第1話 アルヴォン飛脚2章 ニアの街1

 ニアの町の門までたどり着いたのはもうかなり陽が高くなってからだった。ニアはアルヴォン大山塊の中では珍しくかなり広い平地になっているアザニア盆地の中に造られた町だ。町の後背にはアザニア湖が控えていて、水も豊富で農業も盛んだった。農地の周りを柵で囲って野生動物の侵入を防ぎ、町の周りは高い壁で守っていた。


 ニアでアルヴォンを東西に横断するニア街道と、南北に走るカンディア街道が交差する。アルヴォンの山人やまびと以外の人間はこの二つの街道と、それに付随するいくつかの小さな道のほかは入ることができなかった。山人達が嫌うからだ。下手に入り込んだりすれば二度と出てこられないという噂もあり、それが決して噂だけではないことをタギは知っていた。そしてそういう事態は決して自然条件だけから発生するものではなかった。


 ニアから東のニア街道を東ニア街道といい、ニアから西を西ニア街道という。ニアからアルヴォン南麓のカンディアまでの南カンディア街道は、アルヴォン大山塊の中で唯一荷馬車が通れる道だということもあって、ニアは外から入ってくる品物も豊富だった。アルヴォンで作られる品々、主には毛皮や、木工品、それに紙類だったがそれもニアに集められてカンディアに運ばれる。


 昨日ニアに泊まった旅人達を送り出し、今日泊まる旅人達が着くまでにはまだ時間がある所為もあって、ニアの市門の門番は一人だけだった。タギとランをみてびっくりしたようにみえた。

 ニアの門でニア街道の通行税を払った。一人銀貨一枚、一アルゲスというのが決まりだった。それで日付の入った鑑札が渡される。西ニア街道を西にたどるとき、東ニア街道を東にたどるとき、そして南カンディア街道を南に下るときにはこの鑑札が必要になる。ニアがアルヴォン大山塊の中に散在するいくつかの町の中心だった。旅人にはニアを通らずにアルヴォンを行き来することはできない。だからニアでまとめて通行税を取る。他の街道沿いの町はあとでニアが集めた税の分配を受けることができた。


 アルヴォンには全体をまとめて支配するような領主はいなかった。それぞれの町が独自に自治組織を持っていた。代々特定の一族に支配されている町もあったし、自分たちの代表を選んで町の方針を決めている町もあった。どんな体制をとっていてもアルヴォン山中にある町々は、様々なことでまとまって動くことが多かった。もしアルヴォン以外の勢力が山中に入り込んだりしたら、彼らはその勢力を追い出すために同盟して戦った。人の数は決して多くはなかったが、山中の過酷な暮らしはアルヴォンの山人を剽悍な兵士にしていた。山中は山人のホームグラウンドでもあり、彼らを相手にして外から入り込んだ勢力に勝ち目はなかった。だから自己の勢力を伸ばすのに懸命な領主達もアルヴォンには手を出さなかった。良質な材木と毛皮が取れる以外にメリットはなかったし、メリットに比べてアルヴォンに手を出す負担は大きすぎた。


 ニアに入ってタギはなじみの旅籠に向かった。『二つの暖炉亭』というその旅籠の前でひげもじゃの太った男がパイプを口にロッキングチェアを揺らしていた。昨夜泊まった客を送り出し、後かたづけをして一息ついているといった風情だった。タギを見ると立ち上がった。満面に笑みを浮かべている。


「タギじゃないか!今頃どうしたんだ?まさか今着いたわけでもあるまいに。それとも昨夜は他の旅籠に泊まったのか?」

「まさか。ニアで『二つの暖炉亭』以外に泊まるなんてことはしないよ。今着いたのさ、昨夜は野宿だよ。日暮れまでにたどり着けなくてね。それよりダロウ、まだ朝めしを食べてないんだ。何か食わせてくれないか?」


