第2話 ブレイブ・ワールド

 身に着けているのは粗雑な綿の服。足元には底の部分にだけ動物のなめし革を利用した厚手の靴。

 その上に裾の長い黒のローブを羽織る。

 襟の内側にある長い髪を両手で払い、後ろに流した。

 最後に台の上に置いてあった広いツバのある三角帽を手に取って頭の上に載せる。


「こんな感じでいいのかしら?」


 これで初期装備は完璧。

 姿見に映った自分の恰好を確かめる。

 見た目だけなら立派な魔法使いだ。

 もっともレベルは1なので、使える魔法はひとつしかない。

 それも威力の低い攻撃魔法。戦力としては何ひとつ期待できるものではない。

 鏡に映る自分の顔。両親や親戚は合うたびに「かわいい」と言ってくれる。

 友達からは普通だねと言われた。

 異性から告白された経験はいまもってない。つまりはその程度だ。

 肩口まで伸ばしたまっすぐな髪はちょっと自慢だ。

 色素が薄いのか、陽光にさらすときらめくような輝きを見せる。

 背の高さは人並み、スタイルも人並であると信じたい。

 それがわたし星光マリの容姿である。


「おー! よく似合ってるじゃない、マリ」


 人が着替えている様子を無遠慮に眺めながら、無邪気な感想を寄越してくるのはカオリだった。

 彼女は防御力が高そうな【てつのよろい】を身に着け、腰には【はがねのつるぎ】を装備していた。誰が見ても戦士そのものである。

 人目を引く秀麗な顔つきと相まって、男装の麗人と言った雰囲気を漂わせている。

 ここは『ルイージの館』という新米冒険者がこの世界で活動を始まる前、様々な情報を確認したり、装備を整えたりする場所である。

 わたしはここで諸々のガイダンスをこなし、魔法使いとして冒険者登録をした。 現在は支給された初期装備のフィッティングを済ませている最中だ。


「そもそも、どうしてカオリがこんなゲームの中に入り込んでるの? 随分、心配したんだよ」


 与えられた【まじゅつしのぼう】を片手で振りながら、これまでの経緯を相手にただした。

 手に馴染む木の小枝を削って作られた魔術棒。

 駆け出しの新人には【ひのきのつえ】でさえ高級品であるようだ。

 懐には冒険を始めるにあたって必要となるものを購入できるよう、コインが三〇枚ほど入れられた袋を持たされている。

 なぜわたしがここにいるのかと言えば、あのあとこちらの意思などまるでお構いなしに足元で魔法陣が展開し、気がつけばこの施設の中にいたというわけ。

 さらには開口一番、「来るならもっと早ければいいのに」などと笑顔でのたまうカオリの表情が余計に腹立たしい。


「いや、内緒にしていたのは悪かったけど、普通に話しても信じてもらえなかったでしょ?」


 屈託ない様子でカオリはそう答えてきた。まあ、もっともだ……。


「だから、自分と同じように誘い込んでみたのよ」


 は?

 投げかけられた真相に驚いて、手にした魔術師の棒を床に落とした。

 木と木がぶつかる乾いた音が狭い衣装部屋に響き渡る。


「なにそれ! わたしは騙されてここに来たというわけ?」

「いやいや、そんな悪い方に考えないでよ。手っ取り早く来てもらうには、ヒントを流して相手から動いてもらうように仕向けたほうがいいと思っただけ。だからね、文化部の知り合いにちょっとお願いして……」


 言われてみれば普段はあまり声もかわさない級友が今日に限って、突然に声をかけてきた。

 しかも、ピンポイントにカオリの話題を。

 馬鹿だな、わたしは……。少しくらい不思議に思ってもいいのに。


「まあでも、聴いたその日にやって来るとは思ってなかったわ」

「……う、うるさいわね。気になったんだからしょうがないじゃない」


 言葉を濁して、カオリのからかうような視線から目をそらした。

 悔しさより恥ずかしさが心に湧き上がってきたせいだ。


「ん? じゃあ、カオリはどうやってあの場所にいったのよ」


 自身の失態は脇において、相手の事の始まりをたずねた。

 彼女はどうやってあの『大図書館』へたどり着いたのだろうか。


「あ、なんかね。夢の中でミネルヴァに呼ばれたの。旧校舎の床下にゲートを設けたから来てくださいって……。それで、あの場所を見つけて彼女に出会ったら『ぜひ力を貸してほしい』って頼まれたから協力することにしたのよ」


