


 結局、自棄やけになった僕は石を握り起き上がる。そして、力一杯真上に投げつける。


「【ディメンション・スワップ】」


 石に向けて空間転移の魔法をかける。行き先は魔獣の右目。

 

『ブゴォォォォォ!!』


 突然現れた石に瞼を閉じることができずに魔獣の右目に石が直撃した。

 怒り狂った魔獣は眼下の僕に向かって大きな口を開けて頭を下に向ける。

 魚の腐ったような強烈な匂いが僕を襲い、口の中に残っていた無数の岩と石が僕の頭上に降り注ぐ。

 

 僕は喰われた――


 鼻につく異臭とかみ砕かれる恐怖心で気を失いそうになっていると……

 微かにアリシアたちの声が聞こえてきた。


 そして肉を切り裂く音が聞こえ……

 真っ暗な閉ざされた空間に月明かりが差し……

 どさっと魔獣の頭部が真っ二つに切り裂かれて倒れていった。


「ユーキ、大丈夫? アナタのお陰で魔獣は退治でてきたわよ!」

「魔獣に下を向かせて弱点の首の付け根を開かせるとは考えましたね、ユーキ殿」

「今回は褒めてあげるのです……」


 アリシア、カルバス、カリンの3人が声をかけてきた。どうやら、魔獣サイカーバが僕を口に入れたときには、すでに頭部が首から切り離されていたようだ。まさに危機一髪。


「フォクスが待っているわ。戻りましょう、ユーキ」


 腰が抜けたように座り込んでいる僕にアリシアが手を差し伸べる。

 魔獣の唾液まみれになった僕の手は、ヌルッと滑って手が離れてしまう。

 ああ、水浴びでもして身体を洗いたいな……

 僕はそう思った。

 水……

 その瞬間、大事なことを思い出し、不安がよぎる。

 

 小刻みな振動――


 そしてそれが徐々に大きくなってくる。


 木々を巻き込んで押し寄せてくる濁流の音。


「鉄砲水だ!」


 今度こそ本物の……

 森に棲んでいた経験をもつ母から、何度も聞かされていた自然の驚異。


 鉄砲水の濁流が魔獣サイエーナの巨体を乗り越え、僕たちの頭上から一気に覆い被さってくる。

 カルバス兄妹はその一瞬で上空に飛び上がり、アリシアは僕の腕を握って上空へ飛び上がる――しかし――僕の腕がヌルリと滑って地面に落下する。


「ユーキ! しっかり握ってよ!」

「駄目だアリシア! もう間に合わない、逃げてくれ!」


 僕はアリシアの肩を突き飛ばし、次の瞬間には濁流に呑み込まれた。


 濁流は様々な物を巻き込み、まるで怒り狂ったように僕の身体をもみくちゃにしていく。


 上も下も分からない、全ての五感が消え去った世界で僕の意識は消失していった。

 


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