第二章 救済の義国編

第1話 非日常への思い

 人生というものはいとも簡単に変わってしまうものだ。どんな苦境も一発逆転でひっくり返すことができる一方で、絶対的な幸福の人間が真っ逆さまに不幸のどん底へと簡単に落ちていく。苦境と幸福の個人差はあるけれど、多くの場合が大小にかかわらずその可能性を秘めている。

 ごく普通に学校へ通い、当たり前のように勉強をして、級友たちと会話をして、そして目覚めた家に帰る。その当たり前の日常の中にも苦境と幸福が混在している。誰かと出会う日々に幸福を感じる者、一方で会いたくない人間と出会う日常を苦境に感じる者。人と接するという一点においてもその捉え方は相手や自分の状況において様々。それはこの世に生きる者、人間が社会を構築してその社会の枠組みの中で生きている以上は避けられないことだ。


 とある場所にごく普通に一人の少年が生きていた。背はさほど大きくはなく、体の線も細い方だ。運動は得意そうではなく、小心者ということもあって彼は日常生活の多くを受け身で生きてきた。その結果、その受け身の性格を都合よく利用した級友たちからの接触は徐々に過度なものへと変わっていき、最終的には感化されるべきではない『いじめ』と呼ばれるレベルにまで達してしまう。

 普通ならばその最中で反抗したり抵抗したりして解決策を見い出そうとするものだが、段階的に進んでいく酷さと当人の受け身な性格、さらには周囲の人間が作り出す環境の影響もあっただろう。その結果、少年はついに自らの命を捨ててもよいと自暴自棄になり、いじめっ子と呼ばれる者達から逃げ出すように大きな橋から身を投げた。

 少年は救助されたものの一月以上目を覚ますことはなく、事件として扱われるべき事柄も少年が死ななかったことやいじめっ子たちが口裏を合わせていたこと、さらに少年が目を覚まさなかったことから少年の口から語られることがなかったことなどもあり、少年が目覚めた時にはすでにいじめによる自殺未遂の話題は下火になってしまっていた。

 そこで本来ならば、いじめられっ子であった少年は再び学校へ行こうという意思は見せないだろう。しかし少年は目が覚めてから数日で退院し、即日学校へと登校。そこで絡んできたいじめっ子たちをまるで別人のようにあしらい、罠にかけて停学処分や転校を余儀なくされる状況へと追い込んだ。そう、目覚めた少年はあっという間に自らの敵をその頭脳と立ち回りの巧みさで排除してしまったのだ。


 敵がいなくなった少年の生活は一変した。今までおびえて通っていた学校ではもう怖いものはなくなり、いじめっ子たちをよく思わなかった級友たちからは英雄扱い。学業にも専念した結果、学校内でも上位に入る成績になるなどまさに別人。いじめによる決死の行動が少年にどのような変化を及ぼしたのかはわからないが、少年が前向きに一人の人間として歩むことができるようになった現実。それはいじめっ子たちを除くすべての人達にとって喜ばしいことではないだろうか。


 家から近い図書館。そこで一人の少年が数冊の本をテーブルに積み上げている。その本の題名は小難しいものばかりで、種類は軍記物や政治経済や農業関連など多岐に渡る。しかし少年はその本はただ積み上げているだけで読んではいない。少年が読んでいるのは図書館に保管されている新聞に記されている一つの記事だった。

「うわぁ・・・

 こんな書かれ方されるの?

 インタビューで答えた内容とズレてるよ」

 新聞の記事に独り言で苦言を呈する少年。夏休みに入るその日に起きたいじめによる自殺未遂を覚えていた記者が追跡調査を行い、夏休み明けの数日でいじめっ子の全てを駆除してしまった少年を記事に取り上げたのだ。

 その記事の内容は少々オーバーに、いわゆる盛って書くという書き方がなされていた。嘘は書いていないが真実ではない、空想や思い込みが多く反映されてはいるが現実に起こったことがおおもとにある。そのため記事にはその当人が読んでも信憑性がないわけでもなく、多くの人はこの記事を読んで真実を見るのとは違う感想を抱くのだろう。

「でもまぁ・・・

 本当のことを言っても誰も信じないよね」

 少年は新聞を折りたたんでテーブルの隅に置き、積み重ねていた小難しい本の山から一冊を手に取って読み始める。あの夏の日以降興味を持ったものが書かれている本は手あたり次第時間の許す限り目を通した。この図書館にあってまだ読んでいない少年が興味を持っている本はもうほとんど残っていないだろう。

「戦国時代に行ってきた・・・なんてね」

 少年の頭の中に思い出がよみがえる。たった一夏、しかし何物にも代えがたい経験となった一夏。右も左もわからない自分を拾ってくれた少女、迎え入れてくれた武家。迫りくる危機を乗り越え、はるかに強大な力を持つ二つの領国を手中に収めた。長いようで短いあっという間の出来事だったが、その記憶は昨日のことのように思い出すことができる。

「でも現代に帰って来てから結構調べたけど、僕がいた『灰原家』なんて武家は全然見つからないんだよね

 ただの夢だったのか、それともそもそも歴史に名を刻まないような辺鄙なところの弱小武家の話だったのか・・・」

 どれだけ探しても見つからない理由は思い当たるのだが、どれも確定した理由にはならない。現代の現実の中で探した結果見つからなかっただけに過ぎない。もう一度あの世界あの時代へ行くことができれば、本当に過去にあった出来事で自分のご先祖様に係わっているのか、その真実がわかるかもしれない。

