こんな時聞いてみたいと思ったの なぜかいつものあなたの声を
手に握っている携帯が、先ほどからしつこいほどに振動して着信をしらせているが、無視して走り続ける。
やがて小さな公園についた。ブランコと、ピンクのゾウを模した滑り台、それに狭い砂場があるだけの公園。
昼間は子供たちの声が響くであろうその場所も、今は心もとない街灯の光だけを頼りに、不気味な静けさに包まれている。
ブランコに腰掛けると、鎖がガチャガチャと妙に大きな音を立てた。
相変わらず振動を続ける携帯電話を開くと、発信元の表示は「自宅」。面倒くさくなって、その番号を着信拒否に設定する。ついでに家族それぞれの携帯の番号も。
やっと静かになった。
静けさと共に、心が落ち着いて来るにつれ、外気の冷たさが身に染みる。コートも着ないで飛び出してきてしまったのだから当たり前だ。けれど、打たれた頬だけは熱を持ってじんじんと痛む。
これからどうしよう……家には帰りたくない……
でも、お金もない。手元にあるのは時代遅れのガラケーのみ。これで友達でもいれば、無理を言って一晩泊めてもらうという選択肢もあるだろうけれど、さすがに先輩たちにそんな事をお願いするわけにもいかない。
わたしって、やっぱりぼっちなのかな……
急に寂しさに襲われた。と、同時に不意に強い思いがこみ上げる。なんでもいい。声が聴きたい。と。
私は携帯のアドレス帳を開くと、決して多くないリストの中から、ひとつの名前にカーソルを合わせる。けれど、指は発信ボタンを押すのをためらう。
【今とても緊張してる理由はね君にはじめて電話するから】
思わず苦笑してしまう。こんな時まで短歌を考えてしまうなんて。
けれど、おかげか少し緊張がほぐれた。その勢いのまま、思い切って発信ボタンを押す。
暫く耳元に響く呼び出し音。その間が妙に長く感じる。実際はほんの数秒だったのかもしれないが。
『はい。日比木』
今まで何度も聞いてきたはずなのに。その声は私の心に深く染み入るように響いた。
「せ、先輩……」
『あ? 森夜? 珍しいな。なんか用か?』
「先輩……」
声を聴いた途端、張り詰めた糸が切れたように涙がこぼれてきた。そんな私のすすり泣きが聞こえたのか
『おい、どうしたんだ? お前、まさか泣いてんのか?』
慌てたような声が返ってくる。私はごしごしと目元をこすると、いまだ震える声で伝える。
「先輩……私、家出しちゃいました……どうしたらいいと思いますか?」
『は? 家出!? 森夜、お前今どこにいるんだよ!?』
「ええと……家から少し離れた場所にある”ピンクのゾウさん公園”です」
『わかった。今から行くから、そこから動くんじゃねえぞ!』
「え? で、でも、場所わかりますか?」
『スマホの地図アプリなめんな。とにかくすぐに行くから待ってろ!』
その途端電話は切れた。
先輩がここに来てくれる? 本当に? 私はただ、声を聴ければそれでよかったはず。
でも……それよりも、どうして私は日比木先輩に電話をかけてしまったんだろう。どうして声を聴きたいと思ってしまったんだろう。寂しかったから? 心細かったから? ううん、違う。たぶん、これはきっと――
その時、盛大にくしゃみをしてしまった。
うう、寒い……このままじゃ凍え死んじゃう……体を動かせばあったかくなるかも……
そう考えてブランコを漕ぎ出す。
だんだんと揺れは大きくなり、そのたびに座板がぎぃ、ぎぃと音を立てる。
ブランコなんて乗るの何年ぶりだろう。小学校以来かな……あの頃は友達もたくさんいたのにな。中学生になってから、みんな少しずつおしゃれになっていって、それについていけなかった私は自然と疎遠になって……高校に入ってからは完全に孤立してしまった。
それでも入学当初は頑張って周りの子に話しかけたりしたのだけれど、なぜかみんな「ああ、うん……」というような曖昧な相槌を打つだけで、そこから先は仲良くなれなかったのだ。
私はそこでブランコを漕ぐのをやめる。
そんな私に手を差し伸べてくれたのが先輩達だ。一緒に登下校してくれたり、お弁当食べてくれたり、カフェに連れて行ってくれたり。もしも部活をやめたら、もう二度とあのふたりとそんな事できないかもしれない。それだけは嫌だ。
また涙がこぼれそうになってしまったその時、何かが公園内に勢いよく飛び込んできた。ざざざざっと、何かが激しく地面を横滑りする音と共に盛大な土煙が上がる。
「森夜!」
「……先輩?」
私は思わず立ち上がる。土煙のけぶる中、イプシロン号Zに乗った日比木先輩が確かにそこにいた。
「おい、なんだよそのカッコ。風邪ひくだろ」
私は改めて自分の服を確かめる。うわ、そういえば部屋着のままだった。恥ずかしい……
「ほら、これでも着てろ」
先輩は自分が来ていたコートを脱いで私の肩にかけてくれた。凍えていた身体がふわりとした温かさに包まれる。
「で、家出したってマジか? 何があったんだよ?」
近くの自販機で先輩が温かいミルクティーを買ってきてくれた。それを一口飲んで、少し落ち着いたところで、隣のブランコに腰かけた日比木先輩が切り出す。
私は指先を温めるようにペットボトルを両手でぎゅっと包み込みながら、先ほどの両親とのやりとりを説明する。
「実は、例の雑誌を両親に見られちゃって……部活をやめろって言われたんです。あの服を用意してくれた先輩が、私に悪影響を与えるに違いないからって……それで、つい言い争いになっちゃって……」
ずっと普通の女の子みたいな恰好をしてみたかった事、今までぼっちで辛かった事などを洗いざらい両親にぶちまけた、と。
「あーあ、とうとう爆発しちまったってわけか。まあ、ずっと我慢してたんだもんな。仕方ねえよな」
意外にも先輩は私に同情するようなそぶりを見せる。そのことに少し驚いてしまった。てっきり馬鹿な事をしたと呆れられるかと思っていたのに。
「それで、これからお前、どうするんだ?」
「……もうあの家に帰りたくありません」
「……そういうわけにはいかねえだろ」
「でも、もう嫌なんです。これからもずっと好きな事もできないなんて、息が詰まりそう」
そんなのただ呼吸をしている死体も同然だ。
鬱々として考え込んでいる間に、日比木先輩は立ち上がるとどこかに電話をかけ始めた。
「あ、小田桐? あのさ、いきなりだけどちょっと頼みが――そう――それを送信して……いいから送れって」
通話を終えて暫くすると、先輩の携帯が短く振動した。メールを着信したらしい。先輩はそれをしばらくの間じっと眺めていたが、やがて私の傍へ来ると
「帰るぞ。家まで自転車で送ってやるから」
「……いやです」
「……子供みたいな事言うなよ。俺も一緒に謝ってやるから」
「先輩には関係ないでしょう?」
「あるさ。あの恰好をさせたのは俺だからな」
「でも……」
「……いいか、森夜」
唐突に先輩は屈みこむと、私の両肩を掴む。その力は強く、掴まれた箇所は痛いほどだ。けれど、わたしは先輩の真剣な眼差しに、その手を振り払う事ができなかった。
「俺を信じろ……とは言いきれねえが……せめて俺に賭けてみないか?」
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