第5章 してはならないこと(5)

皮肉なもので、白い洋館が火事になったせいで、皆に訊いても分からなかった洋館のことが、たちまちのうちに噂になった。噂によれば、持ち主はイギリス人の家族連れで、日本で仕事をしていたが、イギリスに戻るということで、もう何十年も空き家になっていたという話だった。


牧は、洋館は自分にしか見えない幻か何かなのだろうかと思うこともあったが、この火事で、洋館は実際にあって、夢でも幻でもなかったことが分かった。けれども、何十年も空き家だったというのは、嘘にちがいない。開け放たれていた扉に、飲みかけのティーカップ、牧の見た情景が今もまざまざと蘇る。それが夢だったというのは、牧の中では、やはり信じられなかった。


それからしばらくして、牧はもう一度だけ、白い洋館の跡を訪れた。火事の翌日はテープが張られていて、洋館の敷地内に入ることができなかったが、今は全てはずされていた。


牧はそっと入ると、灰になってしまった壁や廊下や、以前は見事な調度品だった残骸の中を熱心に歩き回った。彼女は洋館の中であったことを証明する何かが残っていないだろうかと思った。しかしどこを見ても、黒く焼け焦げた木片が辺りに転がっているだけで、それらしいものは、何も見つからなかった。


きっともう、何も残っていないのだと、牧が諦めかけたその時、ふと足下を見ると、小さな物が落ちていることに気がついた。拾いあげてみると、それはあの宝箱の鍵だった。この鍵だけは、焼き焦げることもなくあの時の姿のままだった。牧は思わず、その鍵をぎゅっと握りしめた。


(これは私だけの秘密の鍵。白い洋館のことはこの鍵で、私の心に閉じ込めておく。物語のことも、王女のこともすべて)


そう思った瞬間、牧の目から涙があふれ出た。彼女は決意と哀しい気持ちがないまぜになって、急にわっと泣き出すとその場にしゃがみこんで、しばらく泣き続けた。

季節は確実に夏に終わりを告げ、冷たい風の吹く秋へと変わっていった。

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