31文字のうた

金時るるの

学校の廊下の隅のポスターに惹かれて行くは未知なるところ

『かんたんたんか』


 ある日の放課後、校内の掲示板に貼ってある幾多のポスターやプリントの中に、そんな言葉が大きな文字で書かれた一枚を見つけた。


 かんたんたんか


 はて。どういう意味だろう。

 その意味不明さに逆に興味を引かれ、私は掲示板へと近づく。

 すると文字の下には細長い紙が二枚貼り付けられていた。



【試験前 勉強してたはずなのに なぜかマンガを読んでるふしぎ】


【実は僕 変温動物なんだよね そういいわけして手をつなぐ夜】




 なに? なんの呪文?

 ポスターの下部には更になにか書いてあるので視線を向ける。



『短歌部 放課後に化学室にて活動中!』



 それを見てやっと理解した。おそらくこの細長い紙は短冊で、そこに書かれているものは短歌というやつなのだ。

 確かに、二枚の短冊を見返してみれば、どちらも言葉の音数が五七五七七になっているみたいだ。

 掲示板には他にもいろいろな部活の勧誘ポスター等が貼られている。どうやらこの短歌部とやらの紙もその中の一枚らしい。

 『かんたんたんか』というのも『簡単短歌』という意味なんだろう。

 短歌部……そんな部がこの高校に存在していたとは、入学して半年近く経った今の今まで全然知らなかった。

 それにしても……


 かんたんたんか


 短歌じゃなくて回文じゃないか。

 普通はもっとこう、見せたいものをどーんと持ってくるものじゃないのか? この場合は短歌そのものを。 

 『かんたんたんか』とかいう見出しでいいのか? マーケティング間違ってるんじゃないの?

 しかし私がその一見意味不明な言葉に惹かれたのも事実である。それをかんがみれば、ある意味正しい宣伝手法なのだろうか……?

 しばし掲示板の前で腕組みしながら考える。


 でも、この短歌、ちょっといいかも。

 私は短歌の良し悪しなんてまったくわからないけれど、一番目の短歌の状況だとかは同意できる。

 勉強中に「ちょっと休憩しようかな」なんて思って関係ない本を手に取ったら、そのまま読みふけっちゃったりとか。あるある現象だ。

 二番目の歌は、なんていうか、好きな人にこんな事言われてみたい……みたいな。

 まあ、考えたところでそんな相手いないんですけどね。私には好きな人どころか――


 その時、賑やかな笑い交じりの話し声が聞こえて私は目を向ける。同じクラスの女の子のグループだ。今から下校するらしい。

 私の背中まである飾り気の無いまっすぐな黒髪とは対照的に、ゆるく波打ったり、可愛らしい髪飾りやヘアピンで飾られた、甘いチョコレートやミルクティーのような色の髪の毛。制服である紺色のブレザーなど関係ないというように、とりどりの淡い色のカーディガンを纏い、グレーを基調としたチェック柄のスカートだって短くて、すらりと長い足が大胆に露出している。私なんて膝くらいの丈だというのに……。

 私は彼女らが徐々に近づいてくるのを窺いながら、微かな希望と共に思い切って振り返る。


「あ、あの……ば、ばいばい……」


 華やかな雰囲気を纏ういまどきの女の子たちは、私の言葉など聞こえなかったかのように、いや、存在そのものが無かったかのように、こちらに目を向けることも無く、きゃあきゃあとじゃれあいながら通り過ぎていった。


 うう……今日もだめだった……

 

 肩を落としながら溜息を漏らす私だったが、ふと、先ほどまで見ていた短歌部のポスターへと目を戻す。


『短歌部 放課後に化学室にて活動中!』






 私の通う高校の校舎は上から見るとカタカナの「エ」のような形をしている。

 そのエの上の棒の右側。廊下の一番端にある「化学室」と書かれたプレートの下で、私はうろうろしていた。隣は化学準備室という名の物置で、普段は施錠されている。だから化学室といえばここしかない。そういうわけでここで間違いないはず。

 にもかかわらず何故部屋に入らないのか。理由は単純。短歌部のポスターを見てやってきたはいいものの、入室するタイミングを見計らっているのだ。


 はたして短歌をほとんど知らない私が短歌部の方々に受け入れられるものだろうか。掲示板で見た短歌がちょっと気になるという程度で。いや、そもそも入部すると決めたわけじゃないのだが……だからこそ余計に躊躇っている。

 けれど、先ほどから化学室の中はやけに静かで物音ひとつしない。本当に活動してるのかな……?

