夕焼けセラピー <モフモフコメディ>甘い扉Ⅰ

来冬 邦子

第1話 カピバラ襲来

 六本木の高層ビルの先っぽに、オレンジ色の夕焼けのなごりがきらめいています。仕事帰りの人々が三々五々、西日に肩先を朱く染めて坂道を下ってゆきますが、靴音のふとした絶え間にも初秋の静寂が訪れるのでした。


 どどどどど。どどどどど。


 ――うるさいな。

 わたくしがカフェのテラス席で美味しい珈琲をいただいておりますのに、ただならぬ地響きが静寂を破りました。見れば、薄茶色の米俵こめだわらのような生き物が十数頭、二列縦隊を組んで坂道を登ってまいります。大胆な羊の放牧かと思いきや、なにやら思い詰めた目をしたカピバラの群れでした。


 みなさま、カピバラという生命体を御存知でしょうか。熟したキウイに短い黒い足が生えたようなふざけたいきものでして、たいへん風呂好きな性格です。正面から見ると馬かリスかようわからん顔をしておりますが実はネズミの親類です。


 ――待ってえー。

   ――待ってえー。

 ――待ってえー。

   ――待ってえー。


 ハスキーな声がハモっております。カピバラって鳴きましたかね。

 ――おや? カピバラの群れの先頭を、校章の入ったショルダーバッグを斜めがけにした白いセーラー服の少女が美しいフォームで駆けています。ショーカットの前髪がひるがえると、必死の形相ぎょうそうが見てとれました。


「ああっ! 雪ノ下ゆきのした先生、発見!」


 彼女の猫のような瞳が、ギラリとわたくしに焦点を合わせました。


 はい。わたくし、雪ノ下ゆきのしたひそかと申します。セラピストを生業なりわいとしております。若輩者じゃくはいものですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 彼女は、津雲つくもつぼみさんとおっしゃいまして、わたくしのクライエントで、青山あおやま平坂ひらさか小学校の五年生です。


「おやあ、津雲さんではございませんか。どうかなさいましたか?」


 たったいま気づいたふりをして、わたくしは愛想良くお応えしました。


「先生!、うち、また、開けちゃったんです!」


 つぼみさんが、辺りの目もはばからずに叫びました。


「おやおや。そうでしたか」


 セラピストがいかに守秘義務を果たすべく口を閉ざしても、クライエント御本人が公道でプライバシーを暴露してしまっては、いかようにもなりません。こうなった以上は、すべてご説明申しあげましょう。彼女は、ある特異体質の持ち主なのです。


 ――別の<扉>を開けてしまう、という。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る