第八色 ⑤

 「あっ、いたいた」

 七両しちりょうと同じく、広場で見世物を披露している男のヒトがこちらに近付いて来た。

 「一体どうした?」

 七両が尋ねると、彼は困った顔で、

 「実は今日、見世物を披露するはずだったヤツが腹痛で来れなくなってさ。欠番が出たんだよ。突然で悪いんだけど、七両代わりに出てくんない?」

 両手を顔の前で合わせて、お願いの仕草をする。

 「え? でも、筆が……」

 琥珀が言いかけた時、

 「いいぜ」

 「本当か?」

 「ああ」

 男のヒトの顔がぱっと明るくなった。

 「ちょっと七両!」

 「筆ないのにどうするの?」

 常磐ときわと琥珀がすっとんきょうな声を上げて詰め寄る。

 七両は面倒臭そうに二人を見ると、

 「お前ら、先に広場に行ってろ」

 「え?」

 「演舞に使うもん借りて来る」

 「借りるってどこへ?」

 常磐の質問には答えず、七両はさっさと歩いて行ってしまった。


 「あっ、ヒショウさん」

 梔子くちなしは猩々緋を見つけると、傍へ駆け寄った。

 「梔子、おつかれさま。お店、だいぶ混んできましたね」

 猩々緋しょうじょうひは片手を横に振りながら笑顔で答える。

 「さっきまで空いていたんだけど、急に混んできちゃって。今日はもうお仕事終わりなんですか?」

 「ええ、そうなの。甘いものが食べたくてお邪魔しました」

 「猩々緋」

 猩々緋と梔子は同時に声のした方に顔を向けた。

 目の前に立っている七両に気付くと、

 「いらっしゃい、七両」

 「あら、七両。昨日ぶりですね」

 穏やかにそう言う猩々緋に頷いてから、

 「急で悪いが、貸してくれ」

 「あれ?」

 梔子が首を傾げる。

 「粗末にはしねぇ。約束する」

 七両はそう口にした後、事情を話し始めた。

  