 ダロウと呼ばれた男は目を丸くして、わざとらしく驚いて見せた。


「あんたでも時間の計算を間違うなんてことがあるんだな。朝めしに用意したのは全部はけてしまったけれど、アリーに言って何か作らせるよ。ん?そのかわいいお連れさんの分もいるのかな?」


 ダロウはタギの陰に隠れるように佇んでいるランに目をとめてそう言った。


「頼むよ。それにこの子の馬をなくしたんだ。一頭都合して欲しいんだが」


 ダロウはにんまりと笑った。宿と食事以外の商売ができる。タギはいつも金払いのきれいな客だった。


「いいとも。いつもの値でいいな?」


 タギが頷くのを見もせずにダロウは建物の中へ入っていった。タギとランも続いた。正面の入り口を入ったところが食堂をかねた広間になっていて、名前の通り、向かい合った壁に大きな暖炉が一つずつ作ってあった。タギは荷を下ろして、椅子に腰掛けた。ランもその隣の椅子に座った。暖炉は今は火を落としてある。ダロウが奥に向かって叫んだ。


「アリー、アリーっ。タギが来てるんだ。何か食い物を作ってくれ!」



厨房への通路から太った女が顔を出した。髪を後ろで束ねて白い布でとめ、エプロンを着けて、袖をまくり上げている。袖からむき出しになった腕が太くたくましかった。


「うるさいね、そんなに怒鳴らなくたって聞こえるよ!」


 ひとしきりダロウに向かって文句を言ってから、その場にタギがいるのに気づいた。


「おやタギ、今頃お越しかい?」

「ああ、アリー。申し訳ないが腹ぺこなんだ。この子の分も何か食うものを頼むよ」


 アリーがにっこり笑った。いかにも世話好きな感じのする笑顔だった。


「ちょっと待っとくれ、すぐ作るから」


 アリーはすぐに厨房に引っ込んだ。ダロウがタギの側の椅子に腰を下ろした。


「今回は人も運んでいるってわけかい?馬をなくすなんてあんたらしくもない」

「四里ほど東に街道が崩れたところがあるだろう。あそこで足を滑らせたんだ」

「道が崩れていたって馬の足を滑らすなんてことがあるのか、あんたともあろう者が。まあ、タギがそう言うならそういうことにしておこう。それで遅れたってわけかい?で、今晩は泊まっていくんだろう?」


 タギが意外なことを聞くといった風情でダロウを見た。


「おいおい、まだ昼前だぜ、どうしてニア泊まりなんて話になるんだ?」

「あんた達は今から飯を食べるだろ、俺が馬を取りに行くのに小半刻はかかる。昼は過ぎるぜ。西に向かうんだろ、あんたの足でも日暮れまでにカディスに着くのはぎりぎりだぜ。まして子供連れだ。馬に乗せたって着きゃしないよ。それに昼から雨が降る」


 雨の気配はタギも感じていた。南からの風が湿気を含んでいる。ダロウがさらに言った。


「そっちのかわいいお連れさんが風邪を引くぜ。秋の雨は冷たいからな。風邪なんか引かせちゃ、依頼主に文句を言われるんじゃないか」


 言われてみればその通りだった。一人ならともかく、子供連れでは半日でカディスまでというのは無理だった。二晩続けての野宿なんてぞっとしない。まして雨のせいで地面が濡れていたりするとますますぞっとしない。タギが観念したようにダロウに言った。


「そうだな、仕方がないか。一晩やっかいになるよ」


 ダロウは満腹したネコが見せるような顔でにやにやと頷いた。アリーが料理を両手一杯に持ってきた。肉と野菜を入れたスープとパン、切り分けられたチーズが盆の上に乗っていた。湯気の立っている料理はおいしそうで、量もたっぷりあった。昨夜の食事が少なく、朝も食べていない所為でタギもランも一心に食物に取り組んだ。温かいスープが体の中に落ちていくと芯から暖まった。

 

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