泣かないで 詩泥棒

「ねえ、君の詩、聞かせてくれないかな」


 不意に声を掛けられたハリーくんは、顔をあげた。

 見上げると、そこには大きな人がこちらを見下ろしていた。


「あっ、うたど……」

 今ウワサの詩泥棒だとすぐに分かったハリーくんは思わず口をもぐりと閉ざした。詩泥棒に詩泥棒と言ってしまうと、すぐに逃げていくかもしれないと思ったのだ。


(ついに来たな詩泥棒、僕がお前をつかまえてやる)

 ハリーくんは、このへんじゃ歌が上手で有名だ。いつかは必ず詩泥棒がやってくると思っていたので、その時は詩泥棒を捕まえて見せようと画策していたのである。身体は小さくとも、脳髄は大人なのだ。脳髄がなにかは知らない。


 分析によると詩泥棒は、長身の男でなんだかとっても怖い声をしている。

 そして、詩を聞かせてほしいとお願いしてくるのだ。そのお願いを聞いてあげると詩を奪われてしまうのだとか。


 でも、一体どうやって『詩』なんて盗んでいくのだろう。

 ハリーくんはこの謎の怪盗の手腕がとても気になっていた。


「詩が聞きたいのかい? 僕はそんじょそこらの詩唄いとは一味違うんだぞ」

「凄いね。どんな歌が好きなんだい?」

「なんだって好きだよ! だって、僕が歌ったら全部好きになるから」


 ハリーくんはちょいとばかりナルってた。ナルシスってたのだ。でも、本当にハリーくんの詩はみんなも凄いと言ってくれる折り紙付きなので『イタイ系』の人ではない。

 そんなハリーくんの言葉に、本当に嬉しそうな笑顔をする怪盗を見て、やっぱり僕の詩を狙っているのだ、とハリーくんは瞳を光らせた。


「歌ってあげてもいいけど、ただじゃダメ」

「えっ、じゃあどうしたらいいかな?」

「僕の言う事に応えてくれたら歌ってあげよう」

「そっか。分かったよ」


 かかったな、泥棒め!

 シメシメとハリーくんは大男の言葉に、ニタリと笑って見せた。


「じゃあ、まずは……どこに住んでるの?」

「とても遠い処だよ」

「あっち?」

「違うね」


 くりん。


「じゃあ、あっち?」

「違うね」


 くりん。


「あっち?」

「違うよ」


 くりん、くりん、くりん。


「どっち?」


 あっちかな、こっちかなと指をさすのに、どこを指しても詩泥棒は「違う」と言った。住んでるところさえわかれば、捕まえるのも簡単なので、最初にこれを聞いておこうと思ったのにぐるりと一回転する方向全部、詩泥棒は「違うよ」と言った。

 結局一回くりんと回って、じゃあどこなんだろうと分からなくなったので、ハリーくんは指を自分の口に咥えてしまった。


「こっち」


 そう言って、詩泥棒は長い指を真下に向けた。真下は地面なので、普段は植わっているのかもしれないなと思った。


「草」

「草とはちがうんだけど……」

「地面の中に家があるの?」

「地面の中……よりももっと下かな」

「えっ、なにそれこわい」


 地面の中のもっと下ってなんだろう。そんなこと今まで一度も考えたことなかった。地面の中にムシがいるのは知ってるけれども、それよりももっと下に掘って行ったらどうなるんだ。


「ど、どんなところ?」

「……ううん……。ちょっと難しいから分からないかもしれないよ」

「ちょ、怖い話やめてよ!」


 ホラーな話で正気度を削るのは嫌い。だって、お尻がひゅっとするから。寝るときも夢の中で怖いことになるから。

 地面の下のもっと下。そこには分からない難しい場所があるんだ。想像するだけでもドキドキする。

 だって、地面の中にいる虫は「げっ」とする見た目が多いのだ。あれは、ハリーくんの美的感覚にそぐわない。


「怖い話じゃないんだけど……なら、話すのはやめようか?」

 詩泥棒は、なんだか理由があれば自分の家のことはあんまり話したくないみたいな顔をしていた。家の事を話すときにハリーくんから視線を外そうとしたから、ハリーくんの灰色の脳髄には分かるのだ。

