ぴりり、と~another eye~


 まかないは、麻婆豆腐丼だった。

 厨房スタッフでもある友人の作るそれは、かなりの本格派。色味からして辛そうな、赤い油が浮いている。花椒の香りなんかも漂って、たまらなく食欲をそそる。その辛さに汗をかきつつ、もちろんお代わりして丼二杯目。

 確かに、おいしい。

 辛みの中にほのかに甘みが感じられ、ニンニクとネギの香ばしさがあって、さらにしっかりしているのにぷるんとした歯ごたえの木綿豆腐によく味が絡んでいる。

 材料を聞いてみたら、結構シンプルだった。

 炒めたネギとニンニク、ひき肉に豆板醤と甜麺醤、一味、それにしょうゆが少々。

 わりと、本格的な四川レシピなのだという。

「中華料理屋で食べるのと同じ味だね」

「基本押さえて作ってるからな」

 そう言いながら、残っていた麻婆豆腐を追加してくれた。好意というよりは、全員が昼のまかないを食べ終えて、余ってしまったものを捨てるのはもったいないから、という感じだ。

「唇ピリピリする」

「一味多めに入れたからなー」

「でもおいしい」

 花椒って、こんなにいい香りだったっけ、と思いながら、追加された分も含めてきっちり完食した。3杯目のお冷を飲みながら額の汗をぬぐっていると、友人がグラスに氷を落としてくれた。

「汗なんかかかなそうな顔してるくせに、代謝いいな」

「かくよ。この前、真夏のキムチ鍋をやった時だって、冷房効いてるのに、汗だくで──」

「……真夏のキムチ鍋、って」

 呆れたような顔をして、友人がつぶやく。

「うん、リクエスト。とにかく大量、キムチ鍋! 暑くても、キムチ鍋! 夏こそ熱いものを食べていっぱい汗をかくんだよ。ちなみに肉は2キロ」

「お前の彼氏、甘すぎだ……」

「俺もそう思う」

「のろけんな」

 そのつもりはないけれど、彼の話になると、俺はいつものろけているように見えるらしい。

 今まで、親しい友人もいなくて、誰かを好きになることもなく、ゲイであることを隠して生きてきた俺は、この年で初めて、ようやく恋人と友人を手に入れた。だから、どこまでがただの会話で、どこからがのろけに変わるのか、皆目見当もつかない。

 俺は、彼が好きだ。

 それを、ようやく、自分以外の他人に話すことができるようになった。浮かれているのは自覚しているが、別にのろけたいというわけじゃない。

 とにかく優しくてかっこよくて料理上手で俺のことを愛してくれている彼のことを話すと、それがのろけに聞こえてしまう、というだけだ。

 そんなことを説明したら、友人は目を据わらせて、無言でぽかりと俺の頭を叩いた。

「それをのろけというんだ、馬鹿者」

 俺は叩かれた頭をさすって、えー、と非難した。

「だって、仕方ないでしょ。本当にかっこいいし、優しいし、心が広くて俺のわがまま受け止めてくれるし、会社でもなかなか優秀らしいし、とっても面倒見いいし──これは彼の同僚さん情報──料理はとにかくおいしくて、キスもエッチも上手い」

「聞いてねえよ」

「それが標準装備だから」

「だから、聞いてねえって」

「──うん、今日の夕飯は、麻婆豆腐にしてもらおおう」

 唐突にそう言った俺に、友人が顔をしかめる。

「お前……今、あんなに大量の麻婆食ったよな? 俺の作ったものじゃ満足しないっていうのかよ?」

 握りこぶしを作って力強く決意していた俺は、友人の言葉に振り返り、首を振った。

「違う違う。すごくおいしかった。でもさ、これは、お店の味なんだよね。お金出して食べるちゃんとした味。──俺が夕飯に食べたいのは、なんていうか、家庭料理的な、自分好みにアレンジ加えまくった味なんだよ」

 力説したら、友人が呆れたように溜め息をついた。

「つまり、大好きな彼氏の作るそれは、お前好みなんだな?」

「そう、店じゃ絶対食べられない味!」

 再びこぶしを握り締め、力強く言い切ったら、友人ががくんと肩を落とした。厨房の隅の俺たちの様子を、ほかのスタッフが時々ちらちらと盗み見していた。話し声までは聞こえていないだろうが、普段は必要最低限のことしか話さない俺がやたら喋っているのが気になるようだ。