「でも、あれ以降何もないんだよね」

 橋から飛び降りて生死をさまよった。その時に見た夢と考えるのが妥当だ。故に日常生活を普通に送っていては到底たどり着くことができない世界なのかもしれない。生死をさまよった人間がまるで別人のように変わったという話は意外と多い。もしかすると彼らも何かしらの夢を見たのだろうか、少年は本を開いてはいるが読まずに頭の中であれやこれやと考えていた。

 考えは脱線しては元に戻り、また脱線しては元に戻り、しかし結局答えと呼べるような結末には到達することはないまま時間だけが過ぎて行った。

 思慮に耽る少年の耳にアナウンスが聞こえてきた。まもなく図書館を閉館するというアナウンスだ。それを見て少年は図書館の壁にかけられている時計に目を向ける。

「あちゃー・・・

 またやっちゃったよ

 最近勉強よりいろいろ考える時間の方が長くなってきたかも

 年明けには受験だっていうのに、このままで大丈夫かな?」

 時間を決めて図書館で本を読むつもりだった少年。しかしその思いに反して予定の時間を大幅に超過してしまった。自らの受験を心配する一方で、自らの思慮の時間に費やしたことに関しては何故か後悔していなかった。

「僕、変わり者なんだろうな

 きっと平和がいいって思いながらも、心の奥底ではあの場所に帰りたいって思っているんだ」

 いつ戦争に巻き込まれるかわからない戦国の世。平和を愛するということは当然戦国の世を忌み嫌うはずだが、なぜかその忌み嫌う感情が湧き起ることはなかった。それどころか真逆、故郷を思うような帰省の哀愁ともいえる感情が湧いて出て来る。

 生きづらい世界だとわかっていながらも、その不自由な世界で生きていくことにプラス思考を抱いている。不自由で生きづらい世界で快適と平和を作るという創造主にとって代わるような快感か、大きなことを成し遂げて大勢の人の役に立ったという達成感か、戦争に携わり緊張感の中で勝利を手に入れた高揚感か、戦国の世で出会った人々と離れ離れになっている寂しさか。理由一つではなく多岐に渡り、その理由の一つ一つが重なって少年は戦国の世を恋しく思っている。

「琴乃さんや雪絵さんにも・・・会いたいな」

 厳しい時もあったが、楽しい時もあった。その時に出会った人たち、とりわけ異性として憧れた彼女達のことも当然記憶から消えていることなどなかった。郷愁とは少し違うのだが、自分がある意味生まれ変わった時と場所。第二の故郷と言っても過言ではない。

「・・・帰ろうか」

 しかしどうしてあの時あの場所へ行くことができたのかはわからない。どれだけ思っても行く方法が見つからない。その絶対に叶えることが不可能な願いに対して諦めの思いを抱きながら、少年は積み上げた本と新聞を片付けて図書館を後にすることとした。


 図書館の外に出た少年は温度の違いを肌で感じて首をすくめ、着ている上着の襟元をキュッと締めて寒さに耐える。すでに年の瀬に近い。学校の冬休みを迎えて間もないこの時期は繁華街を中心に明るく色めき立っているが、その明るさや騒がしさを平年以下の気温に押しとどめる寒気が水を差すように包み込んでいた。

「うぅ・・・寒い・・・」

 今が何度かを確認するまでもない息の白さ。寒さを警戒しなければ体調を崩すということが目に見えてわかる。まだそこまで遅い時間ではないが、冬特有の日暮れの速さからか周囲はすでに夜の帳が降りつつある。

「早く帰ろう」

 家路につく少年の足で家までそう遠くはない。寒さに耐えながらも十分我慢できる時間内に家に着く。しかし寒さに急かされるかのように、少年の足は自然と速くなっている。無意識に速く歩いていた。

 無意識に急ぎ足となっているとはいえ、少年は交通ルールを守って帰路を進む。信号を守り、横断歩道のない車道は横断せず、十字路では必ず車が来ていないかを確認する。受験を控えたこの時期に体調不良や不慮の事故に等なってしまえば一生の不覚だ。それだけはあってはならないと少年は自分自身に言い聞かせる。

 真面目に慎重に家への道を歩いていた少年。日が暮れたことで明るくはないとはいえ、街頭や家々の明かりでその少年の姿を確認することはそこまで難しいことではない。そんな少年の周囲が急に明るく照らされる。

「・・・え?」

 まるでスポットライトを浴びたかのように明るく照らされる少年は、その光が自らに当てられている方向へと目を向ける。そこには自分を眩しく照らすライト、そしてエンジン音が耳に飛び込んでくる。咄嗟のことで少年がライトを確認したのは一瞬。そのライトが車によるものなのか、バイクによるものなのかもわからなかった。ただ自分が明るくライトで照らされ、エンジン音とともに明かりが自分に向かってきていることだけがわかった。

「・・・!」

 そしてその次の瞬間、少年の体は大きな衝撃と共に吹っ飛ばされる。今まで案じたことの無い衝撃に少年の目に映る光景は歪み、あの時以降何かにつけて頼ることが多くなった頭の回転は極端に鈍くなる。ただ今わかること、それは車かバイクに撥ねられ大きな衝撃と共に冬の町に自分が横たわっていることだけだった。

「・・・」

 言葉は出ない。体は衝撃のわりに痛みはなかったが、感覚まで一緒に失ってしまったのかピクリとも動いてくれない。衝撃により鈍くなった意識が徐々に暗転していき、なんとなく意識を失うのだろうということが直感でわかった。死を前にして鋭敏に働く直感のようなものが、現状を自分にゼロコンマ一秒以下の速さで知らせてくれる。

(・・・あれ?

 ブレーキ音・・・したっけ?)

 遠のいていく意識の中、心の中に残った一つの疑問と共に、少年の意識は夜の帳が完全に降り切っていく町と同じように、漆黒の闇に包まれていくのだった。

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