第十三話 物量

 午後三時頃に学校を出た小熊が目的地に到着したのは、もうすぐ夕方の六時になろうという時間だった。

 八王子市南大沢。

 今日の午後、担任教師から聞かされた、小熊が指定校推薦を取れるかもしれないと聞かされた大学がある街。

 日野春から甲州街道を延々と走り、相模湖で右に折れて国道四一二号を経由し、橋本で多摩ニュータウン通りに入って少し走った先。

 自分が来年の今頃に暮らす可能性のある街をちょっと見てみようと思ってカブでやってきたが、結局ガソリンを半分ほど使ってしまった。

 目についた駐輪場にカブを停めた小熊は、日暮れ時になってイルミネーションを輝かせるショッピングモールを眺めた。

 街の物量に圧倒されそうになる。


 カブに乗り始めて一年弱。山梨県内はもちろん隣県の主要道路を走り回り、ついこないだは九州ツーリングまで経験した小熊は、初めてカブで東京に来た。

 小熊にとって東京は山梨と県境を接しながらも、近くて遠い場所だった。物理的な距離がちょっと買い物に行くには遠いということもあったが、もしかしたら日本の首都に妙な気負いを抱いていたのかもしれない。

 こんな紺一色の地味な制服でカブに乗って走っていたら、東京の道を行く車やバイク、あるいは歩行者に指差されて田舎者と笑われるかもしれない。東京の道路には道交法に無い独自のルールがあって、それをわかっていないドライバーやライダーはひどい目に遭うのかもしれない。


 実際に山梨から神奈川を経由し、橋本で県境を越えて東京に入った時に、小熊は自分の馬鹿げた杞憂が本当に馬鹿げていたことを知った。

 東京といっても走る車や道行く人は地元の山梨と変わらない。カブもそこらじゅうで見かける。農家の老人や銀行らしき営業社員、あるいは制服姿の高校生。小熊もその中に同化していた。

 行ったことの無い街、知らない世界についてあれこれと考えるより、実際に自分の目で見て確かめたほうがいいということだけはわかった。

 だからこそ、三時間近くかけてここまでやってきた。


 駅前ショッピングモールの駐輪場が二時間まで無料であることを確かめた小熊は、カブを降りて車体にワイヤーロックを掛け、歩き出した。

 小熊は自分が僻地に暮らしているとは思っていなかった。カブで十五分も飛ばせば韮崎のショッピングモールがあるし、三十分で行ける県庁所在地の甲府には、暮らしに必要な物が何でも手に入る

 ちょっと山と緑の豊かな地方都市の甲府は、東京の端っこにある八王子とさほど変わりないという意識は、目の前にあるものの大きさと小熊が今まで見たこともないボリュームに塗り替えられた。


 電気代が幾らになるのか想像もつかないほどライトアップされたショッピングモールには、スーパーマーケットや飲食店、ファッショングッズや観葉植物の店が詰め込まれ、少し歩くと更に大きな別のショッピングセンターがある。

 南大沢の駅舎を挟んだ向こう側に広がるアウトレットモールを見る頃には、胸焼けでもしそうな気分だった。この駅と一体化したアウトレットモールに隣接するような形で、小熊が今日見に来た公立大学がある。


 門衛の詰め所がある大学敷地内に入ることはためらわれたので、外から見るだけで引き返した。駅からの徒歩時間は五分も無いだろうということだけは確かめた。

 その通学の途上で、必要な買い物をほぼ全て済ませることが出来る。途方も無い物量の中で欲しいものが何でも手に入れられる街。

 これでも八王子は東京の中でも郊外になるらしい。小熊は自分がまだカブで訪れたことのない東京都心部はどんな場所だろうかと思った。腰が引ける気分と、どれだけ凄いのか見てやろうという気持ち。


 カブを停めたショッピングモールに戻った小熊は、一階のスーパーマーケットに入り、売り場の端が見えないほど広い店舗内でおにぎりが三つ入った弁当とペットボトルのお茶を買った。

 店内を見回したところ値段は山梨のスーパーと同じくらい。特売品に関してはこっちのほうが安いかもしれない。

 ショピングモールを出てカブを停めた駐輪場に戻った小熊は、カブのシートに座っておにぎりを食べながらお茶を飲んだ。

 空が暗くなってもギラギラと光る街並みを眺めているだけで腹一杯になった気分。


 おにぎりを食べ終え、ゴミを捨てた小熊は、これから百km少々を走って自宅まで戻らなくてはいけないことを思い出し、駐輪場をゼロ円で清算してカブに跨り、エンジンを始動させた。 

 一度乗ったカブから降りた小熊は、少し離れてショッピングモールと自分のスーパーカブを視界に納めた。

 人々の消費で光り輝く物量の王宮とスーパーカブは対極的な存在に見えたが、それはそれで似合っているように思えた。

 もしも大学への進学を決め、この生活のためカブに乗る必要の無さそうな街に暮らすことになっても、たぶん自分はカブに乗り続ける。もしかしたら純粋に楽しみのためカブに乗る日々になるのかもしれない。

 それだけ確認した小熊は再びカブに跨り、山梨までの帰路についた。

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