「あ、そろそろ休憩終わる」

 椅子から立ち上がり、裏の洗面所で歯を磨いてから店に戻る頃には、いつものように能面みたいな愛想のない顔に戻った。それを見て、友人が、顔をしかめてつぶやいたのが聞こえた。

「お前、二面性あるって言われないか?」

 返事は、してやらなかった。


 麻婆豆腐が食べたいというメールを入れたら、少し遅くなるから買い物をしておいてくれ、と返事が来た。きちんと買ってくるもののリストまで書かれている。

 家に帰ってから、まずは冷凍庫の中のひき肉を取り出した。彼からの指示である。彼が帰ってくる頃には半解凍くらいになっているはずだ。

 洗濯物を取り込んで、きちんと畳み、お米を研いで炊飯器のタイマーをセットしてから出かけた。

 買い物カゴを片手に、まずはリストの食材を揃えていく。

 ショウガは大ぶりでごろんと形のいいもの。節が多くて小さいものは避ける。きゅうりは曲がっていてもいいから、表面がとげとげとしていてみずみずしいものを選ぶ。長ネギは指で押してふかふかしすぎない、だからと言って硬すぎない、ハリのあるものを。野菜の選び方も、彼と付き合いだしてから知った。

 豆腐は3丁。種類は指定されていないから、絹ごしにした。木綿のしっかりした感じもいいのだが、つるつるふるふると口の中に滑り込む絹ごしが、俺は好きだ。彼も絹ごしで作ることの方が多いような気がする。

 こんにゃくが一枚。これは、あまりに俺が食べるので、カサ増しのために入れたらおいしかった、といことで、うちの麻婆豆腐にはわりと定番。柔らかい豆腐とのコントラストが結構面白い。

 サラダ用の春雨。これは、一般的なものよりも、少し太めの物。乾物のコーナーで探して見つけたが、隣のマロニーやくずきりとどう違うんだろう、と首をひねってしまった。

 鮮魚売り場で、中華クラゲも買う。これは、ピリ辛の味付けがしてあるやつ。

 ついでに残り少なくなってきた俺のおやつのストックを補充すべく、お菓子売り場へ向かった。

 小さい子供が母親に買って買ってとねだって泣き出している。その子が持っていたのは申し訳程度にお菓子が入ったキャラクターもののおもちゃだった。それを横目に、俺はいつも通り、欲求に任せてカゴにお菓子を放り込む。子供が泣き止んで、そんな俺をぽかんと見ていた。

 お徳用割れせんべいは必須。スナック菓子やビスケットも、チョコレートも、駄菓子まで買い込む。それからアタリメとチーズたら。

 俺がチーズたらを食べていると、必ず彼がやってきて、それをつまむ。隣に座って、俺と交互に手を伸ばす。

 チーズが大好きだから、思わず手が伸びるのだろう。実は、その様子がなんだかかわいくて、わざと俺はこれを買う。こっちに来てくれないかなあ、なんて思ったときや、構ってほしいときに、袋を開けて罠にかかるのを待つのだ。

 つまり、これは、餌である。

 まんまと騙されて、俺の隣に座った彼に、ぺたんとくっつく。

 チーズたら以外にも、カマンベールチーズやプロセスチーズなんかでも、釣れる。

 丸い箱に入ったアルミに包まれた6つのプロセスチーズは、俺が2つ食べている間に、彼が4つ食べてしまう。いつもと立場が逆になって、それはそれでなんだかとても新鮮だ。 

 ついでだから、ブルーチーズも買っていくことにした。ケーキみたいにカットされたそれを、二人並んでフォークで少しずつ崩しながら食べる。気を付けないと、彼が一人で食べきってしまうから、油断ならない。

 家に帰って、塩蔵ワカメを水につける。塩が抜けたら水気を切って、そのままラップしておく。これも、彼の指示。彼はあまりの料理下手な俺に包丁を持たせたり火を使わせることを渋るが、それ以外なら任せてくれることもある。ただし、手伝いとしては小学生の低学年並みのものばかり。

