第十色 ③

 空から寝間着を受け取ってから数日後、琥珀と七両は露草の養生所を訪ねていた。

 「そういえば、もう少しで彩神祭さいじんまつりだな。琥珀は初めてだろう?」

 「はい! みんなも楽しそうに準備してますよ」

 琥珀は笑顔で答えると、部屋の中を見回した。最初に養生所の中に入った時も思ったけれど、やっぱり珊瑚の姿が見えない。

 「先生。珊瑚さん、またどこかにお使いに行ってるんですか?」

 「いや、使いではない。実は、とびのところに預かってもらっているんだ。空が珊瑚と私のことを気にかけてくれてな」

 「そうだったんですか?」

 琥珀は、驚いた表情で自分のことを見ていた珊瑚の顔を思いだす。

 「へぇ、空とじいさんのところにねぇ」

 七両が口元に笑みを浮かべてそう言うと、

 「ああ。まあな」

 「それで?」

 七両は座り直してから露草に顔を向けた。その表情からはすでに笑みは消えている。

 「紫紺はこのこと知ってんのか?」

 七両はきつい視線を露草へ向ける。

 「もちろん知っている」

 深い溜息を吐いた後、空の元に紫紺が訪ねて来た時のことを話し始めた。

 「じゃあ、二週間前から空さんたちのところにいたんだ」

 琥珀がそう口にすると、

 「そういうことだ。いつ話そうかと思っていたが、琥珀が聞いてくれてよかった。珊瑚も、空のところは嫌がる様子を見せなかったしな」

 琥珀と七両はお互い顔を見合わせた。二人ともまだ信じられずにいる。話を聞き終わってもあまり実感が沸いてこない。

 「僕、全然気付かなかった。空さんも鳶さんも、いつもと変わらないと思ったんだけど」

 「別に気付かないなら、それでもいいんだよ。言わなかったのは、俺たちに心配かけたくなかったからだろ?」

 琥珀が小さく頷いた後、七両は再び露草に顔を戻す。

 「それより、先生あの場にいたんだろ? 何で紫紺を止めなかったんだ?」

 語気を強める七両に、意外にも露草はあっけらかんとした様子で、

 「その心配がなかったからだ。空がちゃんと真摯に向き合ってくれたからな。紫紺はニンゲンを嫌うが、今回ばかりは違った。珊瑚の能力が暴走することがあれば、自分の元に来るように話していたしな」

 「そりゃあ、あいつしか能力を封じられないんだから、そう言うだろ?」

 七両がさも当然と言うように口にすると、露草は微笑した。

 「それが、最後に空に対して詫びたんだ。珊瑚の行方を問い詰めて迷惑をかけたと。梔子くちなしにもそう伝えてくれとな」

 それを聞いて、琥珀と七両は同時に目を丸くした。

 「紫紺さんが?」

 「本当かよ? 信じられねぇな、あいつがそんなこと言うなんて」

 笑みを浮かべている琥珀に対して、七両の表情は変わらない。

 「ああ、私も驚いた。一体、空に何をするつもりなのかと気が気でなかったが、あいつも少しは考えが変わったな」

 笑った後、思い出したように、

 「そうだ。彩神祭りに行く時は珊瑚も誘ってやってくれ。あの子も祭りには行ったことがないだろうから」

 「はい、もちろん!」

 琥珀は大きく頷いた。

 

 露草の養生所を後にして集合住宅に向かっていた時、一棟の長屋から親子連れが出て来た。二人とも着ている着物の帯締めに小ぶりな巾着を下げている。色はそれぞれ違っていた。

 琥珀はその親子から視線を外して、彼らが出て来た長屋の方に顔を向けた。

 両脇には一本ずつ旗が立てられていて、「お守り、あります」の文字が躍っている。

 「お守り?」

 「ああ。祭りが近くなると、旗が出るんだ」

 七両はそう答えてから、引き戸を開けた。

 琥珀は驚きつつも、彼の後に続く。

 中はそんなに広くないが、結構ヒトで賑わっていた。

 琥珀が目の前に並んだお守りに視線を落とした時、

 「ねぇ、ここのお守り?」

 並んでいるガラス玉はどれも半透明で、言葉通り色がない。

 驚いて七両を見上げると、

 「ああ、買った後に色を付けるからな。まだ透明のままだ」

 並べられているお守りの一つを指すと、説明を続ける。

 「同じような色だから分かり辛いかもしれねぇけど、ガラスが二重になってんだよ。この丸いガラスの中にもう一つ同じもんが入ってる」

 「へぇ」

 「ただ、中に入ってんのは形が違う。五角形だ」

 七両はそれを摘まみ上げると、左右に角度を変えてみせた。

 わずかだけれど、丸いガラスの中に五角形の形が見える。

 「本当だ」

 琥珀が頷くのを確認すると、彼は摘まんでいたそれを元の場所に戻した。

 すぐ傍にあったお守りを入れるための巾着は、ガラス玉とは反対に様々な色のものが並んでいる。

 (こっちはちゃんと色が付いてるんだ)

