第四話 クレープパーティー

 小熊と椎がポーチ前の大窓からログハウスに入ると、スパークリングシードルのボトルを片手に持った礼子は、無駄に芝居がかった仕草を交えながら言った。

「二人とも、今日の主賓を忘れてるわよ」

 小熊は肩を竦めながら一度入ったログハウスから外に出ようとした。椎が頭にクエスチョンマークが浮かんだ顔で、小熊と礼子を交互に見ているので、小熊は椎の腕を引きながら一緒にポーチに出た。

 ポーチと呼ばれるログハウス特有の一階ベランダから階段を降りた小熊は、ポーチ前の地面に停めた自分のカブのスタンドを上げ、両手でハンドルを持った。

 そのままカブを押して歩き、ポーチの木製階段に礼子が日曜大工で付け加えた斜面を使ってカブを引き上げる。そのままポーチ経由でカブを大窓から室内に運び入れた。


 椎も理解した様子で、自分のリトルカブを押して階段の斜面に挑んだが、スーパーカブより幾らか軽量とはいえプレス鉄板の車体で一般的なスクータータイプの原付より重いリトルカブを押し上げるのに苦労している様子。

 小熊は手を貸すことをしなかった。これくらいのことが出来ないようなら山梨の山岳地帯でカブを走らせることは難しい。一応助言だけはしておいた。

「腕じゃない」

 リトルカブを少しでも上へと登らせるため両腕を突き出していた椎は、多少なりとも小熊の言いたいことに気づいた様子。腕を自分の体に引き寄せ、体全体を使ってリトルカブを押し上げた。

 伸ばした筋肉は大した力を発揮できないことや、人間の最も強靭な筋肉は胴体についた腹筋と背筋であることは、小熊が普通自動二輪の免許を取った時に、体格に不利のある女性や高齢のシニアライダー、リターンライダーへの指導に熱心だった教官に理論で学ばされ、後にスーパーカブが実地で教えてくれた。


 椎は何とかポーチに上げた自分のリトルカブを、小熊に倣い大窓から室内へと転がしていく。通常は外に置くべきオートバイを部屋の中に入れるのに少し抵抗があった様子だが、勝手知った小熊が当たり前のように自分のスーパーカブを室内のレンガ敷きスペースに停めているのを見て、自分のリトルカブもその隣に並べた。礼子のハンターカブは既に家具の一つのように室内に置かれている。

 いきなりカブを部屋に入れるという難業をこなすことになった椎は一つ深い吐息をついた。体は小さくとも小径ロードレーサーのアレックス・モールトンで日々通学や買い物をしていた椎は、これくらいで息を切らすほどひ弱では無いらしい。

 室内で待っていた礼子が椎に恭しく一礼する。

「ようこそ、ストリングフェロー・ホークの山小屋へ」

 礼子が市街地のマンションではなく、実家が別荘として所有していたログハウスに住む理由となった海外ドラマの主人公の名を、椎は知らないらしい。小熊は礼子がその話を始めると無駄に長くなることだけは知っていた。

「準備は?」

 ドラマに出てきた山小屋についてあれこれと薀蓄を垂れようとした礼子は、その一言で頭を切り替えたらしく、部屋に中心に置かれた2by4材の大型テーブルを手で示した。

「もちろん出来てるわよ!ツマミ食いもしてないわ」

 テーブルに載っていたのは、ガラスのボウルに盛られた幾つかの食材だった。中心にはクリーム色の円柱。椎の目が輝く。

「クレープですか?」

 小熊は頷いた。


 リトルカブを納車した椎のためにお祝いをしようと言い出したのは礼子だった。小熊も特に異存は無かった。発起は礼子でも実際に準備を行うのが自分だということを除けばの話。

 昨日の放課後に礼子の家まで行った小熊は、ホットケーキミックスで作った種を、クレープを焼く時はフライパンより優れている文化鍋の蓋で焼いては重ねた。家で食べるクレープは焼きたてより一晩冷蔵庫で冷やしたほうが美味い。クレープさえ焼ければ、中に入れるフルーツやクリーム、肉や野菜は缶詰や既製品をボウルに開けるだけ、それは礼子にやらせた。テーブルを見た小熊は、礼子の宿題に一応は合格点をつけた。

 礼子が椎に薪ストーブ前の上席を薦め、自分も席につく。小熊はラジオのスイッチを入れ、先日のアンテナ修理でJ-WAVEが入るようになったFMでボサノヴァを流す。

 さっき礼子が抜いたスパークリング・シードルのボトルを手に取った小熊は、シャンパングラスなど無い食器棚になぜか人数分あったブランデー用のチューリップグラスをテーブルに並べ、シードルを注いで席についた。せっかちな礼子は形通りのホストテイスティングを省略し、早速グラスを手に取って口上を述べ始める。

「それでは、恵庭椎ちゃんのリトルカブ納車を祝して、乾杯!」

 グラスを軽く打ち鳴らし、三人でシードルを飲み干した。

 

 礼子の話ではノンアルコールながら何にでも格付けをしたがるフランス野郎が高い評価をしているというル・ボルミエのシードルは悪くない味だったけど、小熊は二杯目から飲み慣れた富士ミネラルの無糖炭酸水に切り替える。

 椎はアルコールの入っていないシードルで暗示的に酔ったような顔をしているので、まだ頭がはっきりしているうちに言っておいた。

「家でカブのキーをつけっぱなしにしていた、あのままだと一と月もしないうちに盗まれる」

 礼子がさっそく二杯目のシードルを注いでいる横で、椎は首を傾げながら聞き返した。

「家のガレージの中でもですか?」

 小熊は頷く。それから言い足した。

「カブは盗まれやすい、停める時は自分がバイク泥棒になった時のことを考えながら停めて、自分にも盗めるものはいずれ誰かに盗まれる」

 喉を鳴らしてシードルを飲んでいた礼子が、けぷっと炭酸ガスを吐いてから言う。

「たぶんあのリトルカブは半径二kmで一番盗みやすい原付になってたわよ。わたしならキーが無くて六十秒あれば十分ね」

 小熊が普段は整備をする時以外、カブをお人形かコレクションのように扱う礼子に室内に入れろと言われても、実用品らしくポーチ前の屋外に停めていることの多い自分のカブを、今日は室内まで運び入れ、椎にもそうさせたのは、今の発言を言行不一致の薄っぺらい言葉にしないためだった。礼子からの注意喚起には、初めから期待していない。

 言いたい事を言った小熊は意識をクレープに切り替えた。クリーム色の円柱から一枚剥がして自分の皿に取り。たぶん缶詰物のローストチキンとシャンピニオン、レタスを乗せる。

 いきなりお説教まがいのことを言われてシードルの酔いが醒めたような顔をしている椎に、小熊は包んだクレープを差し出しながら言った。

「あなたはひとつ覚えた」

 椎は心安らいだような笑顔を浮かべ、クレープを頬張った。それから自分のリトルカブをチラっと見て小さく一言。

「ごめんね」

 

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