 俺は買ってきたせんべいをかじりながら、ソファで雑誌をめくって彼の帰りを待つことにした。仕事から帰って来た彼が夕飯を作ることになるから、大抵の場合、うちの夕飯は一般家庭よりも遅い。彼の仕事が定時に終わることはめったにないから、ときには夕飯を作れないこともある。そんな時は、インスタントやコンビニ弁当。一人でそんな夕飯を済ませてしまうと、なんだかとても寂しくて侘びしい。

 雑誌を放ってテレビを見ながらゴマせんべいをかじっていたら、玄関から音がした。俺はソファから立ち上がり、彼を出迎える。

「おかえり」

「ただいま。──遅くなった」

「うん、大丈夫。せんべい食べてた」

「ゴマだな」

 俺の唇の横を指先で拭って、彼が笑う。

「うん、ゴマ」

 彼のカバンを奪い、歩きながら外したネクタイも受け取って、リビングへ。

「ご飯は炊きあがってるよ」

「じゃあ、さっさと作るか」

 スーツを脱いで部屋着に着替えると、彼がキッチンへ向かった。

「あのね、まかないが麻婆豆腐だったんだ」

 ショウガを刻んでいた彼が、顔をしかめてカウンター越しに俺を見た。

「昼に食ったのに、夜もなのか?」

「うん、お昼に食べたら、さらに食べたくなった」

「どういう理屈だよ」

「お店の味と、家庭の味は違うってことだね」

「そりゃそうだな。プロには敵わない」

「うーん、そうじゃなくて、あんたが作ったやつの方が、とにかく食べたくなる味なんだよ」

 お店の料理は、そりゃあおいしい。お金を取って商売しているのだから当たり前だ。

 けれど、お店の料理を毎日食べろと言われたら、きっと、無理だ。

「あんたの作ったものなら、毎日食べても全然飽きない」

 ニンニクとネギもみじん切りにした。

 鍋にお湯を沸かして、春雨をゆでる。表示通りゆでたら、流水で洗って冷やし、水気を切る。きゅうりは縦に半分に切って斜め薄切り、ワカメは一口大に切る。ボウルに豆板醤少々、鶏がらスープの素、ゴマ油、砂糖、酒、しょうゆを加えてよく混ぜる。お酢を加えて溶きのばし、春雨、きゅうり、ワカメ、中華クラゲを加えて和える。いりごまを散らして、中華サラダの完成。これは食べるまで冷蔵庫で冷やしておく。

 小鍋にお湯を沸かし、スライス干しシイタケとスライスきくらげを入れて少し煮る。鶏がらスープの素としょうゆ少々で調味して、千切りの長ネギと溶き卵を流し入れてスープを作る。

 深めのフライパンにごま油を熱し、ニンニクとショウガを炒める。香りが立ったらネギと豚挽き肉を加え、よく炒める。豆板醤を入れ、赤く染まって来たら酒を入れ、鶏がらスープの素と砂糖ほんの少々、醤油、多めのみそを溶きいれる。

「みそ、おいしいんだよね」

「普通は入ってないからな。──甜麺醤とかだろ」

「うん、店のはそうだった」

「みそで味のベース作ると、白飯と合うんだよな」

 そう言いながら、彼はどんどん料理を進める。水を足して汁気を多めにするのも彼流。くつくつと煮立ってきたら絹ごし豆腐を大きめに切って入れ、しばらく煮込む。小さめの色紙切りにしてゆでたこんにゃくも加える。

 豆腐に味が染みて来たら、水溶き片栗粉でとろみをつけてラー油を垂らして山椒を一振りし、完成。大きな鉢に盛り付ける。

 サラダとスープも運んで、俺はご飯をよそった。

「いただきまーす」

 器に取り分けた麻婆豆腐を、レンゲですくって、口に運ぶ、

「おいしい」

 店の味とは全く違う、もっと庶民的で、まったりとみそのコクと風味が優しい、けれど辛みはしっかりとある麻婆豆腐だった。少し崩れた絹ごし豆腐は、ご愛敬。というより、この崩れた感じがまた、たまらなく好きだ。細かくなった豆腐にひき肉が絡んで、白いご飯をともに口に運べば、もう止まらない。

 最初のうちは器からレンゲですくって食べているが、結局ご飯の上に乗せて、一緒に掻っ込む。みそのまろみが日本人のDNAに働きかけ、これは白飯とともに食すべし! と脳のどこかから指令が出されているような気さえする。

 おいしい。

 おいしいおいしいおいしい!

