第11話 魔王城の夜

 結局、僕の去就についての結論は出なかった――


 もうすぐ夜中の12時――深夜を過ぎると森の魔獣たちは凶暴化する。人間の住む町までは森を抜けいてくルートしかなく、どのみち朝日が昇る時間までは身動きはとれない。

 玉座の間を出たアリシアは、どういう訳か側近のような人に連れて行かれ、僕らは離れ離れとなってしまった。僕はそのままこのベッドしかない部屋に連れてこられて一人でふて寝をしているわけだ。


 まあ、人間である僕が殺されることなく、こうして魔王城に泊めてもらえているだけでも有り難いことだと思わなければ……そう思おうとする一方で、魔族の兵士たちが『救世主』だの『勇者』だのと僕を崇めてくるのに対しての、あの魔王の冷たい態度にイラッとくる。その繰り返しでまったく寝付けないでいた。


 僕は仰向けになって、首に通した革紐にぶら下げた立方体の黒い石を眺める。アリシアが言っていた悪魔ルルシェから授かった『大いなる力』とは、この石と関係があるんだろうか。そういえばミュータスさんも言っていたな……『それがキミの武器か道具』かも知れないって……この小さな石にどんな力があるのだろうか……


 ベッド以外に何も無いとは言ったが、本当に何も無いわけではない。壁際にはアンティーク調の小さな家具類や衣装をためのポールのような物が立っている。壁には大きな時計が掛けられていて、すでに夜中の1時を回ったことを示していた。


 明日のために目を瞑るぐらいのことはしておくか……

 僕は静かに目を閉じた。


 時計のカチコチという音に混じって、何かを擦るような音が聞こえる。

 例えるなら、ざらざらした石の床に何かを引きずるような音。

 その音が……部屋の向こう側……通路から聞こえている。


 ずず……


 ずずず……


 ずずずず……


 ずずずずず……


 次第に近づいてくるその音を聞きながら、僕は恐ろしいことに気付いた。森の魔獣たちは深夜になると凶暴化するけれど、それってこの城の中にいる魔族の兵士たちも一緒なんじゃないかということに……


 そして、不気味な音は、この部屋のドアの前で止まった。


 ガチャ……とドアノブが回り……


 そうっとドアが開いていく。


「ユーキまだ起きている?」

 音の正体はピンク色のネグリジェ姿のアリシアだった。

「ねえ、なんでベッドの下に隠れているのかしら? あっ、もしかして何かの遊びなの? アタシに教えなさいよ!」

 アリシアがベッドの下に隠れていた僕に近づいてくる。両方の足首に真っ黒いモフモフしたものを引きずりながら……

「たしかに村の子ども達がよくやる『隠れ魔獣』という遊びはあるけれど……そんなことより、アリシア……さんの足についている物は……なに?」

 僕はモフモフを指さしながら尋ねた。


 人の頭よりも一回り大きなボール状の固まりからは、長いモフモフした毛が生えている。そこから二つの耳のような突起物があり、長い尻尾がついている。尻尾の先までモフモフだ。さらによく見てみると――


「足首にかじり付いているじゃないか! アリシアさん襲われているの!?」


 アリシアの足首にギザギサの細かい歯で食らいついている。


「あはは、恥ずかしながらこれはお父様の差し金なの。お父様はアタシが夜中にユーキの部屋へ行くことを妨害しようとして、この魔獣を廊下に放っていたのね。それにまんまとアタシが引っ掛かっちゃったと言うわけ!」


 僕に会うために部屋を抜け出し、両足にかぶりついた魔獣を引きずってこの部屋まで来たというのか…… 僕に会うために?


「大丈夫なの? 足首から血が出ているよ?」

「大丈夫よ、クロモジャは私達魔族の足にかじり付いて生息範囲を広げていくだけの大人しい魔獣よ。体脂肪率が68%と重いからよく囚人の脱走防止に使われる便利な魔獣なの。そしてその肉は脂が乗っていてとても美味なの!」


 と言いながら、アリシアはクロモジャの口に手を入れて足から引き剥がし、通路へ放した。つまり、僕なんかがうっかりドアを開けて通路に出ようものなら、クロモジャの餌食になると言うことか。魔王城恐るべし!