 ……ええい。いつまでもこうしていても仕方がない。迷わず戦場へと飛び込むのだ私よ。今こそ。そう今こそ。

 思い切って化学室の引き戸を、それでもおそるおそる開けると、途端に声が飛んで来た。


「遅えぞ小田桐……って、お前、誰?」


 そこにいたのはひとりの男子生徒。鮮やかな金髪は一見無造作に乱れているようで、野生的な印象を受ける。その隙間から覗く耳にはシルバーのピアス。ブレザーのボタンは全て外されており、開いた襟元にはネクタイすらしていない。その思いっきり校則に反した格好が、彼の反抗心を表しているような気がした。


 鋭い瞳がこちらを見つめるが、それよりも目立っているのは、頬に貼られた大きなガーゼ。よく見れば顔には他にも擦り傷がある。あちこち怪我しているみたいだ。

 こ、この人、めちゃくちゃ怖そう……もしかして不良とか……? 顔の怪我は喧嘩してできた怪我だったり……? こんな人が短歌部の部員? ほんとに?

 なんだか危険な空気を察知した私は、慌てて首を横に振る。


「いえ、あの、ちょっと部屋を間違えたみたいで……すみません……」


 思わず謝りながら後ずさると、背中が何かにどすんとぶつかった。

 おかしいな。ドアは開けっ放しだったはずなのに。それにぶつかった感触は、ドアみたいに固くない。


「あっ、ごめん。こんなところに人がいると思わなくて」


 その声に振り返ると、ぶつかったのはドアではなく、背の高い男子生徒だった。長すぎず短すぎない頭髪は、前髪を左のほうに流していて、緑がかったセルフレームの眼鏡をかけて知的な雰囲気を纏っている。ブレザーのボタンもちゃんと留めていて、ネクタイもきっちり締めた、実に模範的で爽やかな男子生徒だ。

 この人も短歌部員なのかな?


「大丈夫? 怪我しなかった? どこか痛いところはない?」

「は、はい。大丈夫です。こちらこそすみません……」


 こちらを気遣う様子の眼鏡男子に、なんともない事を告げると、彼は安堵したように表情を緩めた。


「それならよかった。ところで君、ここに何か用かな?」


 眼鏡男子は優しげな口調で尋ねてくるが、先ほど金髪男子に対して『部屋を間違えた』なんて言い訳した手前、いまさら短歌部を見学したいとは言い出せない。

 それにやっぱり背後の金髪男子が怖い。

 

「そいつ、部屋を間違えたんだってよ」


 口ごもるわたしの代わりに金髪男子が答えてくれたが、眼鏡男子は首を傾げる。


「それは妙だな」

「え? な、何がでしょう」

「入学したばかりならともかく、化学室なんてそれこそ授業で毎回使うのに今更間違えたりする? それに隣は物置同然の化学準備室で、施錠されてて中に入れないのは周知の事実。だからそっちに用があったとも考えられない。おまけにこの化学室は廊下の端に位置していて、これより先に部屋は無い。つまり別の部屋と間違えるなんて事は常識的に考えて難しい」


 え、な、なにこの人……

 まるで私が最初から化学室に用事があった事を見抜いているみたいな……

 返す言葉を探す私に対し、たたみかけるように眼鏡男子は続ける。


「もしかして、君は短歌部の入部希望、もしくは見学希望者なんじゃないかな? それでこの化学室を訪れた」

「は? それじゃあなんでそいつは『部屋を間違えた』なんて言ったんだよ」


 金髪男子の疑問の声に、眼鏡男子は苦笑を浮べる。


「そりゃお前のせいだよ、日比木。こんなガラの悪い男子がひとりで部屋にいたら逃げたくもなるだろ。女子ならなおさら。だから部活を見学したいとも言えずに咄嗟に『部屋を間違えた』なんて言ったんじゃないか?」

「なに? そんな目で俺の事見てたのか? 失礼な奴だな」


 バ、バレてる……!