 何それ、ちょっと格好いい……。

 語られた冒険譚にわずかなジェラシーを覚える。

 絵画のような構図を頭に思い浮かべ、その光景を夢想した。


「あの……さ。ど、どうしてカオリはミネルヴァを手伝う気になったの?」


 本当に知りたいことは最後の最後に取っておく。

 心に刺さった棘を抜くように気をつけながら出来る限りさりげなく。

 『大図書館』で遭遇した謎の少女ミネルヴァ、人の身をまとった天使のような存在感を放つ者。

 その姿を今いちど脳裏に思い起こす。

――かわいい。誰がどう見ても百人が百人、同じような印象を持つだろう。


「え? そうだね、何か困ってたみたいだから……かな」



 もやもやとしたわたしの心配を吹き飛ばすようにカオリはあっさり答えた。

 こんなのだから中学時代の二月一四日には男子よりも多くのチョコレートをもらったりするのだ。

 紙袋にバレンタインチョコを満載し、家まで持ち帰るのは毎年の恒例行事だった。まあ、わたしがあげたものをいつも最初に食べてくれたから、そこは不問にしておこう。


「ふーん……。で、いつごろからあの子を手伝っていたわけ?」


 腰をかがめて、落とした魔術師の棒を拾いながら両者の関係性の深さを確かめてみる。


「一週間くらい前からよ。まあ、勢い込んでやってきたんだけど早々に行き詰まって、マリに助けを求める結果になったけどね」


 躊躇ためらいもてらいも持たずに実にあっけらかんと人を頼ってくる。

 なるほど、これが人徳というものか。

 あきれたように感じながら、少し嬉しくもあった。ちょろいな、わたし……。

 まあ、いいや。ここまで来たら、素直になって自分も協力するとしよう。

 カオリが立ち往生しているということは、なんだか正攻法では物事が進まない状況になっているはず。

 だからわたしの助力が必要になったのだろう。

 見ていなさい。中学三年間の放課後を部活にも入らず、おもに自室で過ごした経験をいまこそ活かしてみせる。


 ◇◇◇


 問題点一・予習と復習


「つまりはこのゲーム内に設けられた『特別なクエスト』をクリアするのが目的なわけ?」

「そういうこと。この”ブレイブ・ワールド”にある初級クエスト、『アリーナモードで五連続勝利を達成!』でもらえる褒章がミネルヴァには必要らしいの」

「褒賞? ただのゲーム内アイテムじゃないの?」


 果たすべき役割と目指すべき目標を初めて聴いた。当然、疑問が沸き起こる。

 ここは館のオープンスペースである。わたしたちは場所を移してテーブルを間にはさみ、椅子に腰掛けていた。


「だったら、わたしたちがここに来る必要はないでしょ。ミネルヴァが言うには、この要素はそもそも実装されていなかったらしいの。攻略が難しいらしくて。でもソフトを立ち上げたら、項目が追加されていた。そこであの子はこれが仲間を助け出す鍵なんだと気づいたらしいわ」


