第4話 迷ったら迷わず聞け

 アイルランドに行く以前、私はとある小さな会社で事務員をやっていました。勤務先は、親会社から「出向」という名ではみ出た多種多様なおじさまたちで形成された会社(言い方)。安月給ではありましたが、親と同じかそれ以上にお年を召されたおじさまがたに娘のように可愛がっていただけて、今思えば環境は良かったです。普段は定時退社、会社の飲み会に参加したら折り詰めの寿司やらケーキやらをお土産につけて帰してもらえるような、スーパーホワイト且つ金銭感覚がゆるゆるな会社…。私が退職してからすぐに別の会社に吸収されてしまいましたけど、まあ、なるべくしてなったという感じですね、はい。

 職場は大阪・新地に程近いビジネス街。近くにはH.I.Sや、格安航空チケットなどを扱う旅行会社がいっぱいありました。AB・ROAD(今はもう見かけませんね)をくまなくチェックし、お金や日程の条件が合う格安のツアーや航空券を見つけると即電話を掛け、ほんの短期間の旅行に出る、それがオウエル時代の私の楽しみでした。

 タイに行ったのも、そういう航空機&宿だけ取って行く個人旅行でした。かろうじて残っていた殴り書きの記録を見ると、時期は6月。東南アジアに6月? 行く時期考えてる? という疑問は拭い去れませんが、多分行きたくなったのがたまたま6月だったのでしょう。一番の目的は、アユタヤ遺跡のワット・マハタート。調べてみたら、バンコクから自分ひとりでも足を伸ばせそうだったのです。根の部分に仏様の頭部を抱いた有名な木のある場所なのですが…。みなさんご存知かな。あれが見てみたかったのです。

 というわけで、行ってきましたタイランド。バンコクに4泊5日の旅程です。航空券と宿だけ取ってあとは未定の一人旅。結果、後半は一人ではなかったのですが(一人で旅行していても、大抵は同じように予定を決めずぶらぶらしている日本人と知り合いになって一緒に行動するパターンが多かったりします)色々な出会いがあって、このタイ旅行はとても思い出深いものになりました。

 中でも強烈なインパクトがあった出来事は、バンコク市内で迷子になったことです。

 その日、私はウィークエンド・マーケットを出て「ジム・トンプソンの家」を目指して歩いていました。地図で見たら、何となく歩いて行けそうな気がしたのですが、完全に気の迷いでした。行けども行けどもたどり着かない…というか、気がついたら周りはガチなオフィス街。自分がどこにいるのか、どちらに向かっているのかも分からない有様でした。

 仕方ないので地図を見ながら目ぼしい建物を物色して歩いていたのですが、そのうちに大林組のビルの前に出ました。その巨大なビルの入り口に、警備員らしきタイ人のお兄ちゃんが一人きりで立っています。閑散としたオフィス街で人の姿もあまり見かけなかったので、これ幸いと近寄っていって、地図を片手に道を聞いてみたのですが…。

 一人しかいないと思っていたら、そのうちにどこからともなくわらわらと人が集まってきて、あっという間に4、5人に囲まれていました。

 私はタイ語が分からないので、片言の英語で事情を説明すると、待っていろと言われ、そばにあった椅子に座らされました。彼らは私の地図を見ながら、なにやら話し合っています。ボーゼンとしていると、急遽電話で呼びだされたらしい、バイクに乗った男の人が登場。

「He is my friend.」と警備員の人。バイクの彼は私を見て、座席の後ろを指差します。どうやら乗れということらしい。ファッ? となりましたが、よく話を聞いてみると、「ジム・トンプソンの家」までバイクで送ってくれるらしいのです。

 何か良くわからんけど送ってくれるなんて…! 暑さで体力も削られているし、大変ありがたい! というわけで、見ず知らずのお兄ちゃんのバイクの後部に乗せてもらうことになりました。警備員のお兄ちゃんも集まってくれた人たちも良かった良かったというように、心から喜んでくれているのが伝わってきます。ありがとうありがとう、と散々お礼を言っていざ出発しました。


 ……怖かったです(笑)

 確かノーヘルだったと思います。バンコクの地獄の渋滞の間をちょこちょこと縫いながら、バイクは結構なスピードで走ります。車との距離がギリギリすぎて恐怖…。

 そういえば、バンコクでの主要な移動手段だったトゥクトゥクもかなり暴走気味で、カーブの遠心力が恐ろしかったです。でも、その高度な運転テクのおかげでバイクは渋滞に巻き込まれることなく、あっという間にジム・トンプソンの家の最寄駅まで行ってくれました。

 見ず知らずの旅行者にこんなによくしてくれるとは思っていなかったし、あまりにも申し訳なかったので「ありがとう」と言ってせめて幾らかでもお礼を渡そうとしたのですが、そのおにいちゃんは「NO、NO」と言ってさわやかに去っていってしまいました…。何度でも言おう。お兄さん、あの時は本当にありがとうございました。


 そんなわけで、タイの印象はすこぶる良かったです。他にも旅行社で働く現地の女の人たちと一緒にご飯を食べたりしたのですが、出会った普通の人たちはどの人も、めっちゃ親切でした。

 「普通の人たち」と書いたのは、観光地付近では謎のうさんくさいおじさんに何度もお金をむしられそうになったからです(笑)王宮付近を歩いていると、5人ほどのおっさんたちが次々と現れ、それぞれに絶対ウソやろ…みたいなストーリーをでっち上げて来るのですが、なんだか分かりやすすぎて腹も立たなかったです(例:ヘンに英語がうまい自称「教授」のおっさんが「今日はここいらの寺はすべて休みなので、○○の店に案内するよ」などと話しかけてくる)

  

 あれから月日が経ち、バンコクも随分様変わりしたかもしれませんが、人が優しい国という印象は今でもずっと持っています。

 いい思い出がいっぱいの、またいつか訪れたい国です。

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