「う……」


 どうしよう。怖い話はいやだけど、詩泥棒の住処はぜったい知りたい。


「ちょっとまって。友達の家までついてきて」

「え」

「すぐそこだから」

「い、いやしかし……」

「じゃあ、ここで待ってて。友達と約束してくるから!」


 そう言うと、ハリーくんは走り出した。途中でぱっと詩泥棒に振り向いて、「待っててね! いかないでね! 待っててね!」と手を振るので、詩泥棒は困ったような笑顔をして手をふって答えた。


 バタバタと走っていったハリーくんを待って数十分。

 ハリーくんは全速力でまた詩泥棒のところに戻ってきてくれた。詩泥棒もちゃんとそこで待っていてくれた。


「おうい! うたどろぼう~!」

 なんだか、嬉しそうな顔をして手を振りながらやってきたハリーくんの右手には瑞々しいきゅうりが握られていた。


「おかえりなさい」

 ちゃんと詩泥棒がまっていたのが嬉しくて、ハリーくんはほっとした。詩泥棒は、一生懸命走って来たハリーくんを労うように怖い声だけど、できるだけ優しく「おかえり」と言ってくれた。


「これ、あげる」

 そう言ってハリーくんはもっていたきゅうりを手渡してくれた。少しだけひんやりとしていて、氷水にでも漬けられて冷やされていたのだろうと分かる。


「これは?」

「友達がくれた。おやつ」

「もらっていいの?」

「僕、もう食べたから。おすそ分け」

「ありがとう」


 きゅうりをパキリ、と齧ると冷えたきゅうりの甘味が広がった。

 天気のいいお日様の下、瑞々しいきゅうりを齧る至福の時に、詩泥棒はとても嬉しそうに微笑んでいた。


「はちみつがあると、もっと美味しくなるんだぜ」


 詩泥棒が美味しくきゅうりを食べてくれたのが嬉しくて、ハリーくんはどや顔でとっておきの情報を教えてあげた。

 きゅうりに蜂蜜を付けて食べるのは、お祭りのときくらいだけど、本当に美味しいのだ。


「……ところで、どうして友達の家に行ってきたんだい?」

 ぱき、ときゅうりを鳴らして、シャクシャクする詩泥棒は首を傾げて訊ねてきた。


「今日、泊めてもらう約束してきた」

「あ、ああ……、そうだったんだ」

「だから、話してみ? ん? 地面のこと」


 ハリー君は今夜の心配がなくなったので、これで安心して怖い話を聞くことが出来るのだ。ハリーくんは保険を用意したのだ。独りで眠らなくて済むから、怖い夢をみても、まぁ平気じゃなかろうか。


「僕の住んでる場所を知りたいんだよね?」

「うん。地面の下より下の話」

「こことは随分雰囲気が違うんだよ」

「そりゃそうでしょ。地面の下だし」

「ああ、まぁうん……。でもきちんと空もあって空気もあって、人もたくさんいるんだよ」


 詩泥棒の話にうんうん、と頷きながら自分の頭のなかで想像を重ね合わせていたハリーくんだったが、地面を掘って行ってその中で暮らしている詩泥棒の家に、空があるというのは、いかに脳髄が大人でも思い描けないことだった。


「ちょっといってる意味わかんない」

「だと思いました。だから、ちょっと難しいんだよ。僕の世界は」

「ぼくのせかい?」


 世界とはなんなんだろう。哲学がハリーくんを襲った。ちょっと詩人として、詩泥棒の言葉に胸がウズきはじめてしまったのだ。それに詩泥棒があんまり美味しそうにきゅうりを食べてくれたのが嬉しかった。すっかりテンションが上がってきてしまった。


「ははぁさてはコレは、ロマンチックな話だね?」

「え?」

「よし、分かったよ。じゃあ僕の詩、聞かせてあげる」

「え、いいのかい?」


 詩泥棒の言葉はどうにもつかみどころの無いものだった。それはよく詩人が使う手法なんだ。ハリーくんはその辺詳しいのだ。

 だから、ハリーくんは得意げに自分の詩を披露することで、感性の共鳴を呼び起こしてやろうと考えた。

 それはなんだか難しいことのようだけれど、小さな子供でも、赤ん坊だってできることなのだ。言葉じゃなくて、気持ちが通じ合うというのは、そういうことで、詩は気持ちの包み箱なのだ。それをみんな、生まれた時から知っている。