 ちなみにソフトというのは『ソフトウェア』の略だ。

 現在で言うところのアプリケーションである。オンラインが普及していない頃はパッケージングされた状態でアプリを購入する必要があったのだ。

 わたしの家の倉庫でもダンボールにたくさんの紙で作られたパッケージが眠っている。おそらくは父親のものだろう。


「ちょっといい?」


 どうにも腑に落ちない幾つかの点を明らかにするため、片手を上げて相手の説明をさえぎった。

 彼女はテーブルの対面で小さくうなづいて、こちらの質問を待っている。


「”仲間を救う鍵”っていうことは、このゲームの中に彼女の知り合いが閉じ込められているの?」

「うーん、ハッキリとは聞いてないけど、鍵って言うからにはそのために必要なアイテムとか情報のたぐいじゃないのかな……」


 要領を得ないカオリの答えに嫌な予感が鎌首をもたげる。だいたい、いつでも彼女はこのパターンでややこしい問題に自ら足を突っ込むのだ。


「あと、どうして彼女は自分自身でこのゲームの中に入ろうとしないの? 誰かの助けが必要なら、まずは自分で動く方が早いと思うけど」

「ああ、それはね……」


 次の質問には合間を置かずに答えようとしていた。

 多分、その理由をすでにミネルヴァから聞いているのだろう。


「彼女はあの部屋から出られないのよ。だから、わたしを呼んだらしいわ」

「えっと……。言われて信じたの?」

 

 真顔で訊き返した。

 別にミネルヴァを信用していないわけじゃない。ただ、ちょっと確かめたかっただけだ


「そうよ、問題ある?」


 真剣な表情で訴えてくる。分かった、わたしの負けだ。


「――ないわ。だったら早くクエストをこなして帰りましょう。英語の宿題も心配だし……」

「ねえ、マリ……」


 何かを達観して椅子から立ち上がりかけたわたしにカオリがもう一度、声をかけてきた。

 下げた視線をふたたび前に向ける。

 吸い込まれそうな彼女の瞳がじっとこちらを見つめていた。


「頼りにしているわ。これも本当よ」


 うるさいわよ、馬鹿……。


 ◇◇◇


 問題点二・攻略難度


 最初に聞いた時、どうしてこの程度の実績解除に手間取っているのか分からなかった。

 問題はこれが『初級クエスト』であるということ。

 当該クエストを受領できるのはレベル一から一〇までとなっている。

 つまりレベルが一一を超えてしまうと、もう受けることもできなくなるのだ。

 ちなみにカオリのレベルはいま一〇である。残されたチャンスはほんのわずかしかない。


「でも、本当の問題は別のところにあるのよ」


 珍しく疲れたような表情を浮かべながらカオリがつぶやいた。

 彼女がここまで弱音を見せるというのは本当に珍しい。

 だからこそ、局面の打開にわたしを必要としたのだろうか? 


「五回戦目の相手が剣士と盗賊の二人組なのよ」

「え? 何それ、二対一じゃ勝ち目があるわけ無いわよ。ましてや低レベルでスキルも十分じゃなかったら、数の差は致命的だわ」


 条件の理不尽さに思わず憤慨した。

 数が全てではないが、数が正義であるのは間違いのない真実なのだ。


「ああ、でもね。こちらにもNPC(ノンプレイヤーキャラクター)がひとり味方になってくれるのよ。すでに作成したキャラクターがいない場合、デフォルトで僧侶がパーティーメンバーになるんだけど……」


 どうやら真の原因はその僧侶であることがカオリの態度からうかがい知れた。

 彼女が館の外に視線を動かす。 

 連動してわたしも同じ方向へ視界を移した。


「真なる神の愛とは、無慈悲な一撃である。わが『即死教』の前に敵はなし!」


 多くの人が行き交う館前の通路。

 バルコニーの外でひとりの僧侶が辻説法を行っていた。


「讃えよ! 我らが戦いの神バトラの祝福を! 神は我らとともにある。我は神の意思、主の鉄槌を振り下ろす勝利の剣である!」


 随分と物騒な煽り文句を唱えている若い男がいた。

 大きく目を見開き、足早に急いでいる街の人たちへ神の愛とやらを訴えている。

 人々は関わり合いにならないよう、横目で僧侶を眺めながら決して足を止めようとはしなかった。

 場所柄、様々な連中が跋扈ばっこしているとは言え、その中でも怪しさと過激さでは他の追随を許さない存在であることは間違いないようだ。


「何あれ……?」


 半ばあきれつつも圧倒されたようにわたしは男の正体をたずねた。


「あれがデフォルトで仲間になってくれる僧侶のアレイスタさん。闘争の神バトラを主神とした『即死教』の司祭よ」


 答えるカオリの声には明らかな疲労の色が感じられた。これはあれか?

 禁断の武闘派プリーストと言うやつかな。

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