おなかだけ特に真っ黒黒猫にわずかばかりの仕返ししたり


 校舎内をひとまわりして化学室前に戻ってくるも、そこにはお客さんの姿はなく、先ほどと同じように先輩達二人しかいなかった。


「ええと、一応宣伝してきたんですけど……やっぱりお客さん来ませんでした……?」


 おそるおそる問うと、日比木先輩が不機嫌そうに応じる。


「客じゃないのなら来たぜ。女子部員の個人情報を教えろとかいう変なやつらが」

「え、なにそれこわい」

 

 ていうか、女子部員て私の事……? な、なにが目的なんだろう……?

 恐々としていると、小田桐先輩が安心させるように笑顔を浮かべる。

 

「あ、森夜さんの個人情報は漏らしてないから大丈夫だよ。日比木が睨んだら即効で帰っていったから」

「そ、そうですか……ありがとうございます」


 とりあえず私の情報が流出することは避けられたようだ。

 ともかく、私は広報担当という任務をこなしたんだからもういいよね。お茶碗の用意でもしておこう。

 お茶といえば、てっきり紙コップにペットボトルのお茶を注ぐだけだと思っていのだが、日比木先輩が


「ちゃんとした茶碗に温かい茶じゃないと雰囲気ぶち壊しだろ!」


 だとか主張するので、急須から陶器の茶碗にお茶を淹れる事になってしまった。ポットまで用意してきて。

 先輩って文化祭の事「めんどくさい」とか言ってなかったっけ……? どう見てもやる気満々じゃないか。もしかして、イベント好きなのかな。

 そんな事を思いながら、休憩ついでに自分と先輩達のお茶を淹れることにした。






「なんで男の客ばっかりなんだよ……!」


 日比木先輩が肩を落とす。

 あれから何組かお客さんが来てくれたのだが、なぜか全員男性だったのだ。それが先輩には不満らしい。

 紙の上に筆でぐるぐると意味のない模様をとりとめなく落書きしている。

 でも、そんな文句を言えるのも、贅沢だったと気づいたのはすぐ後の事だった。

 なぜならそれからまったくお客さんが来なくなってしまったからだ。


「客こねえなあ」

「こないねえ」

「来ませんねえ」


 わたしは先輩たちに温かいお茶を渡す。

 もう何杯目かになるお茶をすすっていると


「森夜さーん!」


 という呼び声が聞こえた。


「……なんだあのバケモノ集団は」

「……百鬼夜行かな?」


 隣で先輩達が呆然としたように呟く。


 『呪いのフランス人形ノノ』こと、野々原さんだ。他にもミイラ男や猫耳っ娘など数名の怪物たちがぞろぞろとこちらに向かってくる。


「あ、大丈夫です。あの怪物達たちは私のクラスの人達です。例の『お化け屋敷風カフェ』の」


 もしかして、来てくれたのかな。うれしい。手まで振ってくれている。すごい。友達感あふれてる!


「休憩時間だから遊びに来ちゃった。えっと……もしかして、もうイベント終了だったりする……?」

 

 あまりにもお客さんがいないので勘違いしてしまったようだ。私は慌てて野々原さんに手を振る。


「ううん。全然大丈夫だよ。今はその、たまたま人がいないだけだから。むしろ大歓迎!」


 野々原さんは「そっか。ラッキーなタイミングだったんだね」と言った後に安堵した様子の後で、私に囁く。


「今日の日比木先輩と小田桐先輩もかっこいいね。和服とかサイコー! 来てよかった」

 

 などと嬉しそうにしている。もしかして、そっちがメイン目的だったのかな……

 それを裏付けるように彼女は続ける。


「ところでタンカブの出し物ってどんなの?」

 



 私が出し物の趣旨を説明すると、野々原さんが真っ先に手を挙げる。


「はーい、それじゃあ『文化祭』ってテーマはどうですか? ありきたりかな?」

「いえいえ。ええと、それでは『文化祭』というお題にのっとり、今からこちらの二人が即興で短歌を作成しますので、しばらくお待ちください」


 先輩たちが筆をとりあれこれ考える様子を見せる。

 私はその間にみんなにお茶を配ってゆく。

 最後の一人にお茶碗を渡そうとした時、相手が受け取り損ねたのか、はたまた手が滑ったのか、お茶碗を取り落としてしまった。

 運悪くこちらにお茶碗が傾き、私の衣装に盛大にお茶がかかる。


「あっ、ごめーん、手が滑っちゃってえ。大丈夫だった?」

「あ、いいよいいよ。拭けば大丈夫だから。それより火傷しなかっ――」


 お茶碗を拾いながら顔を上げると、目の前にいたのは――


「桜坂さん……」

「ほんとごめんね! 手袋のせいで滑っちゃったみたい!」


 と、もこもこの肉球付き手袋を見せてくる。

 でも、確かさっきはその恰好で普通に教室で配膳してたよね……?  まさか、わざと……? 

