第十七話 空白

 どこに行こうかと言うこともなく、どこに行くかを決めるでもなく、小熊と礼子は二台のカブで走り出した。

 学校が終わったらただ帰るだけだった小熊はカブに乗るようになって以来、こんな事を時々やるようになった。

 先に校門を出た礼子は、高校の前を通っている県道を左折し、カブを東へと向ける。西方向にある礼子のログハウスとは逆。

 西への道は南アルプスの山脈に繋がっていて、どの道を選んでも車道は途中で行き止まりになる。


 県道を少し走った礼子は牧原の交差点で右折した。小熊もその後ろからついていく。

 国道二十号線に入った礼子のハンターカブは、甲府、東京方面へと走る。いつも二人で走りに行く時には先行したがる礼子を、今日も小熊は背後から見ていた。

 礼子の走りがいつもと違うことに気づいた。普段の礼子は自分の手でチューンしたハンターカブの性能を誇示するように、幹線道路では無駄なスピードを出して車の流れに先行したがるが、今日は途中で交差点にさしかかるたび、不自然な減速を繰り返している。

 小熊は自分のスーパーカブのスロットルを回した。ノーマルで四九ccのエンジンをボーリングとピストン交換で五二ccに変更した小熊のカブは、高回転域に入ると加速が伸びる。

 中古バイク屋の爺さんが数十基に一基の当たりエンジンだと言っていた通りの性能を発揮し、礼子のハンターカブを追い抜いた。

 

 そのまま礼子のカブを先導して甲州街道を走る。ロードサイド店舗の合間に山野が広がる、買い物や特に用も無く走り回った時に何度も見た山梨の風景。

 礼子はおとなしく小熊のカブについてくる。いつもみたいに背後から煽るようなことをしない礼子をバックミラー越しに見た小熊は、甲府昭和を過ぎたあたりで左手を上げる。

 片手運転が可能なカブの利を活かしてハンドサインで寄り道を伝え、そのまま日本家屋風のドライブイン・レストランにカブを滑り込ませた。

 今日の礼子は様子がおかしい。小熊なりに理由を考えた結果、腹が減っているに違いないと判断した。


 広い駐車場中の店舗寄りの駐輪スペースに、カブを並べて停める。小熊の見立ては間違っていなかったらしく、ヘルメットを脱いだ礼子は店を見てテンションを上げている様子。

 小熊が入ったのは鳥もつと蕎麦を出す店。小熊や礼子のように県外から来た人間は知らなかったが、甲府名物の醤油で煮詰めた鳥の内臓は、地元の人によれば昔から当たり前に食べていた物らしい。それがB級ご当地グルメとかいうもので勝手に有名になった。そこで初めて他県では一般的な食べ物じゃないと知った人間も少なくない。

 店内にある北原白秋の歌碑の前で待っていると、和服姿の店員がやってきたので、小熊は駐車場側の窓際席を希望した。

 駐車場に停めたカブにワイヤーロックを掛けるだけでなく、出来るだけ店内から見える位置にカブを置き、カブが見える位置に席を取る、確か礼子に聞いた事、今度椎に教えてあげようと思った。


 夕食時には少し早い客席はサラリーマンや行楽帰りらしき老夫婦。さすがに制服姿の女子高生は居ない。そう思った小熊は自分の赤いライディングジャケットと、背後に居る礼子のフライトジャケットを見た。たぶん自分たちは普通の女子高生とは少々毛色が違うんだろう。

 カブが見える席についた小熊は、やってきた店員にせいろ蕎麦定食を注文する。醤油で煮詰めた鳥もつにも食欲をそそられたが、鳥もつは先日東京の南大沢に行った帰りに食べたばかりだし、頻繁に外食出来るほど懐が暖かいわけでもない。

 どうせ普段から食欲のままに生きている礼子が鳥もつを頼むんだろうし、幾つか貰えばいいと思っていたが、礼子も小熊と同じものを注文した。当てが外れたと思いながらお茶を飲む。


 蕎麦を啜りながらのお喋りはいつもと変わりなかった。カブの話、椎と慧海の話、小熊が自分が行くことになるかもしれない東京都下の大学の話をしたところ、礼子は珍しく聞き役に回っている。

 お代わりして二人で三枚づつの蕎麦を平らげた小熊と礼子は、湯桶を貰って蕎麦湯を飲みながら、会話が途切れたことに気づく。

 腹が減って普段の生彩を欠き、彼女自身の大嫌いなエコロジーという単語の似合う状態だった礼子は、燃料と食料を無駄に消費すればいつもの状態に戻ると思っていたが、また小熊は予想を外した。

 お茶と蕎麦湯を交互に飲みながら窓を見ていた礼子は、小熊の視線に気づく。目をそらしたので、小熊も彼女を見捨てるように横を向いたところ、礼子は少しうろたえた様子でフライトジャケットのポケットに手を突っ込み、折りたたんだ紙を取り出した。

 広げた紙を小熊へと滑らせる。小熊も見覚えのある書類。先日提出した進路希望用紙。

 礼子の名が書かれた用紙の、志望する進路を記入する項目には何も書かれていなかった。

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