 「二人も来てたのね?」

 聞き慣れた女のヒトの声で背後に顔を向けると、梔子が立っていた。

 「うん。梔子も?」 

 「そうよ。でも、ゆっくり見るなら別の日の方が良かったかも」

 彼女はそう言うと、窓にちらりと視線を向けた。

 「どうして? 何か用事あるの?」

 琥珀が不思議そうに訊くと、彼女は首を横に振ってから、

 「ううん、そうじゃなくてね。空が曇ってきたから、雨降りそうだなぁと思って」

 琥珀も思わず窓を見上げる。空はどんよりと厚い雲に覆われていて、さきほどまでの青空が嘘の様だ。

 「本当だ……」

 七両は窓を見ながら会話している二人に背を向けて、並べられているお守りに視線を落とした。

 さっき摘まんだそれをもう一度摘まみ上げて、目の前にいる女性に渡す。

 「はい、毎度あり。お兄さん、巾着はどうする?」

 七両が琥珀を呼ぼうとした時、「あっ、降って来たわ!」、という梔子の声が聞こえた。

 「いや、それだけ頼む」

 そう答えて女性に代金を渡した後、琥珀に呼ばれた。

 「七両、雨降って来たよ?」

 「分かった。今行く」

 買ったお守りを懐にしまうと、琥珀と梔子とともに集合住宅へと急いだ。

 

 琥珀は落書き用の台帳から顔を上げると、横の窓を見た。

 窓際には七両が座っていて、いつものように筆を磨いている。

 近くには、昨日二人で作ったもりが適当に置かれていた。

 「この前からずっと降ってるね。今日で何日目だっけ?」

 「四日目だ」

 筆に視線を落としていた七両は顔を上げると、ちょうど琥珀がこちらに歩いて来た。そのまま彼の隣に腰を下ろして、また窓に視線を向ける。

 「ねぇ、お祭り大丈夫かな? みんな張り切って準備してるけど」

 昨日まで小降りだった雨は、今日になってからその強さを増していた。容赦なく窓を叩く音が聞こえてくる。

 「まあ、何とかなるだろ。そのうち止む」

 七両も窓に視線を向けていたけれど、あることを思い出して立ち上がった。そのまま背後の棚の引き出しを開けて何やら探し始める。

 そののまま窓を眺めていた琥珀の前に片手を突き出してから、

 「お前に渡すの忘れてた」

 「何を?」

 不思議そうな顔をしている彼の手の平にを置く。

 「あっ、お守り!」

 丸いガラス玉の中には五角形のガラスが閉じ込められている。当然、色はまだ付いていない。

 「いいの? 七両の分は?」

 「お前の分だけだ。俺のはねぇよ。願掛けのつもりで買ったんだ」

 「願掛け?」

 琥珀が不思議そうに呟くと、

 「お前が元の世界に帰れるようにな」

 そう言った後、更に七両は続けた。

 「五角形のところに付ける色決めろよ。好きな色でもいいし、自分の名前と同じ色でもいい……」

 その時、いきなり琥珀が紅月こうげつを抱き上げて、彼をずいっと七両の前に突き出した。

 紅月は突然の出来事に訳が分からず、固まったまま動けないでいる。

 「……何だよ?」

 七両も訳が分からないといった表情で琥珀を見る。

 「紅月と同じ色で!」

 にんまり笑ってそう言う琥珀に溜息を吐いてから、

 「普通にそう言えよ、びっくりさせやがって。いいから、紅月下ろせ」

 琥珀は言われた通り紅月を下ろした。

 「ほら、ガラス玉貸せ」

 目の前に出された彼の手の平にお守りのガラス玉を乗せる。

 七両はそれを軽く握ぎった後、少ししてから琥珀に渡した。

 さきほどまで透明だった五角形は鮮やかな紅色に染まっている。

 「すごい! マジックみたい!」

 「何だよ、それ?」

 半ば呆れたように七両に尋ねられ、マジックという言葉がこの街にないことが分かると、慌てて手品と言い直した。

 それでも、手品も馴染みのない言葉だったらしい。七両は更に困った顔で琥珀を見ている。

 琥珀が何とか説明しようとしていると、二人の前に朱色の巾着が置かれた。どうやら紅月が棚の引き出しから出してきたようだ。

 「マジックとか手品とかは分かんねぇけど、とりあえず中に入れとけ」

 七両は巾着を彼に渡してから、再び筆を磨き始めた。

 「うん」

 返事をしてから、紅く染まったお守りを窓にかざした。

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