こっそりと軽い気持ちでしたことが思わぬかたちで拡散される

「森夜さん、ごめん」


 翌日、部室で顔を合わせるなり小田桐先輩が謝ってきた。


「どうしたんですか、突然」


 事態が飲み込めない私に対し、先輩は自身のスマホ画面を見せてくる。

 そこに写し出されるのはツイッターの画面。顔はうまく隠れているが、この学校の制服を着た男子二人の頭から腿あたりまでの写真と、爪のアップの写真。

 これって先輩達だ。昨日私が施したネイルアートのデザインとも一致している。

 そして写真に添えられたツイートは



【ちょっと聞いて! 今電車に乗ってたら近くにいたイケメン男子高校生二人組が可愛いネイルしてて

「お前のネイルかわいいじゃん。ちょっと手貸してよく見せろよ」

「そんなこと言って、ほんとは手を繋ぎたいだけだろ?」

「あ、バレた?」

とかイチャイチャしてていろはすスパークリングれもん吹いた】



「え……先輩達、あの後そんな事してたんですか……?」

「してねえよ! ドン引きすんなよ! 信じるなよ! こんな会話完全なる捏造だ! おまけに盗撮までしやがって!」


 憤る日比木先輩とは対照的に、なんだか困った様子の小田桐先輩が口を開く。


「それも問題だけどさ。深刻なのは他にもあるんだ……ここ見てよ」


 先輩が指差したのはつぶやきの下の方。

 見れば、リツイートといいねの数がものすごいことになっている。


「僕はともかく、日比木はこんな外見だろ? 見る人が見れば制服で学校を特定できるし、このツイートをたまたま見た知り合いからは、あっさり僕たちだってバレちゃって……それで、クラスの女子達が朝から取り囲んできてさ……」

「お二人の関係性を尋ねられたというわけですか」

「ちげーよ! そっち方面の発想をするのはやめろ!」

「それじゃあ何が深刻な問題なんですか?」


 私の問いに、小田桐先輩は言いづらそうに口を開く。


「『あのネイルどこでやって貰ったの? お店教えて!』って、女子達に詰め寄られて……」

「え……?」

「あのネイルアートが気に入って、自分にもして欲しいって言うんだ。でも、森夜さんにやって貰ったなんて知られるわけにはいかないだろ? 参ったよ」

「どうしてですか?」

「だって、知られたら森夜さんのところにネイルアート目当ての女子が押し寄せてくるかもしれないじゃないか。そうなったら申し訳ないよ。こんな写真を撮られたせいで……」

「私は構いませんよ。むしろ大歓迎です」

「え? いいの?」


 意外そうな小田桐先輩に、私は続ける。


「だって、それなら心おきなく生身の人間相手にネイルアートし放題じゃないですか。願ったり叶ったりです」


 むしろ天国だ。それに、それをきっかけに女の子の友達ができるかもしれないし……

 おまけにお店でやってもらったと勘違いされるほどのクオリティに見えただなんて、そんなの嬉しい以外にない。

 そんな私の考えを見透かすように、日比木先輩が


「甘い」


 と声を上げる。


「森夜、お前考えが甘すぎる。空き時間のたびに女子に押しかけられてみろ。昼メシもゆっくり食ってられないし、部活動の時間だって削られるかもしれないんだぞ」


 あ……確かにそうかも……

 特にお昼なんて、私の「友達と一緒にお弁当を食べたい」という願望が発端で先輩達を付き合わせてしまっているようなものなのに、それを蔑ろにはできない。

 と、なれば残念だけれど女子相手のネイルアートは封印か……


「いや、ちょっと待って」


 と、声を上げたのは小田桐先輩だった。


「森夜さんは女子に頼まれればネイルアートしてあげたいんだよね?」

「ええ、まあ、時間があれば……」

「それなら、制限をつければいくらかやりようはあるんじゃないのかな。例えば、週に一人だけ引き受けるとか」

「なるほど……でも、先輩達はそれで構わないんですか? そのせいで私の部活動が疎かになっても」

「そんなの、僕だって塾のある日は疎かになってるし、週に一度くらいなら構わないと思うけどな。日比木はどう思う?」


 問われて、日比木先輩はなぜか一瞬唇を尖らせたような気がした。まるで拗ねた子供のような。

 その後ですぐにそれを隠すように、頬杖をついて顔を背けた。


「別に。部長のお前がそう言うならいいんじゃねえの? 森夜もやりたいんだろ? だったら俺がどうこう言う権利はねえよ」

「だってさ。よかったね、森夜さん」


 小田桐先輩の笑顔に釣られるように私は頷いたが、先ほどの日比木先輩の表情が何故か心に引っかかった。

 