 ちらりとそんな事が頭をかすめたが、確証もないし、ここで追及するような勇気もない。

 急いでぞうきんを持ってきて床を拭こうとすると


「森夜さん、ここは僕らがやっとくから、早く服を拭いてきたほうがいいよ」


 と小田桐先輩さんが言ってくれたので、その言葉に甘えることにして、化学室内で服にハンカチをあてる。

 幸いにも生地が厚手だったので火傷まではしていないが、結構濡れちゃっている。ドライヤーでもあればいいのに。

 外ではぱちぱちと拍手する音が聞こえる。先輩達が短歌を披露し終えたんだろう。

 濡れた服を拭き終えた私も、そのタイミングで廊下に出る。まだ少しじめっとしていて気持ちが悪いけれど。

 それでも気を取り直して


「以上、お題『文化祭』でした。ご観覧いただきありがとうございました」


 と頭を下げる。

 その時


「はーい。次は私がお題を出していいですかあ?」


 との声。猫耳に黒いワンピース。肉球を模した手袋を身に着けた桜坂さんだ。


「ど、どうぞ」

「あ、その前に質問でーす」

「なんでしょう?」

「森夜さんは即興短歌に参加しないんですかあ? 短歌部員なのに変なの」


 え?


「私、森夜さんの短歌もぜひ見てみていなあ」


 私は思わず瞳を泳がせる。

 そんなのおかしい。だって桜坂さんはすでに私の短歌を見た事あるはずなんだから。

 もしかして、私の「アホっぽい」と言われる短歌をみんなの前で晒させて笑いものにしたいんだろうか。

 あの日、部活見学に来た彼女たちに嘲笑された出来事が頭によみがえる。


「わ、私はその、助手なので……」


 またみんなに笑われるんじゃないかと思うと怖い。日比木先輩だって「オチ要員」とか言ってたし……

 なんとか言い訳して誤魔化そうとした時


「いや、確かにその通りだ。森夜、せっかくクラスメイトが来てくれたんだから、お前の短歌を披露してさしあげろよ。おい、小田桐、その場所代わってやれ」

 

 日比木先輩がそんな事を言い出した。

 え、嘘でしょ……? 先輩は私を見世物にするつもり?

 思わず凝視する私に、先輩は


「好きなようにやればいいから」


 と言って、強引に小田桐先輩を立たせると、代わりに私を座らせてしまった。

 ど、どうしよう。うまく作れる気がしない。


「では、お題を出して頂けますか?」


 そうしている間にも、私と入れ替わりに進行役を務める小田桐先輩が桜坂さんに尋ねる。

 彼女は口元に手を当て暫く考えていたようだったが、やがてどこか含みのあるような笑顔を浮かべる。


「それじゃあ『友達』なんてどうかな?」


 その言葉にぎくりとする。

 友達。ぼっちの私にとっては一番縁遠い言葉だ。そんな私が友情の美しさだとかを短歌で表現してもまるで説得力がない。

 まさか、桜坂さんはまた、私の作る短歌を『妄想族』だとか言って、笑いの種にするつもりなんだろうか。

 

「それではお題は『友達』という事で。二人ともよろしくお願いします」


 小田切先輩に開始の言葉を告げられても、頭がうまく働かない。焦りと緊張で筆を持つ手が震える。

 何も書けないでいる私とは対照的に


「できました」

 

 との日比木先輩の声。早い。私なんてまだ考えている最中なのに。

 どうしたら良いのかわからずフリーズしてしまっている私をよそに、先輩は短歌の書かれた紙を顔の辺りに掲げて読み上げる。



「【ともだちのふりをしながら近づいてくる黒猫に気をつけましょう】」



 私ははっとして先輩を見る。

 それって……黒猫の格好をしている桜坂さんの事? もしかして、私が彼女に友達だからと言いくるめられてネイルアートした事を揶揄している……?

 それを裏付けるように、先輩は紙で顔を隠しながら、私に向かって不敵に唇の片側を上げて見せた。

 その時、先ほどの先輩の 


「好きなようにやればいいから」


 という言葉が脳内にリフレインする。

 そうだ。好きなように書けばいいんだ。『友達』という言葉の響きから、ポジティブなイメージを抱いてしまっていた。けれど、『友達』ってそれだけじゃないはずだ。

 よく考えたら、『友達』なんてお題はこの時にぴったりじゃないか。

 それに今の私はぼっちじゃない。先輩がいてくれる。

 早速筆を手に取り動かしてゆく。



「【嘘ついてネイルアートをさせる人とはともだちになれそうにない】」



 読み上げながら紙を掲げると、その場の空気が凍り付いた気がした。

 けれどそれも一瞬だけ、やがてそれは微かなざわめきとなり、くすくすという控えめな笑いへと変わる。

 それはそうだろう。みんなは私と桜坂さんの間にあった事を知っているはずだ。その私から彼女に対する意趣返し。表向きは短歌という体裁を保ったまま。けれど、誰の事を指しているかは明白だ。

