エスパー VS ジョン・レノン 3

 瞬時、和は頭を思い切りボウリングの球で殴られたかのような衝撃を受けた。

 舌を噛んでしまった。苛立ちを伴って唾を吐く。本の他に、かなり重いものが飛んできたらしい。身体へ吸い寄せられてきたそれを見て絶句する。白目をむいた中年の男だった。気を失った男がとして引き寄せられてきたのだ。その禿げかかった頭部が胸部へ密着する。おぞましいが、引力によって貼り付いたそれは、物理的な力で引っぺがせるものではないように思える。この現象そのものを止めなければならない。

 はじめは針で、次はハサミ、本。そして今は、人間が飛んできた。つまり、引力は時間経過につれて強くなっていくのだろう。

 はやくこの『能力』による攻撃を止めなければ、天井の電灯や本棚やまでもがバキバキと音を立てながら引き寄せられてくるのだろうか。そうなると、もう手遅れだ。

 攻撃者もそれによる圧死を狙っているのか。それ以前に、ハサミによる首の傷も耐え難い。何にせよ、時間ははい。


 先程まで競馬新聞を読んでいたこの男がこうなっているということは、あの眼鏡をかけた若い女。彼女が攻撃者である可能性が濃厚になってきた。さっき、あの女とすれ違ったとき身体がぶつかったことを思い出す。

 それがきっかけか。

 対象にことで何かを作用させるという仕組みは、効果こそ違えど自分のものと同じだ。


 気を失った男が飛んできたのはむしろ好都合だった。心象こそ悪いが、好機チャンスに変換できる。男の身体は『く』の字に曲がった状態で、お辞儀をするような体勢で頭部を和に密着させていた。彼女は、ことを確認し、安堵の息を吐いた。

 これなら、自分の『能力』を使ってここから脱出することができるだろう。

 和は男の頭部に触れた。

 瞬時、男の身体とそれに密着している彼女は、高速で前進を始めた。、和は床に密集する本を弾き飛ばしつつ直進する。前方の男の後頭部に本の角が突き刺さって出血しているが、この際知ったことではない。

 いくら本に進路を阻まれても、和の直進はいっさい減速しない。その間にもあらゆる物体は彼女へ引き寄せられ続けるが、それらを身体に貼り付けながらも前進は続く。

 やがて凄まじい騒音が響き、強い振動が生じた。入り口のガラス戸を破って店の外へ飛び出し。通りの歩道へ躍り出る。

 そこで直進は止まる。男の身体は彼女から離れ、その場で糸の切れたマリオネットのようにぐったりと崩れ落ちる。

 彼女の思惑通り、身体に吸い寄せられていた本もその場に落下した。それと同時に、首に刺さっていたハサミにかかっている圧力が消える。痛みに顔を歪めながら引き抜き、足元に捨てる。

 書店から三十メートル程度離れたことで、敵の視界から外れることに成功したようだ。やはりこの攻撃は能動的なものだ。

 和は後ろを振り返り、書店のほうを見る。ガラスは割れ、本は飛び散ちっている。震災直後のような有様だ。

 周囲を見渡し、店内にいた若い女の姿を発見する。彼女はそこから全速力で逃げ出そうとしていた。

 彼女は腰を屈め、自身の足を手で触れた。逃げ出そうとした女の背後まで『滑り』、即座に移動する。

 肩を掴む。

 眼鏡をかけた彼女は振り向きざま、露骨に目を見開いた。

 和は平手で彼女の眼鏡を弾いた。指先が軽く触れたにすぎないが、眼鏡は彼女の顔面を滑るようにたやすく飛び、アスファルトに落ちる。

「引き寄せる能力……? いや、引き寄せさせる能力か。随分派手なことやりますね」

 和は詰め寄り、とっさに左手で彼女の胸を突いた。

 彼女は後ろに尻もちをつき、そのまま一直線上に、アスファルトの地面をカーリングのようにいった。五メートル先にあった公園のフェンスにガシャンと音を立ててぶつかり、停止する。



 山県やまがた 理真りまは悔やんだ。

 あっ、やべぇ、やりすぎた――そう思った時には既に遅し、店内は嵐の後のように滅茶苦茶だ。これでは能力を使った意味がまるでない。

 引力の制御コントロールをしくじってしまった。ここまでやるつもりはなく、あくまでハサミさえ喉の奥に突き刺せればよかったのだが……

 自身の能力を過信していた節がある。これでは他の能力者たちを倒すなど、夢のまた夢だ……眼鏡を奪われて、ぼやけた視界のさなかで彼女は思う。


「危なかった、死にかけたぁ……。随分陰湿な攻撃の仕方しますね」

 和は山県の方へ近づいた。フェンスに身体を預ける彼女へ言う。

「立ち上がろうとしても無駄です。あなたの足にかかる摩擦を無くしました」

 身体的なダメージは少ない。山県はその場から立ち上がろうとする。しかし、和の言葉通り、足で地面を押して腰を上げることができなかった。アスファルトの地面であるのにも関わらず、靴が氷上のように滑る。起き上がるために体重をかけようとすると、対軸が崩れてしまう。

 しばらく立ち上がろうと試みるも、結果は変わらなかった。息を切らしつつ、山県はフェンスにもたれかかったままうずくまる。


 こいつの持つ超能力とは、対象から摩擦を奪うというものなのか。あるいは、更にのか。

 身を隔てるものは何もないのに、ここから一歩も動くことができない。


 和はしばらく山県を見下ろしたあと、顎をクイと上げる。立て、というジェスチャーに見える。山県は反射的に腰を上げた。摩擦が元に戻っているようだ。普通に立てるようになった。

「超能力者……なんだよね。私と一緒の……」

「お前とは違う」

 山県は悪態を吐きつつ、一歩前へ踏み出そうとする。しかし、足が前に出ない。足が動かない? 違う。腱も膝も、脚は問題なく動き、意識もある。ただ、靴底がべったりと、まるで溶接したかように地面から離れない。ネズミやゴキブリを捕るための粘着性の罠を思い浮かべるが、粘着ではなくこれもまた摩擦だ。地面と足の間に発生する摩擦が、今度は増大している。この女、金城和は触ったものの摩擦を操作するのか。


 山県は失笑した。やるならやれよ、腹をくくる。


「あんたも後藤に声かけられたんでしょ。いくら金積まれたんですか」

 沈黙する山県をじろじろと眺めつつ、和は投げかける。

「私ね……端っから裏切るつもりだったんですよ。あんな連中にビートルズを殺されるのなんて嫌だし、どうせならこの力、何かを『守る』ために使ったらカッコいいじゃないですか」


 山県は目を見開いた。

「本当なの」

「そうですよ。だって聞きたいじゃないですか、ナマのペーパーバック・ライター とか」


 山県はうつむく。

「じゃあ、あれだよ。あたしはあんたの味方だよ、金城和」

「もっとマシな詭弁ウソ使ってくださいよ」

「あのね、あたしは……」

 意表を突かれた。志を同じくする人間が、あの面子の中にいたとは。金城和の言うことが真実なら、彼女と手を組むべきだ。

「和、ちょっと話を聞いてほしいんだけど……」

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