「それじゃあ、今日の放課後は例の約束があるので、部活にはちょっと遅れます」


 ある日の金曜日、お昼休みにお弁当を食べながら告げると、小田桐先輩が箸を止める。


「いよいよか。喜んでもらえるといいね」

「はい、そうなるように頑張ります」


 あれから先輩達により、ネイルアートを施したのが私だと明かされた。小田桐先輩の懸念した通りに、面識もないそれなりの数の女子が私の元にやってきたのだが、利用目的やいくつかの条件を設定し、それを元に申し込み用紙を作成して希望者に対して配ったのだ。

 それらの項目をクリアした人の中から選出させて頂いたのは、小田桐先輩達と同じクラスの二年生の女子。人柄にも問題なさそうだからという先輩達の勧めに後押しされたというのもある。

 ああ、今から緊張してきた。ちゃんとできるかな。でも楽しみ。

 不安と期待の入り混じった気持ちで、お弁当の唐揚げをかじった。



 そしてついに訪れた放課後。

 私は件の先輩女子に連れられ誰もいない視聴覚室にいた。茶道部員だというその人――八神やがみ先輩が誰にも邪魔されないその場所を提供してくれたからだ。

 それもわたしが設定した条件のひとつ。部室では先輩達に迷惑が掛かるかもしれないし、かといって周りが騒がしくても集中できない。臭いも不快だろうし。だから極力二人きりになれる場所がよかった。

 

「あ、あの、今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。選んでもらえてすっごく嬉しい。小田桐くん達のネイル可愛かったよ。今日も楽しみー」


 緊張ぎみの私の挨拶に、八神先輩は気さくに返してくれる。ボブカットの活発そうな人だ。小田桐先輩達の言う通り良い人っぽい。


「ええと、彼氏さんとのデートのためにネイルアートを希望しておられるとか」


 私がこの人を選んだ理由はそこにもある。好きな人とのデートに私のネイルアートを役立てられれば、どんなに素敵なことだろう。そう思ったのだ。


「そうなの。明日彼とバードカフェに行く予定なんだよね」

「わあ、楽しそうですね。それじゃあ、ネイルにも鳥の絵を入れましょうか?」

「あ、それいいね! オカメインコとかセキセイインコとか描けそう?」


 まずい。予想以上に具体的な鳥を指名されてしまった。どちらも名前からすぐにその姿を想像できない。


「ええと、参考画像を提示していただければ極力似せられるように頑張ります」

「じゃあ、良さそうな画像探すね」


 八神先輩はすぐさまスマホで画像を探し出すと私に見せてきた。

 うーん。やっぱりスマホって凄いなあ。私のガラケーなんて画像が表示されない事もあるし。羨ましい。

 そんな事を考えながら、八神先輩の爪にマニキュアを塗ってゆく。事前に手入れもしてきてくれたようで、先輩の爪はつやつやとしている。これも私の提示した条件のひとつ。施術時間短縮のためでもあるし、爪の表面が滑らかなら絵も描きやすい。