 

 好奇心を含んだみんなの視線を受けた桜坂さんは、それまでの表情を一変させ、顔を真っ赤にする。どうやら彼女は感情が昂ると顔色が変わるらしい。

 その桜坂さんが何か言う前に、小田桐先輩がにこやかに手を叩きながら告げる。


「以上、お題『友達』でした。ご観覧ありがとうございました。はい、拍手~」


 その声に、皆は釣られるように拍手する。桜坂さんはますます赤くなる。


「なんなの? 馬っ鹿みたいな短歌! 全然見に来る価値なかったし! ほらみんな、休憩終わるから戻るよ!」

 

 怒りをあらわにしたまま、踵を返し足音荒く遠ざかっていった。

 やれやれといった様子でみんなも後に続く。

 最後尾にいた野々原さんが、去り際に小さな声で


「やるじゃん」


 と囁いて、ぐっと親指を立てた。




 その後は先輩達が目当てと思われる女子がちらほら現れた。中には差し入れと称してお菓子を置いていく人も。

 先輩の切望した女の子のお客さんだ。

 けれど、なぜか先輩の顔は浮かない。というか仏頂面に近い。

 どうしてだろう? と不思議だったが、暫くしてその理由が分かったような気がする。

 話が長いのだ。どうも先輩達の知り合いらしい。

 お題を出して貰って短歌を書いた後も、そのまま居座ってずっと先輩達に話しかけている。


「ねえねえ、日比木くんと小田桐くん。この後打ち上げでカラオケ行こうよー」


 打ち上げ……! そんなものがあるのか! さすがリア充だなあ。うちのクラスもあるのかな? まあ、私には関係ない事だけど……

 しかし先輩達はそんな女の子達の誘いにも


「あー無理、うち門限あるから」

「僕も用事があって難しいかな。ごめんね」


 などとにべもなく断っている。なんてもったいない事を! 打ち上げだよ? 打ち上げ! リア充の極みイベントだよ!?

 けれど、先輩達は全く未練がないみたいだ。うんざりしたように顔を上げる。


「お前ら、そろそろ戻らなくていいのか?」

「あ、やばっ。もう終了5分前じゃん!」

「それじゃあ二人とも、また後でねー。待ってるよー」

「だから行かねえから」


 ぱたぱたと走り去る女子生徒に向かって日比木先輩は呟いた。


 暫くすると、チャイムと共に文化祭終了のアナウンスが流れてきた。それと一緒に生徒たちの歓声や拍手が聞こえる。みんなで一丸となり何かを成し遂げたという達成感、そして緊張から解き放たれた開放感によるものだ。

 私も安堵のため息を漏らす。


「いやあ、最初はどうなるかと思ってたけど、後半少し巻き返したね。それに森夜さん。あの『友達』の短歌、なかなか良かったよ」

「ああ、あの黒猫女の顔、見ものだったな」

「……実を言うと私もすっきりしました」


 ちょっとやり方はずるいけど、短歌を通して桜坂さんに対する本音を言えたような気がする。


「よし、それじゃ、片付けるとしますか」


 日比木先輩が大きく伸びをする。


「そんで、その後は打ち上げな」

「え? 先輩、さっきは打ち上げの誘いを断ってたじゃないですか」

「あれはクラスの打ち上げだ。俺が言ってるのは短歌部の打ち上げ……とは言っても、いつものカフェでコーヒー飲むくらいか。特別にケーキも付けて」

「それくらいが僕らにはちょうどいいよ。気を張らずに済むし」

 

 え? それじゃあ、あの女子達からの誘いを断ったのもそのため?

 

「もちろん森夜、お前も来るよな。ていうか来いよ」


 なんですと!? 打ち上げに私を誘ってくださると……!?


「はい! 絶対行きます!」

「よし、じゃあまずは着替えだな。八神には話つけてあるから。そしたらまたここに集合って事で」

「わかりました!」


 打ち上げ! 憧れの打ち上げ!

 浮かれながら茶道部の部室へと向かおうとした時


「あ、そうだ森夜」

「はい?」


 振り向くと、日比木先輩が私に向かって片手を挙げる。


「おつかれ」


 最初は意味がわからなかったが、先輩が「ほら」と言いながら手を前後に振る。

 まさか、これってハイタッチ? 青春っぽい行為ベストテンというランキングがあればおそらくランクインするであろうあのハイタッチ!

 私はおそるおそる片手を挙げて、先輩の手に軽く合わせようとした。瞬間、先輩の手が勢いよく前に押し出されて、ぱしんという音が響いた。

 こういう時に使う言葉ってあったよね。確か――


「……う、うぇーい」

「無理してリア充ぶるのやめろ」


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