第2話「少女怪帰」

 その日は、降りそうで降らない、そんな執拗に曇った空が鬱陶しく感じる日だった。


「何だ……これ?」


そう言って紙袋から取り出した物は、何やら古い木造りの、部品のような物。


汚らしい糸のようなものがいくつも巻きついている。


さきほど処分したいと言って店に訪れた五十代くらいの男が、買取を申し出てきた品だ。


所用があるとかで、明後日にまた店に来るから、査定結果は明後日でいいと言い残し、半ば強引に店を出て行った。


確認してみると、紙袋の中には古い書物が数冊程入っていたが、その他にも何やら小さなガラクタが混ざっていたのだ。


うちは古本屋なのだが。


「困るな……」


ぼやきながらそれらを片付けていると、二階に住む同居人が降りてきた。


私と同い年でもある、地元の大学に通う大学生Sだ。

端正な顔立ち、が、その顔も今はどこか浮かない面をしている。


「おはようってもう昼だけど……どうした、何かあった?」


俺が聞くとSはため息混じりに、


「教授のレポート作りを手伝うはめになったよ……こりゃ徹夜だな」


と、ぼやきながら肩を落とし店を後にした。


学生も大変だ。そう思いながら、俺は片づけを再開する事にした。


日も暮れ、夕飯と風呂を済ませた俺は特に何もする事もないまま、その日は早々と床に就いた。


何時間ぐらい経っただろうか。


不意に店先で何やら人の声がしたような気がし、俺は目を覚ました。


この辺りは泥棒や強盗などといった事件も少なく、あまり警戒心はなかったが、一応用心にこしたことはない。


近くにあった木作りのバットを手に持ち、店の出入り口に忍び足で向かった。


やはり、誰かの声がする。


しかも女だ、幼い女の声。


こんな時間に客?


いくらこ辺には顔見知りが多いとは言え、さすがにこんな夜中に訪れる女の子の知り合いなんていない。


閉じた雨戸越しに、外の声に耳を澄ます。


「返して、返して……」


消え入りそうな少女の声。


明らかにうちの店の前。

この雨戸のすぐ目の前に、誰か居る。


鼓動が早くなり自分を落ち着かせようと大きく息を吸い込もうとした、その時だった。


ドンッ!ドドンッ!!


突如雨戸が激しく叩かれた。

大きく雨戸が揺れる。


驚いた俺は手に持ったバットを手に持ち、雨戸を開け放った。


「な、何のようだ!!って……あれ?


静まり返った深夜の夜空に、俺の怒声が虚しく響く。


誰も居ない。


隠れているのか?


そう思い物陰も見渡したが、誰も潜んではいないようだ。


「何なんだ、今の……」


戸を閉め店に戻ると、俺はバットを置き深いため息を尽いた。


Sのおかげで怪談めいた話は好きにはなったが、こんな思いをするのは、

ごめん被りたい。


警察に電話しようか迷ったが、何だかどっと疲れた俺は部屋に戻ると、すぐさま布団に潜り込み深い眠りについた。


「いやあ、昨日おかしなものを見たよ」


朝からご機嫌なSに起こされた俺は、久々にSの手作りの朝食に口をつけていた。


めざしに卵焼き、白菜の浅漬けとおふのお味噌汁。


これぞ日本の朝食だと思いつつ、カーテンが開け放たれた外に目をやる。


残念ながら昨日と同じ空模様だ。


まあ特にでかける予定はないのだが。


「なあ僕の話、聞こえてるかい?」


今度は不機嫌そうな顔で俺を見てSが言った。


「あ、ああ、聞こえてるよ、何をみたって?」


聞き返すと、Sは持っていた箸を置いて口を開く。


「昨日、実は意外と早く帰る事ができてね、夜中なんだけど、家の前で着物を着た女の子を見たんだよ。声をかけようとしたけど、僕に気付いたのか、すうっとどこかに行ってしまった」


「女の子?」


俺はSの言う、女の子という言葉に大きく反応した。


「なんだい?何か心当たりでも?」


不思議そうに聞き返すSに、俺は昨晩の出来事を話した。


こう見えてもSは生粋のオカルトマニアであり、こう言ったミステリアスな事には目がない男だったりする。

まあ所謂変人って奴だ。

俺も人の事は余り言えない部類だが。


「返して、か……」


Sが神妙な顔で思案している。


部屋の中に重い空気が流れ、時計の針の音が妙に大きく聴こえた。


「もしかして幽霊だったり?」


沈黙に耐えきれず冗談っぽく俺が言うと、Sが顔を上げてこちらを見た。


「う~ん、いや、あれは……幽霊でも、人でもないだろうね……」


「幽霊でも……人でもない?」


何だ、謎かけか何かか?


