金貨売ってる場合じゃなかった

 月曜日、退勤時刻になるまで俺は極めて落ち着かない気持ちで過ごした。


 何せアパートには世間知らずどころではない、異世界人のシルフリートが留守番をしている。もちろん俺以外の人間が戸口にやってきても絶対開けるな、返事もするなとは言ってあるのだが。

 唯一の娯楽であるテレビも、外に音が漏れないように彼女の耳に全く合わない形のヘッドホンをつけたまま。思い出すとなんとなく痛々しい絵面だ。


 おかげで客の注文を二回ほど間違えかけた。何よりハラハラするのは、俺の部屋に今も、特売のクッキーか何かのように袋詰めで金貨が放り出されていることだ。


「舞田さん、今日は珍しいっすね、休憩中ずっとスマホ弄ってる」


「ああ、ちょっと再燃しててさ、『さよなら!恋ヶ窪女学園』」


 職場のバイト仲間にいぶかしげな顔をされ、一か月前にやめたゲームの名前を告げてごまかした。


「あ、エロいやつでしょそれ。ぷぷっ、さっびしいなあ。カノジョとかいないんすか」


 余計なお世話だ。もっといいものが部屋にいるけど、お前には教えてやらん。


「いやいや。それは違うと思うぞ山本ぉ。エロゲ―とカノジョは別腹よ別腹。とくにこういうカードで集めるタイプのやつはさ、ご褒美のえっちシーンとかだってどうでもいいんだよ……どうせショボい一枚絵でアニメーションとかしないし。これの楽しさの核はこう、図鑑をコンプリートしたりキャラごとのトロフィーを埋めたりそういうコレクション要素で」


 適当にあしらいながら、貴金属買取業者の情報を探した。明後日はシフトが入ってないから、売りに行くならその時だ。

 どうやら今住んでるこの街の、最寄り駅前にそこそこ評判のいい買い取り業者がいるらしい。そのチェーン会社のオフィシャルサイトや、利用者の体験談が乗ってるブログなどを見る限りでは希望が持てそうだ。



 仕事のあがりも山本と一緒だった。ロッカールームで着替えていると、彼がシャツのボタンを留めながら急に改まって話しかけてきた。


「……ねえ舞田さん。『タマゴおっさん』って知ってます?」


 気のせいか彼の声は少し震えているように思えた。


「……何それ」


「最近この辺で噂になってるんっすよ。検索したらネットにも出てると思いますけど」


「ん、聞いたことないなあ。アレか? 『小さいおっさん』みたいなやつ?」


 小さいおっさんというのはこの十年くらいの間に流布した都市伝説だ。大きさに幅があるがだいたい身長が十センチから二十センチ、中年男性のような風体で、東京都中央部のとある神社周辺でよく見かけられるとか――


「あ、いやそういうんじゃないんっす。人の背丈くらいの白くてでっかいゆで卵みたいなやつに手足が生えてて、卵部分の全体がおっさんの顔なんです。そんなんが最近この麹町から豆畠台にかけての一帯で、夜道を歩いてるのを見たって人が、何人も」


 吹き出しそうになった。えらく近くだし姿かたちが具体的なのだが、想像するとコミカルで面白い。だが、山本は俺の半笑い顔に不服そうだった。


「いや、笑えないっす、笑えないっすから。そいつ、歩いてる人を後ろからさらってぺろんと食っちまうらしいんっすよ!!」


 超怖くないっすか――そういって怯える山本に、俺は何も言えなかった。こちらはそんな都市伝説どころではないおかしなことに、現に巻き込まれているわけで。


「そっか。うん、怖いな。気を付けて帰ろう。あと戸締りしっかりしないと」


「そうっすね……」


 たぶん、山本としてはもっとワイワイと盛り上がりたかったのだろう。だけどまあ彼とは六つも年が離れてるし、こっちは他に気がかりがあるのだ。



 南豆畠の駅で降り、アパートまで家路を急ぐ。遠くにこの街で一番大きな総合病院の建物が見えた。丘の上にそびえるライトアップされた姿はまるでお城だ。

 バス停の脇から西へ曲がり、コンビニで二人分の弁当を買って、一ブロック南の裏通りへ足を踏み込んだ、あと何歩か歩けばシルフリートが待つ我が家――

 

 そこまで来た時、俺は信じられないものを見た。アパートの外周を囲むブロック塀と俺の部屋のドアに挟まれた狭い空間に、何か異様なものがいる。


 ゆで卵そのままのつるんとした曲線でできた体。そこから生えた、人間のものとほとんど変わらない手足。

 何かの絵本で見たハンプティ何とかいう卵の怪人を連想するが、その姿はユーモラスな感じには程遠かった。なにせ、卵部分の全高だけで二メートル近い。


 山本の言う、「タマゴおっさん」そのままの存在がそこにいた。しかも、山本の話よりもずっとでかい。


(なんだこれ……なんだこれ……!)


 でかい。そして怖い。そいつの顔はまるで目を入れたダルマのような、あるいは歌舞伎役者の隈取のようなカラフルなパターンで埋められていて、その土台としておおざっぱな顔の造作がある。

 何より特徴的なのはその口――確かに、人間一人をぺろりと一口に呑み込めそうな大きさで、サメか恐竜のような尖ったギザギザの歯が生えていた。


「なあ、いれてくれ」


 そいつは感情のまったくこもらない隙間風のような声でそういった。


「なあ、いれてくれよ。 かえりたいんだ」


「な、なんだお前……!」


 会話を交わすだけで何か人間として大事なものを吸い取られるのではないかと思うほど、そいつの声と存在感は異様だった。


「あっちへかえりたい」


 そいつの声に少しだけ、悲しみかあるいは焦燥感のようなものが感じられた。俺は脂汗を垂らしながら立ち尽くしていたが、そいつはやがてゆっくりと立ち上がると――高さが三メートルほどになった――ドアの前を離れてぺたぺたと歩き出した。


「またくる」


 そう言い残すと「タマゴおっさん」は街灯の明かりが届かない宵闇の奥へ、ひょこひょことした足取りで消えていった。そいつの姿が完全に見えなくなり、さらに五分ほどたったところで、俺はようやく我に返った。


 玄関のドアを開けて呼び込むとほぼ同時に閉めて鍵をかけた。部屋に電気をつけずにテレビを見ていたシルフリートが振り返り、表情だけをぱあっとほころばせた。


「良かった……無事か。ただいま」


「どうしたんです?」


 動悸が激しく呼吸が切迫してなかなか戻らない。俺の異様な様子に気づいたシルフリートが、肩を貸して居間まで連れて行ってくれた。

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