 深夜に若い男女が二人っきりでベッドに腰をかけている。

 何だかそわそわしてしまうが、部屋にはベッドぐらいしか無いので仕方ない。

 少し離れて座るアリシアのピンク色のネグリジェから下着が透けて見えてしまい、僕は目のやり場に困ってしまう。


「ユーキは、アタシのこと……どう思っているの?」

「えっ……?」


 アリシアはちらっと僕の顔を見て、恥ずかしそうに目を逸らした。


「ユーキは悪魔ルルシェ様と契約を結んでアタシの元へ召喚された。やっぱり……迷惑だった……かな? アタシに呼ばれて……」


 ああ、そう言うことか……告白されるのかと勘違いしてしまったけれどこの子は魔族。僕ら人間とは相容れぬ存在。でも……悪い子ではないことは分かった。


「迷惑ということはないけれど……」

「ないけれど?」

「僕なんかを召喚したところで何の役に立つのかな? 僕には何の力も無いのに!」

「またその話ね。いいわ、今度こそちゃんと話してあげる」


 そう言いながら、アリシアは僕のすぐ隣に座り直す。

 そして顔を寄せて僕に迫ってくる。


「うひゃ!?」

「何ヘンな声を出しているのよ? ほら、アタシの角を見て!」


 アリシアは顎を引いて、僕の目の前に角を突き出してきた。

 焦げ茶色の内側に湾曲した2本の角。

 改めて間近で見ると角の形も可愛らしいな……

 あー、ダメダメ、ちょっと僕の感覚が麻痺してきたかもー!


「分かる? ほら、ここ!」

 アリシアが向かって左側の角の先端部を指さした。

 どぎまぎしている様子を悟られないように心を無にしてよく見ると――

「あ……欠けているね……」

「そうでしょう? 悪魔ルルシェ様にアタシ達魔族を窮地から救ってくれる勇者を下さいってお願いしたときに、その代償としてアタシの角を捧げたのよ」

「魔族の人にとって角は大事なものなんだよね……」

「そう……角が欠けると魔法が使えないの。でも……ユーキがアタシの角の欠片を携えて来てくれた」

「――え!?」


 アリシアは僕の首に下げた立方体の黒い石を手で触っている。

 まるで愛おしい我が子に触れる母親のような微笑みで。


 このペンダントは石ではなく角の欠片だった。アリシアは自分の角の欠片を悪魔ルルシェに捧げ、その恩恵して僕がアリシアの元に召喚された。アリシアは魔法が使えなくなり――だからミュータスさんたちの城への進撃を許してしまったのか!


 僕は自ら望んだことではないとはいえ、罪悪感を感じている。こんな僕を召喚するための代償としてアリシアの魔法が封じられたのだ。


「なんか……ごめん!」

「何でユーキが謝るのよ?」

「だって……だって……僕なんかが来ても役に立てないだろうし……」

「今日はアタシ達の命を救ってくれたでしょう?」

「魔王の前でも言ったけど、それは偶然が重なっただけだよ。そもそもアリシアが魔法を使えたなら、ミュータスさん達相手にあんなに苦戦しなかっ――」

「それは違うわ!」


 アリシアの口調が変わった。

 ベッドから立ち上がり、身振り手振りを加えながら――


「人間側には天使が付いているのは知っているよね。そして天使は次から次へと異世界からの召喚者を呼び寄せているの。その中には『勇者』と呼ばれる人間がいて、世界のバランスを崩すほどの強大なパワーをもってアタシ達魔族に攻撃してくるの。今日来た極悪非道な聖剣使いも勇者だよね?」


「う、うん。ミュータスさんのことだよね?」


「たぶん、彼ら勇者にはアタシの魔法は効かない。だからユーキがいてくれなかったら今日はアタシたち魔族の終焉記念日だったわけ!」


 両手を広げて、さも嬉しいことを話しているように笑顔を向けてくるアリシア。

 彼女は僕にありったけの信頼と期待を向けてくれているんだ。


 それに対して僕は……

 何も答えられない。

 期待に応える自信は皆無だ。


「ごめん……」


 情けない僕の口から出た唯一の言葉がそれ。


「……うん。いいわ。朝日が昇るまでは絶対に外に出ちゃだめだからね。夜の森に入って無事に抜けられる可能性は0.00%だからね……」


 それってゼロだよねというツッコミを期待されていたのかもしれない。

 でも僕の口からはもう何も言葉が出てこなかった。


 アリシアは部屋を出て行く。

 ドアの向こうでアリシアの軽い悲鳴が聞こえた。

 またクロモジャに足を噛まれたのだろう。


 こうして僕は朝を迎えた――

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