第五色 ④

 琥珀こはくそらに別れを告げて、二画にかくに向かって歩き出した。

 霧は出ていたが、まだ完全な視界不良ではない。

 来た道と同じ道を駆け足で進む。霧が出ているせいか、辺りにはヒトの姿はない。

 少しずつだけれど、視界が遮られていくのを感じる。

 ふと、七両しちりょうのことが気になった。あの様子だと、今日の演舞は中止になるだろう。

 琥珀が今いるのは三画さんかくだ。もう少しで二画にたどり着くが、霧の濃さは更に増してきて、もう目の前にあるものしか認識出来ない。

 先程と同じように、辺りにはヒトの姿は見えないし気配も感じない。

 琥珀はゆっくりと歩き出した。急いでも道に迷ってしまえば、元も子もない。

 少しずつ進んで行くと、右手側に散髪屋の印であるハサミの絵が描かれた提灯ちょうちんが見えた。ここを通り過ぎれば、神社が見えてくる。神社のすぐ傍にある角を左に曲がれば、二画へ通じる道へ出るはずだ。

 琥珀が歩みを進めていると、うっすらと人影が見えた。琥珀は目を凝らしてそちらに顔を向ける。

 「誰かいるんですか?」

 人影に向かって声をかけた時、誰かが近付いて来た。琥珀が身構えたその時、

 「何だ、君か。まだ帰っていなかったのか?」

 「霞さん!」

 琥珀は驚きつつも、

 「さっき空さんの仕事場から出てきたので。霞さんはどうしたんですか?」

 「色を盗んだ奴を捕まえようとしたんだが、この霧のせいで逃がしてしまってな。

 視界がこうも悪いと追いかけられないから、ここで晴れるのを待っていたんだが……」

 霞は自分を覆う霧を恨めしく睨んだ。霧はどんどんその濃さを増してゆく。

 「君もここにいた方がいいだろう。無理に動いたら迷ってしまう」

 「はい。でも……」

 迷っている素振りを見せる琥珀に、霞が尋ねた。

 「七両のことか?」

 「はい。怪我をしているから大丈夫かなって」

 不安そうな表情のまま、顔を伏せた。

 「あいつなら大丈夫だろう。霧が晴れたら、君を七両のところまで送り届ける」

 「本当ですか?」

 「ああ。だが」

 霞は一旦、言葉を切ってから、

 「七両には俺のことは話さないと約束してくれ」

 「分かりました」

 琥珀は首を縦に振った。

 やがて目の前で見えていたものまで完全に見えなくなった。

 霞と琥珀を包む霧はしばらく晴れそうにない。


 ※※※


 医師の元から戻って来た七両は集合住宅の引き戸を開けた。

 下駄置き場に目をやるが、琥珀の下駄は見当たらない。

 そのまま、下駄を脱ぐと渡り廊下を進んで行く。

 「あっ、七両。足、大丈夫?」

 一階に住む梔子くちなしに声をかけられ、

 「なんとかな。ただ、二週間は安静にしろと言われた。ところで梔子、琥珀を見なかったか?」

 梔子は、少しの間考えてから首を横に振った。

 「うーん、今日は会ってないわ。部屋にいないの?」

 「ああ、用事で外に出てもらった。空のところまでな」

 「まだ帰って来ていないの?」

 梔子は七両の傍まで近付いて、彼の顔を見上げた。不安そうな顔でこちらを見ている。

 「ああ」

 「大丈夫? 辺り真っ白よ?」

 窓を指さしながら答える梔子に七両は頷いてから、

 「一度部屋に戻る。悪かったな」

 それだけ言うと、三階の自分の部屋へと急いだ。

 三階の階段を上がると、ちょうど同じ階に住む住人二人が談笑していた。一人は織部おりべ、もう一人は白群びゃくぐんといって白みを帯びた青色の髪と目を持つ男性だ。白群も彼と同じ三階の部屋に住んでいる。

 「おう、七両。今帰りか?」

 織部が尋ねる。

 「ああ、お前らは何やってんだ?」

 七両が問い返すと、

 「俺らはただの世間話だよ」

 「ところで、外は霧がすごいよな。珍しいな、こんなに濃くなるのって」

 今度は白群が七両に話しかけた。

 「そうだな。なあ、お前ら琥珀を見なかったか?」

 「琥珀? そういや、ここでさっきすれ違ったぞ。空のところ行くって言っていたな」

 「多分、もう少しで帰って来るだろ。ここから四画よんかくまでなら子供でも行ける距離だし。まあ子供からすれば、少し遠く感じるかもしれないけどさ」

 七両は二人に礼を言うと、自分の部屋へ向かった。

 部屋の引き戸を開けた瞬間、待ってましたとばかりに紅月こうげつが飛んで来た。

 琥珀の相手をさせるために紅月を部屋に残して来たのだが、主の腕に止まった途端、せわしなく鳴き始めた。

 その様子から、琥珀が帰って来ていないことは明らかだった。

 紅月が窓に目をやる。七両も同じように視線を向けたが、いつも窓から見える一軒家の屋根は見えない。そこには、ただ白い世界が広がっているだけだった。

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