「あそこに山があるでしょ」

 ハリーくんが指さした方角を見やると、なるほど、確かに小さな山がこんもりとある。ピクニックなんかに丁度良さそうで、なだらかな坂をゆったりと愉しめそうだ。


「あれの頂上まで行った事があるんだ」

「へえ……」

「そこで作った詩だよ」


 おへん、と喉を整えたハリーくんは、ぽこんと膨れ気味のお腹を前に出して詩を歌う。


 ハリーくんが自慢の歌声で歌い上げた詩は、大きかった。


 山に登ったハリーくんは、友達と一緒にきゅうりを齧った。

 ポキポキポキポキ齧ったら、かなり美味だった。蜂蜜がなくても究極だった。

 てっぺんから、景色を見ながらきゅうりを食べたら、甘露きゅうりが出来上がる。

 友達が指さした。景色の中の自分の家を見付けた。

 それはとっても小さくて、なるほどなんだね、と二人で笑った。


『僕らはほんとは 小さいのね』


『でもきゅうりはおいしいよね』


『生きてる!!』


 まるでミュージカルみたいな歌と台詞の合わさったハリーくんの詩は、真っすぐに歌い上げられた。

 そんなハリーくんの詩に、詩泥棒は拍手を送った。賛歌というに相応しい元気を与えてくれる詩だった。


「分かる? この詩の良さが」

「うん、いい歌だね」

「ふふん。まぁ、そういうことだよ。地面の上に居ても、山のてっぺんから見下ろせば、ぼくら虫みたいにちみっちゃいのさ」

「知らなかったよ」

「だから、地面の下にいるからって、気にするなよ」

「えっ……励ましてくれたのかい? もしかして……」


 ハリーくんの言葉に、詩泥棒は、目からうろこが取れたという様子で、パチクリと黒い目をしばたたかせた。


「だって、自分の住処のこと、話している時のキミの顔ったら、萎れたチューリップみたいにうなだれてたよ。自分の家、嫌いなのかと思った」

「……」


 詩泥棒は、そのハリーくんの言葉に、一瞬だけ呼吸を止めたみたいに見えた。驚いたのかもしれない。

 ハリーくんは名探偵だから分かるのだ。


「ありがとう。素敵な詩のお陰で、元気になったよ」

「まぁ、僕は凄いですから?」

 ドヤ、と胸を張るとぽっこりお腹が出てくるハリーくんだったが、不意に詩泥棒が取り出した薄いウエハースみたいな板きれにきょとんとした表情に切り替わった。


「なにそれ」

「君の詩。……頂きました」

「な、なにーっ!?」


 詩泥棒が、板切れの表面を指で触ると、板切れからなんとハリーくんの歌声が響き始めたではないか!!


「な、ななな、なな……」


「本当に、ありがとう。……そして、ごめんなさい」


 驚き戸惑うハリーくんがあんぐり開いた口を閉じられない内に、詩泥棒はお辞儀をして身をひるがえすとあっという間にその場から逃げ出した。

 ハリーくんは詩泥棒されたことにビックリしてそのまま、そこから暫く動けなかった。本当は捕まえて見せると張り切っていたのに、いつの間に詩を盗まれたのか分からなかった。


「ど、どうやったんだろうー??」


 あのへんな板切れみたいな道具で盗んだのかもしれないけれど、あんな道具は初めて見た。あれが怪盗の七つ道具のひとつなのかもしれない。


「それに……」


 詩泥棒をすぐに追いかけることが出来なかったハリーくんにはもうひとつ訳があった。

 ハリーくんの前からあっという間に立ち去った詩泥棒ではあったけれども、あいつは最後に謝っていた。


「ごめんなさいって……泣いてた」


 とてもとても悲しい涙がたった一粒だけ、ぽろんと落ちた。

 それをドンマイフェアリーがそっと拾ってくれていたけれど、詩泥棒の声は、ハリーくんの胸すらきゅうっとさせるくらい悲しかった。


「怖くなかったよ、ごめんなさいの声……」


 ハリーくんは、ドンマイフェアリーが、きちんと詩泥棒においついて、お仕事をしてくれるのを祈った。

 詩泥棒がなんだかとっても可哀そうだと思った。

 僕はこれから友達の家でお泊りできるけれど、詩泥棒は誰かと一緒に眠れるのかな。

 ハリーくんは、じぃっと地面の下の下を見つめるばかりだった。

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