Autonomous Surprising Meridian Response

 その日、目井めいクリニックには患者様が皆無だった。


(退屈ですねえ。まあ、医者が暇なのはいいことです……)

 目井さんは椅子に座ったまま大きく伸びをした。


(それにしたって、することがありませんねえ……


 そういえば、この前面会に行った時、津々羅つづらさんが君頭きみずさんに面白いお話を聞いたって言ってましたね。

 何でしたっけ、あのアルファベットの…… ああ、そうですそうです!)


 目井さんはイヤホンを装着すると、PCを立ち上げた。動画サイトを開き、検索窓に「ASMR」と入力する。

 ささやき声やスライムを触る音、耳かきの音など、様々な動画が現れた。


(色々あるんですねえ…… これとか良さそうですね)

 ざっと見てみて、目についた「シャンプー音」というタイトルの動画をクリックした。


 ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃ

 茶色い髪が濡らされていく音。


 しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ

 続いて、髪がシャンプーで洗われていく音。


 まるで実際に自分の頭が洗われているかのような臨場感。ぞわぞわするようなくすぐったいような、けれど心地の良い不思議な感覚。

(なるほど、ASMRってこんな感じなんですね。

 癒やされますねえ、実際に洗髪してもらった時のことを脳が思い出してこんな感覚になるんでしょうかね)


 シャンプー音を聞きながら、投稿者の他の動画のサムネイルとタイトルを見てみた。

 どうやら投稿者は現役の美容師らしく、髪をクシで梳かす音やヘッドマッサージの音、客の髪を切る音の動画などがあった。髪のケア方法に関する動画もいくつかある。


(へえ。チャンネル名は?)

 よく見てみた。

 「長池ながいけヘアベアチャンネル」と記されていた。


「……何してるんですか長池さん」

 思わず声がもれた。




 その日の夜。


 目井クリニックの裏庭を通り過ぎようとして、長池はを見張った。目井さんが一人しゃがみ込んでいたから。


 どうしたんスか!? と叫びかけて、けれどその声はのどで止まった。長池に気付いた目井さんが人差し指を口に当てて、「静かに」のジェスチャーをしたから。


 長池は髪を一束伸ばして目井さんの肩に触れた。これにより、テレパシーでの会話が可能になった。


(どうしたんスか目井さん。具合でも悪いのかと思いましたよ)


(すいませんね、ご心配おかけして。

 長池さん、動画サイトにASMR動画上げてらっしゃるでしょ?)


(えっ、なんで私って分かったんスか!?)


(なんでじゃないでしょうあなた。

 あれに触発されて、私もASMRを撮ってみようと思ったんです。

 ちょうど夏に買ったけどできなかった線香花火があるので使っていたところだったんです)


(ああ、だから余計な音が入らないように静かにしてほしかったんスね)

 二人が無言の会話を繰り広げている間にも、

 ぱちぱちぱちぱちぱちぱち

 目井さんの手にした線香花火は、音を立てて燃えていた。


(懐かしい、いい音ッスねえ。子どもの頃を思い出すッス…… あ、落ちた……

 線香花火って癒やされるけど、最後火が落ちちゃうとやっぱり寂しいッスね)


(そうですね。一本だけで終わっちゃうのも味気ないので、次は二本まとめてやってみます。

 ……あれ、おかしいですね。火が点きません、湿気ってるんでしょうか)


(貸してみてほしいッス、やってみるッス)

 

 長池は髪を素早く擦り合わせて火を起こした。

(できたッス! さあ、行くッスよー!)


 気合を入れて火を吹きかけた長池。

 火は花火どころか目井さんの全身を包み込んだ。


(ああああああ目井さああああああん)


(いやー、癒やされますねえ。

 この音、ASMRとしてアップしたらバズりますかねえ)


(目井さん! 目井さーん!)


 本気なのか現実逃避してるのか区別しにくい目井さんの表情に、長池は心の中で絶叫しながら必死で髪で強風を起こして消火活動を行ったのであった。




 後日、「花火が(途中から医者が)燃える音」というタイトルの動画がどこかのサイトに上がったとか上がらなかったとか。



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