 友人が作ったものだって、それはもうおいしかった。けれど、これは、そう感じる場所が全然違うのだ、と思わずにいられない。

「こんなおいしい麻婆豆腐を一生知らないで死んでいかなくてよかったー」

「大げさだ」

 彼は苦笑する。

「大げさじゃないよ! 店で食べるのだけが麻婆豆腐だと思ってたら、絶対後悔した!」

「気に入ってもらえてなによりだ」

「気に入って、なんてもんじゃないってば。俺の人生における、転機があったね」

「…………」

 彼は呆れたようにレンゲを口に運んだ。

 俺も彼も辛いものが好きだから、その辛みはかなり強め。友人が作った刺激的にも感じるあの辛さとは違うが、このまったりした味に騙されて食べていると、あとからじわじわと口の中がひりついて、額にはじんわりと汗をかく。

 そして、サラダも地味に辛い。けれどお酢でさっぱりと仕上げてあるので、思わず手が伸びてしまう。シンプルな中華スープのおいしさはもちろん言わずもがな。かきたまが優しくふわりと漂っている。

「おいしすぎる」

「昼も夜も麻婆豆腐……お前、今日だけで豆腐何丁食ったんだ?」

「何丁でも、どんとこい」

「…………」

 また呆れたような顔をしつつも、俺が満面の笑みで食べる姿を、嬉しそうに見ていることを、知っている。

 彼は、俺が食べている姿が好きだ、と言う。

「こんな麻婆豆腐が食べられる俺は、多分世界一幸せだと思うよ」

「だから、大げさだって」

 今度はその苦笑に、嬉しそうな表情が見えた。

 ふわりと、スパイスの香りが漂った。

「花椒──?」

 俺は思わずそうつぶやいたが、彼が振り入れていたのは山椒。花椒よりも柔らかく、ほのかに香るそれは、間違いなく日本のスパイス。香りも、刺激も強い花椒とは全く違う、控えめで涼やかにも感じるその香り。

 彼は、麻婆豆腐にみそを入れた。甜麺醤ではなく、ごく普通のみそを。だからこそ、白飯によくあう、とても日本的な味へとアレンジされた。彼の作った麻婆豆腐には、きっと、花椒じゃ香りが強すぎて、馴染まない。

 だから、山椒。

 もちろん、彼のスパイスラックには、花椒だってちゃんとストックされているはずだ。

 それでも、選んだのは、日本の料理にマッチする、日本のスパイス。

「おいしい」

「いっぱい食いな」

「──うん」

 俺はうなずき、茶碗の中で麻婆豆腐丼と化しているそれを、食べた。山椒のぴりっとした辛さが分かった。

 迷うことなく、彼は花椒ではなく、山椒を振った。

 そんなところが、とても好きだ、と思った。

 きっと何度も作って、もっと自分好みにしよう、とか、白米に合うようにしよう、とか、沢山考えたんだろうな、と思った。多分、初めは花椒を振っていたに違いないとも思った。けれどそれは、いつの間にか山椒に変わった。

 友人が作ったのは、本格的な味だった。花椒の強い香りと、辛みに、まるで店でお金を払って食べるちゃんとした中華料理屋の味だと感じた。それはとてもおいしくて、きっと、有名店のものとも引けを取らないほどに、完成されたものだった。

 けれど。

 俺は、彼の作ったこの麻婆豆腐が、好きだ。

 とても俺好みで、ご飯が進んで、毎日食べても飽きない味。

 それに、俺のために、作ってくれたものだから。

 一度気付いてしまったら、山椒の香りは、俺の周りを漂う。

 先に食事を終えた彼が楽しそうに俺を見ていることも気にせず、ひたすら食べ続けた。おいしくて、嬉しくて、なんだか幸せだと思った。

 辛みに侵され、どっぷりと浸かる。コクのある味を、ご飯と一緒に。ぴりりと舌を刺激する。

 その香りはゆらゆらと、俺を包む。彼にも届いていればいい。

 小瓶から、たった一振り。まるでそれは、魔法のように。

 レンゲの上から、ふわりと立ち上がり、ふっと消えた。


 了



 ちなみに、真夏のキムチ鍋のお話は、。


 みそです。

 みそ味なので、日本の味。

 まろやかだけど、しっかり辛いです。

 おいしいよ~。おいしいよ~(洗脳)

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