 デートだし、ここはやっぱりベースは淡いピンクが良いかな。それで、鳥のシルエットとかお花や葉っぱみたいな模様を描いて……

 集中してついつい無言になってしまうが、八神先輩も黙ったままじっとしていてくれる。

 最後に左右の親指にはそれぞれオカメインコとセキセイインコの絵を描いて完成だ。

 ……どうかな。私のネイルアートは気に入ってもらえたかな……

 ちらりと八神先輩の様子を伺うと


「うわあ、すっごく可愛い! 特にこのオカメインコのほっぺ。色も大きさも絶妙!」


 両手を目の前にかざして大はしゃぎしはじめた。


「森夜さん、ありがとー! えっと、お礼はどのくらいがいいのかな? 料金とか」


 その言葉に私は慌ててしまった。そんな事考えてもみなかった。


「い、いえ、そんな、お金なんて結構ですよ。私も好きでやらせていただいてるし、趣味みたいなものですから」

「えー、そんなのダメでしょ。マニキュアだってタダじゃないんだし、こんなにクオリティ高いものを無償でやって貰うなんて、罪悪感半端ないよ」


 どうやらこの八神先輩はなかなか律儀な人物のようだ。

 とはいえ、お金を貰うつもりなんてなかったし、趣味でやってる素人のネイルアートなら、なおさら貰うわけにはいかない。

 私が困っていると、八神先輩が


「あ、そうだ」


 と、声を上げ、爪をうまく庇いながら自身の鞄を慎重に探りだした。


「それなら、これでどうかな?」


 取り出したのはお菓子の箱ふたつ。棒状のプレッツェルにチョコがコーティングされたものと、筒状のプレッツェルにチョコが詰まった、ある意味似ていて、それでいながら非なる二種類のお菓子。

 

「ほんとはもっと渡したいんだけど、今はこれしか持ってなくて……」

「これ、頂いても良いんですか?」

「もちろん。あ、足りないならもっと買ってこようか?」


 立ち上がろうとする八神先輩を慌てて引き止める。


「い、いえ、これでもう充分すぎます! ありがとうございます!」


 私はお菓子を胸に抱いて何度も頭を下げた。




 

 八神先輩と別れた後、部室に駆け込んだ私は、早速小田桐先輩達に報告する。

 

「とっても楽しかったです! 八神先輩もすごくいい人で、お礼にってこのお菓子くれたんですよ!」


 早速みんなで食べようと、お菓子の封を開けてテーブルの中央に置く。

 ひとつつまんで口にしたお菓子は、今までに何度も口にした事のあるはずのメジャーなものなのに、これまで食べたどのお菓子よりも美味しいような気がした。

 そんな興奮冷めやらぬ私の様子を見ながら、小田桐先輩は


「随分と嬉しそうだね」


 と、お菓子に手を伸ばす。


「だって、私のネイルアートでお菓子という対価を得ることができたんですよ! それって、私のネイル技術にそれだけの価値があったって事ですよね。嬉しいに決まってます!」

 

 何かを提供する事で何かを得る。働くってこんな感じなのかな。


「おい森夜、浮かれるのもいいけど、ここに来たからには短歌もちゃんと作れよ」


 釘を刺すような日比木先輩の声に我に返った。

 そうだよね。先輩達だって、いつまでも私の話ばっかり聞くのもつまらないだろうし。そろそろ自重しよう。

 気を取り直して短冊を前に短歌を考えようとしたが、気づけばいつのまにか先ほどのことを思い出して頬が緩んでしまう。あれは本当にあった事なんだろうか。もしかして私の妄想だったんじゃないか。そう考えるたび、テーブルのお菓子を見ては現実を噛み締めた。

 


【夢の中息継ぎさえもできなくて ネイルの海で溺れる魚】





 翌日の土曜日、夕食後にリビングでのんびりしていると、私の携帯が振動してメールの着信を知らせた。小田桐先輩からだ。


『突然ごめんね。八神さんから【森夜さんに伝えて。今日の"ニュース・ニュース"】ってラインが来て……僕には意味がわからないけど、とりあえず君に伝えておくよ』


 という内容。

 『ニュース・ニュース』とは、確か毎週土曜――つまり今日の夜に放送している情報番組だ。よくわからないが、それを観ればいいのだろうか。

 とりあえずリモコンを手に取りテレビのチャンネルを変えると、ちょうどその『ニュース・ニュース』が放送されている最中だった。テロップには『この秋行きたい! 話題の人気スポット!』

 それを見て私は体が固まったように動きを止めた。

 隣でテレビを観ていた中学生の妹の星実ほしみ


「わあ、バードカフェだって。鳥かわいいー。ね、おねーちゃんもそう思わない?」


 などと言ってきたが、私は何も返す事ができなかった。

 何故ならそこには鳥に囲まれた八神先輩が大写しにされていたからだ。

 




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