可愛いって言って

上野の居酒屋を5件も6件もはしごするうちに、だんだん意識が朦朧としてきた。金曜日なのをいいことに、後先考えずに焼酎からウイスキー、カクテルを飲んでいる。


「ほら波留、そんな飲んだら明日ひどいことになるよ」

「休みだからいいんだもん。智くんも飲も?」


ここ最近情緒不安だった。仕事で嫌なことがあった訳ではなく、むしろ業務は安定している。原因は恋愛、すなわち目の前にいる智とのことだった。


ほぼ毎週末の逢瀬を重ねて半年、付き合うとか好きとかそんな話は一切ない。セフレの関係が続く一方で、波留は恋心だけを募らせている。

セフレとしては会う頻度が一定で、デートもするので余計に割り切れない。

抱かれるごとに布団にくるまり声を出さずに泣き、バイバイした後に家で声をあげて泣く。ひどい時なんて駅で手を振り、智が背を向けた瞬間に涙が止まらなくなるのだ。


「ねえ、元カノって可愛かった?」

元カノの私物がまだ家にあるとひょんな会話から知って、波留はすでに泣きそうだった。飲むと、涙腺はさらに緩くなる。だが彼の前では我慢する。


「可愛かったよ。読者モデルやってたし」


見えない敵、可愛い元カノ。

(私、一回も可愛いって言ってもらったことない)

元カノを悪く言う男はもちろん願い下げだが、そこはフォローの一つもして欲しい。


「写真ないの?」

「無いね。写真は元カノの携帯で撮ってたし」

「でも携帯で撮った写真、LINEで送ってくれたでしょ?」

「うん、でも保存しないからなあ」


智は、会えないときに付き合っている相手の写真を見て寂しさを紛らわせるなんてことしないのだろう。


どやどやと、団体客が狭い店に入ってきた。椅子を詰めてスペースを空ける。

「お、オネーサンありがとう。一人?」

「おい、んな訳ねえだろ、お、彼氏イケメンだねえ」

「ほんとだなあ、モデルみたいだ。あ、とりあえず生3つ!」

40代のサラリーマンたちは狭いテーブルを囲んで、ワイワイと会話に戻っていった。

そう、あばたもえくぼではなく、他人が見ても智はきれいな顔をしているのだ。そして、『美男美女のカップルだね』と言われないことが、波留の容姿のレベルを物語っている。


店を出て、ラブホテルを探した。智の家に行くこともあれば、波留の部屋のときもある。気分を変えて、ラブホテルのこともある。時間が遅いこともあり、湯島まで歩いて適当なホテルに入った。


揺さぶられたら頭が痛くなりそうなほど、アルコールを摂取した。二日酔いになる程飲んでからじゃないと、言えないことがこの世の中にはありすぎる。

「…ね、私にも、可愛いって言ってよ」


コートも脱がない状態で、波留は智を押し倒した。上に跨り、腰を軽く揺らす。

キュートに媚びて、駄々をこねるように。重くならないようにいたずらな視線を送る。

波留には、これが精一杯だった。

でも智は、じっと波留の目を覗き込み、慈しむような笑みを浮かべた。

「波留が、一番可愛いよ」

本当にそう思っているかのように囁かれた。

基本的に、智が軽くてチャラい男だと言うことを時々都合よく忘れてしまう。

「…ずるい」


(じゃあ好きって言ってよ)

喉まで出かかって、止めた。

(可愛いって、愛す可しって書くんだよ)


腰をかがめ、貪るようにキスをした。

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