 「七両、どこまで行ったんだろうねぇ。もうそろそろ出番が来るっていうのに」

 「うん。そうだね」

 少しイライラした様子で呟く常磐に顔を向けてから、琥珀が辺りを見回していると、

 「あっ、いた!」

 琥珀が前方に顔を向けると、見世物を披露している女のヒトの後ろで、他の見世物の披露者に混じって七両の姿があった。

 常磐も同じようにそちらを見る。

 「よかった。間にあったみたいだね」

 安心した様子の常磐に琥珀も頷く。

 やがて、七両の番が回って来た。

 彼が前に出た時、観客の表情が変わった。

 「あれ? 七両、筆持ってないよ?」

 「本当だ。どうしたんだろう?」

 七両はと言うと、ざわざわと話し出す観客を気にした風もない。

 「何だか騒がしいな。何かあったのか?」

 振り返ると、背後から青鈍あおにびが覗き込むように前方を見ていた。隣にはかすみの姿もある。

 「あっ。青鈍さん、霞さん」

 しかし、背後にいる二人はいつもと何かが違う。「何だろう?」、と琥珀が考えていると、

 「別に何もないよ。あんたたちも休日まで本当にご苦労だね。悪いけど、こっちは純粋に楽しんでるんだから、邪魔しないでおくれ」

 常磐が面倒くさそうにそう言って顔を前に戻した。

 琥珀は二人をもう一度見た。確かに、二人ともいつもの武士のような恰好ではない。珍しく着物を着ている。

 青鈍が常磐に文句を言おうとした時、霞が声をかけた。

 「青鈍さん、あれ」

 前を見るように言われた青鈍がそちらを見る。

 七両は一礼して顔を上げた後、大きな扇を勢いよく広げた。

 「七両のやつ、何であんなものを……」

 霞が呟くと、

 「もしかして、七両が借りに行ったのって」

 「なるほど、ヒショウさんの扇ってわけか」

 常磐が楽しそうに呟いた。

 「あいつ、あれで演舞を?」

 青鈍がそう口にした時、七両の見世物が始まった。

 地面に向かって扇をあおぐと、鮮やかな紅色が地面を染めた。舞とともに色が移動して、少しずつ形を変えてゆく。

 一か所に集まっていた色はやがて二つに分かれた。

 七両が豪快に動く度に地面の紅色もそれに合わせて動く。

 やがて、その形がはっきりとしてきた。二つに分離した色は同じ形を作っていく。頭が出来、胴体が出来、尾ひれが二つ出来上がる。

 地面の中を優雅に泳ぎ回っている。

 七両が扇を地面に触れさせた時、地面が波打った。

 とたんに歓声が上がる。勢いよく夜空に向かって振り上げると、二匹の魚が地面から出てきて、宙を舞った。

 再び辺りに歓声が響く。

 夜空に舞うのは二匹の金魚だ。

 やがて、演舞が終わると七両は頭を下げた。

 辺りに歓声と拍手が沸き起こる。

 琥珀と常磐も大きな拍手を彼に送った。

 青鈍と霞はしばらく呆けていたが、我に返ると、

 「あいつ、区画長くかくちょうの私物で何てことしてるんだ!」

 青鈍が納得のいかない様子で前に出ようとしたのを、常磐が止めた。

 「ちょっと待ちなよ?」

 常磐は青鈍の腕を掴むと、指の先まで緑色に染めた。

 「何するんだ、お前!」

 青鈍の両手は見事に濃い緑色に染まり、石のように固まった。

 観衆を突き進もうとする霞の両足にも同じように緑色で固める。

 「たまにはいいじゃないか?」

 常磐は悪びれもせずそう言って笑っている。

 つられて琥珀も笑った。

 「そういう問題じゃないだろうが」

 「こら、琥珀も笑うな!」

 霞が琥珀に注意した時、誰かがぽんぽんと彼らの肩を叩いた。

 「今度は誰だ?」

 二人が振り向くと、

 「まあ、二人とも見事に緑色に染まっていますね」

 猩々緋はそう言って二人に笑顔を向けた。

 「ほら、噂をすれば!」

 常磐は嬉しそうに猩々緋を振り返る。

 「区画長、何故こちらに?」

 青鈍が驚いて尋ねると、

 「七両に扇をお貸ししたのですよ。どんな演舞を披露してくれるのか、気になって見に来たの」

 彼女はそう言うと、ふふっと笑って見せた。

 「いつもと違う道具だから、とても新鮮に感じますね」

 「はい!」

 琥珀も笑顔で頷く。

 「青鈍、霞。そんなに目くじらを立てなくても大丈夫よ。そうだわ。ちょうど、お酒を買ったところなの。一緒にいかがですか?」

 猩々緋はそう言うと、手に持っていた酒瓶を見せた。

 青鈍と霞は困惑した顔を向けている。

 「いいね、ヒショウさん!」

 常磐は大賛成とでも言うように満面の笑みで頷いている。まだ困惑している二人に顔を向けると、

 「ヒショウさんがこう言ってるんだ、あんたたちも付き合いなよ? ヒショウさんにあたしの面倒を見させる気かい?」

 意地悪く笑みを浮かべると、青鈍が食ってかかった。

 「常磐。お前、区画長に面倒をかける気か?」

 常磐はそれには答えず、ただ笑っている。

 「ほら、霞さんも行こう?」

 琥珀は霞の腕を掴むと、半ば強引に歩き出す。

 「こら、琥珀。そんなに引っ張るな」

 琥珀がふと横に顔を向けた時、一瞬だけだがこちらを見つめる藤の姿が見えた。けれど、すぐに群衆にまぎれてしまった。

 「どうした、琥珀?」

 「ううん、何でもないです」

 顔を前に戻すと、先に歩いている常磐たちの後に続いた。


 一カ月後、女郎花から筆が修復したと手紙が届いた。

 七両と琥珀が十六夜堂に向かうと、女郎花が出迎えてくれた。

 「ああ、いらっしゃい。待ってたわ。はい、預かっていた筆よ」

 彼女から筆を受け取ると、七両は無言でそれを見下ろした。

 柄の部分は新しい物に変わっていたが、色も模様も前のものと同じだ。

 「ああ。悪かったな。しかし、よく昔と同じものを再現出来たな?」

 「ええ。主人がね、なるべく同じものを作るって言ったのよ。こんなに使い込んでいるなら、さぞ大切にしてきたんだろうって」

 「藤さんが?」

 琥珀がそう言った時、七両が口を開いた。

 「今日、主人は?」

 「いないわ。珍しく外出しているのよ。普段は自分から外に出ないのに」

 「なら、あんたから伝えてくれ。直してもらって感謝している。今後も大切にするってな」

 「分かったわ」

 女郎花は笑顔で頷いた。

 その時、店の引き戸が開いた。別の客が店内に入って来るのが見えた。

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