混乱する俺を他所にSは黙ったまま朝食を食べ終えると、


「今夜、ちょっと付き合ってくれ」


と言い残し、俺の返事も待たぬまま、自分の部屋へと戻っていった。


適当に洗い物をし何時もの様に店を開くと、俺は約束の時間を待った。


仄暗い夕闇が、夜の気配を漂わせて空を覆い尽くしていく。

それと同時に目を覚ました件の同居人が、二階から眠たそうな眼を擦りながら現れこう言った。


「最近、何か人から譲ってもらったり、預かったものはないかい?」


そう聞いてきたので、直ぐにピンときた俺は昨日客から預かった紙袋を手渡した。


「もしかして曰くつきの本……とか?」


そう尋ねたが、Sは何も答えぬまま、それを持ってまた自分の部屋に戻ってしまった。


やがて、辺りは寝静まり、時計の針が午前2時を指し示そうとした時、Sが部屋から降りてきた。


「さて、行こうか」


居間でテレビを見て時間を潰していた俺にそう言うと、Sは押し黙り店の入り口付近へと向かった。


テレビを消し俺もSの後に続く。


「それで、何か分かったのか?」


雨戸の前に着くと、俺は我慢できずに聞いた。


「まあね。ただ……少し危険かも、しれない」


「えっ、危険?何が?」


俺が聞き返した時だった。


「返して」


突如、雨戸の向こうから声が響いた。


昨晩のあの声、間違いない。


俺とSは互いに顔を見合せた。


いつにもなく互いに余裕のない顔をしている。


「返して!」


少女の語気が突如荒くなった。そして、


ドドンッ!


続けざまに雨戸が強く叩かれる。


「いいかA、私が合図をしたら、雨戸をお互いに両端から少しだけ開くんだ。少しだけだ!」


ビクリとする俺の肩をSは掴み、言い聞かせるようにそう言った。


「あ、ああ、分かった!」


何かよく分からなかったが、俺は言うとおりに雨戸に手を掛けた。


ドンドンドンドンドンッ!


「返せっ!返せっ!」


ドアを叩く音も少女の声も、その激しさは増すばかりだ。


が、その時だった。


「今だA!開けるんだ!」


無我夢中だった。言われるがまま、俺は少しだけ雨戸を開いた。掴んだ手に力を込める。


瞬間、


ズッ!


手だ。細く、小さな手が、少しだけ開いた雨戸の隙間からにゅっと入ってきた。


そして、


バタバタバタッ!


と、狂ったように暴れだしたのだ。


凄い力だった。掴んでいた雨戸が押し返されそうになる。


「お前が探していたのはこれだ、持っていけ!」


Sは叫びながら、昨日、俺が客から預かった紙袋の中から、何やら取り出した。


不意に手の動きが止む。


その手をよく見ると、何やら違和感を感じた。


何だこの手は?


そう思った瞬間、Sが取り出した何かを、雨戸の隙間から伸びた、薄気味悪い手に手渡した。


古本ではない。それは、昨日紙袋の中を確認した時に見た、木造の部品。


手はそれを受け取ると、


「キャハハハハッ!」


と、不気味なかん高い声を発し、雨戸から手を引っ込めた。


外から、何か重いものが、ずりずりと這いずるような音が聞こえた。


その音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったのを確認し、俺とSは外に出た。


群雲から顔を覗かせる三日月が、冷たい光を放っていた。


その月明かりの中、辺りを見渡すが、そこには何もなかった。


「S、教えてくれ、あれは……あれは何だったんだ?」


俺の質問に、Sは重苦しい口を開いた。


「人形だよ」


「に、人形!?」


思わず聞き返す俺に、Sはこう付け加えた。


「言ったよね?あれは、人でも幽霊でもないって……」


確かに、朝方言ってはいたが……。


「さっき渡したあれ、なんだったんだ、何で人形が家に!?」


矢継ぎ早に言う俺に、Sは冷たい口調で言った。


「あれはからくり人形の部品だ。ぜんまいの一部だよ」


「ぜんまいの一部?あの糸みたいなのが絡まってたやつか?」


「糸?糸なんか絡まってなかったよ」


Sの言葉に、俺は首を傾げた。確かに俺は、あの部品に糸が絡まっていたのをこの目で見たのだから。


が、その記憶は、Sの次の一言で、完全に打ち砕かれた。


「あれは糸何かじゃない……血が染込んだ、女の長い髪の毛だ」


次の日、寝不足気味な俺とSは、居間で朝食を取っていた。


見るわけでもなくただつけていたテレビに、突如見慣れた文字が映る。


この町の名称だ。


『ええ、現場ではようやく消火活動が終わったようです。代々人形を作り続けてきた、伝統工芸を生業とする老舗だけに、地元住民からは惜しむ声も聞こえています。なぜ家は全焼したのか、そして家主の、』


ブツッ、


Sは無言のままテレビの電源を落とした。


そして、独り言のように、こう言った。


「人でも、幽霊でもないんだ。だったら、どうしようも……ないじゃないか」


そこまで言ってSは箸を置き、部屋へと戻って行った。


居間に一人取り残された俺は、ふと、窓の外に目をやる。


相変わらず執拗な曇り空が、町に陰を落としていた。

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