第4話1-4.魔物と悪魔

 手袋は指のつけ根や関節部分が盛り上がるような加工が施されていた。女性に似つかわしくない、ごつい衣類を填めた麻衣はパンパンと二回手を合わせる。


「それじゃ〝魔物〟様と対面といこうか」

「戦うんですか?」

「当然だよ。私とクレアが死ぬか逃げれば、自動的にキミも死ぬからね」

「あの雨合羽の人が、砲丸をぶつけられても平気なぐらいタフなのは解りましたけど、僕を殺しに来るというのがちょっと……」

「ピンと来ない? だろうね」

「はい」

「百聞は一見に如かずだよ。自分の目で見てご覧」


 麻衣は背後を振り返り、雨合羽が通路の中程まで来ているのを確かめてから、部屋の出入り口を指し示した。彼女は志光を従えて次の扉をくぐる。


 通路には雨合羽が立っていた。フードが脱げていたので顔が見えたが、人間からはほど遠い。鼻から上は、ハエトリグモのような眼が幾つもついている。


「うわっ!」


 〝怪物〟の異形に志光が目を剥いた。これではフードが脱げないはずだ。


 その場で雨合羽を引き千切った〝怪物〟の全身は、腹部を除いて甲虫のような黒い殻で覆われていた。その腹部はすぐゴム人形のように上下に引き伸ばされ、下半身は立ったままで上半身だけが背後に倒れ込む。


 通路の床で仰向けになった上半身は横方向に伸び、頭部が胸部の位置に移動すると、あばらのように見える節足が胴体部分から飛び出した。下半身部分は真ん中か二つに裂け、脚部がそれぞれ刃のような形状に変化する。


「凄いギミックだな。カニ男? でも、ハサミではないねえ」


 口笛を吹いた麻衣は右足を半歩引いて、身体を正面から約六十度の角度に曲げると、両拳を顔の高さにまで上げて、ボクシングのファイティングポーズをとった。


「志光君。アタシがこいつを始末するまで、キミは床の上でうつ伏せに伏せていてくれ。あいつの攻撃が当たったら、君の身体は真っ二つだろうからね」


 赤毛の女性がそう言うと、彼女のグローブに覆われた手が青く輝きだした。地面に伏せた志光は、下からチェレンコフ放射のように青く揺らめく二つの拳を見上げて息を呑む。


 カニ男と呼ばれた〝怪物〟の、かつて脚だった部分が、狭い通路の上方に振り上げられた。麻衣は右足のかかとを上げ、肩を軽く上下させながら相手の動きを待つ。


 カニ男は刃に変化した脚を二本同時に振り下ろした。右足で地面を蹴った赤毛の女性は左斜め前に移動することで、上方からの攻撃を易々と避けた。


 二本の刃がコンクリート製の床を叩き、めり込む音が通路に響き渡った。カニ男が次の攻撃を行うために、刃をもう一度振り上げようとした時には、麻衣の身体は変形した上半身の間近にあった。


「シッ!」


 歯の間から息を漏らし、腹筋を固めながら、赤毛の女性は地面すれすれで右アッパーを放った。手袋に覆われた拳がカニ男の頭部に命中すると、青い光がその表面に乗り移る。


 光は異様な形状をした頭部に吸い込まれるように消失した。すると、カニ男は唐突に痙攣し始める。


「今度寄越す刺客には、格闘技の経験も身につけさせるんだね。左脚が前に出ている格好なら、こっちから見て左側に動きやすいに決まっているじゃないか」


 詰まらなそうにそう言った麻衣は、バックステップでカニ男の攻撃範囲から遠ざかった。彼女が脱力すると、拳に取り憑いていた青い光も消える。


 そこにクレアが現れた。彼女は自分の背丈よりも長く大きなライフルを抱えていた。


「あら。もう終わってしまったのね。さすが副棟梁」

「違う。コイツが弱いんだ」


 ファイティングポーズを解いた麻衣は大きく肩をすくめてみせる。


「ただ、爆発の危険はある。巻き添えを食らいたくなければ、近寄らない方が良いね」

「そうするわ。とどめは刺しておく?」

「頼むよ」


 麻衣から頼まれたクレアは長大なライフルを両手で構え、床に突っ伏している志光に注意を促した。


「志光君。凄い音がするから、両手で耳を覆って」

「はい」


 志光が両手の平で耳を塞ぐのを見た背の高い女性は、ライフルのトリガーを引いた。凄まじい爆発音が通路に反響し、動きを止めたカニ男の頭部が破裂する。


 すると〝怪物〟の身体全体が崩れだした。まるで砂で出来ていたかのように、微細な粒になると、通路の上で広がって動かなくなる。もしも、ここが地上だったなら、風の一吹きで散り散りになってしまいそうだ。


「さすが二十ミリ。破壊力が違うねえ」


 麻衣はそう言いながらしゃがみこみ、ライフルから排出された空薬莢を拾い上げた。クレアは長大なライフルを軽々と抱え、唇を真一文字に引き締める。


「この〝魔物〟の力が弱いのは、あまり良い知らせでは無いと思うわ」

「どうして?」

「白誇連合は、現実世界で私の居場所を探したくて、さっきの〝魔物〟を送り込んだはずよ」

「つまり、偵察車両みたいなもの?」

「ええ。力が落ちても数を揃えることを優先した、と考えるのが妥当だと思うわ」

「さすが〝アソシエーション〟のアドバイザーだね。そこまで考えていなかったよ」


 麻衣は片手で頭を掻くと、両手で耳を塞いだ状態で床に張り付いている志光を見下ろした。


「もう良いよ。立って」

「…………」


 だが、志光はぴくりとも動かない。


「ああ。耳を塞いでいるから聞こえないのか」


 彼女は苦笑すると再びしゃがみこみ、少年の股間に手をこじ入れた。


「うわっ!」


 セクハラを受けた少年は驚いて耳から手を離し、四つん這いの姿勢になった。麻衣は笑いながら、もう一度同じ台詞を口にする。


「終わったよ。もう、立っても大丈夫」

「は、はあ……」

「ひょっとして、まだ混乱してる?」

「そ、そりゃそうですよ。父さんの遺産を受けとりに来たはずなのに、それが原因で命を狙われているって言われてから、こんな見たことも無い地下室に連れてこられて……」

「〝魔物〟と私が戦う様子を見学させられた、と。そういうことだよね?」

「それで混乱しない方がおかしくないですか? 正直言って、まだ現実感が無いというか……」

「解るよ。アタシも初めはそうだったからね」


 深く頷いた麻衣はその場から立ち上がり、志光に手を差し伸べた。


「さっきの部屋に戻ろう。それほど長い時間では無いと思うが、クレアとアタシで君が知りたいことをできるだけ説明するよ」


 身体の向きを変え、赤毛の女性の顔を覗き込んだ志光は、少し経ってから頷いて彼女の手を握りしめた。

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