第七色 ③

 元来た道を歩いていると、見慣れた人物が目に入った。

 「浅葱あさぎ?」

 琥珀こはくが声を掛けると、浅葱もこちらに気付いて笑みを浮かべた。

 「やあ、琥珀。おはよう」

 「おはよう。今から火事のあったところに行くの?」

 「まあな。煙もヒトもすごかったから、気になってさ。二人は?」

 「ちょうど今行って来たところだ。野次馬がすごいぜ。行くなら、後にするんだな」

 七両しちりょうがぶっきらぼうに答えると、

 「二人こそ、何だってこんなに朝早くに来たんだ?」

 「七両が一画いちかくの方だって言うから、気になって……」

 「それで朝早く?」

 「うん」

 「そっか、ありがとな。でも、この通り僕は大丈夫だよ。もちろん常磐ときわもね」

 浅葱の笑った顔を見て、琥珀は安心した。そのせいかは分からないけれど、思わず欠伸が出た。

 「琥珀、もしかして昨日の火事で眠れなかったのか?」

 琥珀は一瞬どきりとしてから、すぐに笑顔を作り、

 「うん。まあ、そんなとこ」

 「寝不足なんだよ、ここんところ」

 七両もそう答えた後、欠伸をする。

 「七両もなのか? もしかして、何かあったのか?」

 心配そうな表情を浮かべる浅葱に、

 「何もねぇよ。お前は心配症だな」

 「自分でもそう思う時はあるよ。けどさ」

 浅葱は一旦言葉を切ってから、再び続けた。

 「何か困ってることがあるなら、遠慮なく相談してくれよ。お前は何でも一人で抱え込むからな」

 浅葱は苦笑したまま七両に顔を向けてそう口にする。

 その時、彼の隣にいた琥珀は突然、

 「ねぇ、七両!」

 彼を見上げるその顔は真剣そのものだ。

 「何だよ、急に?」

 「何か困っていることがあったら何でも言ってね?」

 七両はげんなりした顔で琥珀を見下ろす。溜息を吐いてから、

 「それなら、勝手に部屋飛び出してはぐれんじゃねえよ」

 「うっ……」

 琥珀は何も言い返せない。

 「おい、七両」

 浅葱は苦笑を浮かべたまま彼をたしなめる。

 七両は浅葱へ顔を向けてから、

 「浅葱、ここまででいいぜ」

 琥珀と七両の背後には『二画にかく』と書かれた提灯が道の左右に設置されている。

 「分かった。じゃあな、二人とも」

 「ああ」

 「うん。またね、浅葱」

 二人は浅葱あさぎと別れてから、集合住宅に向かった。


 ※※※

 

 部屋に戻ると、卓の上には朝食で使用した茶碗やら箸やらがそのままの状態で置かれていた。

 開け放してある隣の部屋も布団が二組敷かれたままだ。

 「おい、琥珀」

 自分を呼んだ七両しちりょうを振り返ると、彼は食器を重ねながら、

 「とりあえず、こいつら洗うぞ。その次は布団洗うから、お前も手伝え」

 「うん、分かった。隣の部屋の窓開けて来るね?」

 琥珀はもう一度、七両に顔を向ける。

 「ああ」

 それだけ言うと、七両は琥珀に背を向けて流し台へ向かった。

 琥珀も窓を開けるために隣の部屋へ入ると、雨戸に手を掛けた。

 午前中のうちに洗濯も終わり、昼食も済ませてからは琥珀と紅月は部屋でくつろいでいた。

 七両はというと、数日前から花の絵を描いて欲しいとの依頼が入っていたので、完成させたそれを依頼人へ渡しに行っている。

 琥珀が紅月のブラッシングをしていると、急に玄関が開いて七両が姿を現した。

 「七両、おかえり」

 「ああ」

 そう答える彼は何だか機嫌が悪い。

 琥珀が七両の手元を見ると、さきほど依頼人に持って行ったはずの絵があった。

 「あれ? その絵持って行ったんじゃないの?」

 辺りに腰を下ろした七両に尋ねると、

 「花の色が薄いから、もっと濃い色を塗ってもらえないかだとよ。ったく、そういうのは先に言えっつうんだよ」

 頭をがりがり掻きながら、吐き捨てる。

 「じゃあ、もう一回書き直すの?」

 「いや。花の色を濃くするだけだから、その必要はねぇ」

 琥珀が視線を落とす先には何輪か花が描かれている。オレンジや黄色の他に薄い桃色が付いている箇所があった。

 「もしかして、この花の色のこと?」

 指をさして尋ねると、七両は「ああ」とだけ答えた。

 紅月も黙ったまま琥珀と同じように、その箇所を見つめている。

 「濃い桃色……。 あっ!」

 琥珀は何か思いたったように、いきなり顔を上げた。


 ※※※


 「まあ、大したことなくて良かったよな」

 山吹やまぶきがあっけらかんとそう言って常磐ときわを見る。

 そんな彼女の表情は山吹とは対照的に浮かないままだ。

 「そうだけどさあ……」

 「何だよ、お前まだ気にしてんのか? 大体、火事場なんか見に行くからそうなるんだろうが」

 常磐の持つ着物の一部は黒く焼けてしまっている。

 「これ、気に入っていたんだけどねぇ」

 「さすがにこれは元通りにはならないわね。寝間着ねまきで行けばよかったじゃない?」

 「そらまで兄貴たちと同じことを言うのかい? あれ?」

 常磐が顔を向けた先には、一人の女の子が右往左往していた。

 「あの子、何してんだ?」

 「何かを探しているのかしら?」

 山吹と空も同じようにその女の子へ顔を向ける。

 「ねえ、あんた。どうしたんだい?」

 常磐が声をかけると、女の子はびくりと震えてから恐る恐る振り返った。

 その顔には不安と緊張が張り付いている。

 「お前のことが怖いんじゃないのか?」

 冗談っぽく笑う山吹を常磐が睨み付ける。

 「そんなに怖がらなくて大丈夫よ。何か探しているの?」

 今度は空が尋ねた。

 女の子は顔を伏せたまま、

 「あの、浅葱あさぎっていうヒトのところに行きたいんだけど……」

 「何だ、浅葱んとこか。なら、すぐ近くだぜ」

 山吹は浅葱の住まいがある方に親指を向けながら、そう言った。

 「あたしたち、浅葱の友人なんだ」

 「え? 本当?」

 女の子の顔に安堵が広がる。

 「付いておいで。案内するから」

 女の子はうん、と頷いてから、常磐たちの後ろに付いて行く。

 空も女の子の後ろに続こうとした時、彼女の髪が風に揺れた。その瞬間、ニンゲンと同じ形の耳が見えた。

 空の頭の中に紫紺しこんとのやり取りが蘇る。

 「珊瑚さんご……」

 「おい、空。どうした?」

 不思議そうな顔で尋ねる山吹に、空は笑みを作ると、

 「何でもないわ。行きましょう」

 浅葱の住まいに向かって歩き出す。

 この少女がでないことを願いながら。

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