第2話 僕は両親の夢を見る

 ――夢を見る。

 僕はいまだに夢を見る。

 終わることのない夢を。一年前に終わってしまったあの夢を。


「カツキ、ごめんね」

 姉を抱きしめながら僕に笑いかける母の言葉。

 この光景を僕は忘れることは無いだろう。恐怖に歪んだ姉の目と対称的にどこまでも優しい母の瞳。

 そして、その隣から噴き出る悪者の血しぶきが、どくどく、どくどくと二人を赤く染め上げ続けるこの光景を。

「サツキのこと、頼んだね」

 母はそう言って抱いていた姉を開放し、悪者に突き立てた包丁を引き抜いて、そのまま自らの胸にそれを突き刺した。

 鈍い音が部屋の中に響く。母は最期にこう言った。

「――私はこれから、最高に不幸になるね」

 それはきっと、母がたびたび口にしていた言葉の対偶なのだろう。


『私にとっての最高の幸せは、サツキとカツキと一緒に居られることよ』


 つまり、母はもう僕たちと一緒に居られないと言ったのだ。

 ずるい、と思った。

 両親が目の前で亡くなったことよりも、その一言が僕の胸を抉って離さなかった。

 そんなことを言うんだったら、なぜ母も死んでしまうのだ。悪者を殺して、それだけで良かったじゃないか。そうしたら、僕と姉と母は、いつまでだって一緒に居られた。そうじゃないか。

 それなのに、母は悪者と……僕たち三人をいつでも殺せるほどの暴力をふるっていた父と共に逝ってしまった。積み重ねられた暴力は終わりが無いほどに長かったけれど、その終わりはあまりにも一瞬であっけなく、僕に止めることはできなかった。


 僕と姉はその後保護され、父の暴力で負った怪我の治療を行った後、親戚の家に引き取られることとなった。

 怪我は複数箇所の骨折と裂傷であったため、治療は容易では無く、満足に動けるようになるまでに半年近く時間がかかった。特に裂傷に関しては、二人とももう少しずれていれば命に関わるものだったらしく、母のあの時の判断は間違っていなかったのだろうと感じさせられた。

 母が父を止めなければ、おそらく僕と姉、さらに母の命は近いうちに絶たれていたに違いない。あの日はきっとポイントオブノーリターンだったのだ。


 そうやって割り切ろうとしても割り切れるわけはなく、僕と姉はそのトラウマに起因する厄介な性質を持ってしまった。

 僕の性質は超ロングスリーパー。一度眠ってしまうと16時間は何をしても起きない体質となってしまった。医者には身体的な怪我に起因する可能性は捨てきれないとは言われているものの、僕としては割り切れないものを、割り切れないままに脳に許容するための自衛本能なのだろうと考えている。

 その証拠に僕は寝ている時間、ずっとあの日の夢を見続けているのだから。

 しかし、この性質は非常に厄介で、健常者のためだけにあるような一日8時間の勤労時間(まあ中学生の僕にとっては勉強時間だが)を僕は満足にこなすことが出来なくなってしまった。


 そんな感じでどうしたものかな、と悩んでいたところ、その長い夢の中にひょっこり現れた閻魔大王にスカウトされて地獄の弁護人を務めることになってしまったというのが現状だ。

 あまりにも突飛で突然の話ではあったが、まあ双方に得のある話ではあったのだ。

 地獄は人間世界と時間の流れが異なる。簡単に言えば人間世界での8時間が地獄での24時間に当たる。このことから、僕は現実世界で8時間の睡眠時間の枠を確保し、そのすべての時間を地獄で過ごすこととした。現実世界で16時間、地獄で8時間、合計24時間働き、地獄で16時間寝させてもらう。そうすることで人間世界での目覚めもスッキリするというわけだ。この日、この時から僕にとっての1日は40時間となった。

 地獄にとっての得は弁護人の確保だ。どうやら前任者がつい最近人間世界での人生に幕を下ろしたらしく、早急に代わりが必要となったらしい。「前任者にそのまま魂でやらせればよかったんじゃ……」と指摘すると、人間世界は刻一刻と変化しているのに、その弁護人が人間世界から離れてしまったら、弁護人としての機能が保てないとのことだ。なるほど、言いたいことは分かる。

 とにもかくにも、僕は現在も1日16時間、夢を見続ける生活を送っているというわけだ。

『私はこれから、最高に不幸になるね』

 という、母の最期の言葉を子守歌にするように。

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