 なんなのこの眼鏡の人。妖怪サトリか何か?

 これ以上心を読むのはやめて頂きたい。どうやら短歌部というのは私が考えていたより色々な意味で恐ろしい部のようだ。だめだ。早くここを離れよう。

 しかし逃げようにも出入口は眼鏡男子が塞いでいてどうにもならない。

 更に眼鏡男子は、私の逃走を阻止するかのように部屋の中に足を踏み入れると、ドアをぴしゃりと閉めた。

 おののく私に対し、眼鏡男子は安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。


「大丈夫。金髪のあいつは一見凶悪そうに見えるけど、実際はそれほど害はないから。あの顔の傷だって、今朝自転車に乗りながらスマホを操作してたせいで、電柱に気づかずに盛大にぶつかって転んだだけなんだ」

「おい小田桐、てめえ余計な事言うんじゃねえぞ!」

「あんまり大きい声出すなよ。この子が余計怖がるじゃないか。それに転んだのは事実だろ? 短歌に使えそうないい感じのフレーズを思いついたから、どうしてもメモしておきたかったって」


 な、なんと。顔のガーゼはそれが原因だったのか……

 あの金髪男子も意外と短歌愛に溢れている人物のようだ。しかもあの外見で自転車通学。バイクとか乗り回してそうなのに意外と地味。こう言ってはなんだけど似合わないなあ……

 しかし今の話で確信した。やはりここは短歌部の部室で間違っていないらしい。


「その鞄持つよ。邪魔だろ?」


 眼鏡男子はさりげなく私の手から通学鞄を取り上げると、金髪男子の座るテーブルまで歩いて行って手招きした。


「こっちにおいで。早速部活の話をしよう。君の席はここでいいかな?」


 そう言って丸椅子をひとつ差し出す。

 まずい。なんだかんだで鞄を奪われた。あの中にはお財布はもちろん定期券も入っているというのに、これでは逃げられない……あの眼鏡の人、優しそうに見えて結構強引なのかな……


 ともあれ、完全に逃げ場を失った私は、なすすべもなく、差し出された椅子におそるおそる近づいて腰かけた。





「さてと。まずはありきたりだけど自己紹介からかな」


 向かい側に座った眼鏡男子が口火を切る。


「僕は小田桐おだぎり 恭介きょうすけ。二年生だ。一応この短歌部の部長をしてる。それで、こっちの凶悪そうな金髪が副部長の――」

「凶悪そうで悪かったな。俺は日比木ひびき 伊織いおり。この眼鏡野郎と同じ二年だ」


 金髪男子は隣の眼鏡男子の言葉を引き継ぐ。不機嫌そうに頬杖をつきながら、こちらに目もくれずにそっぽを向いて。

 なるほど。優しそうな眼鏡男子が小田桐先輩で、怖そうな金髪男子が日比木先輩か。よし覚えた。と思う。


「それで、君は――?」


 小田桐先輩の促すような言葉に、私はまだ自分の名を名乗っていない事を思い出した。


「わ、私は 森夜もりや 月湖つきこ。一年です。あ、月湖の『こ』は子どもの『こ』じゃなくて、湖の『こ』です」

「へえ、なんだか神秘的でかわいい名前だね」


 小田桐先輩が褒めてくれた。照れるけどうれしい。学校で誰かとこんなに和やかに話したのも随分と久しぶりだ。そのせいか、私の気分も口も軽くなる。


「私、掲示板に貼られてたポスターを見たんです。どっちの短歌も面白かったです。勉強中にマンガを読んじゃうっていう短歌のほうはすごく共感できたし、もうひとつの変温動物のほうは、こんな事実際に言われてみたいなーなんて思ったりして、ちょっとときめきました」


 そう伝えると、二人の先輩は顔を見合わせた。

 な、なんだろう。変なこと言ったかな。

 不安になる私に小田切先輩は笑顔を向ける。


「あの短歌を見てくれたんだね。実はあれは僕たちが作ったものなんだよ。見てくれる人なんて少ないし、ましてや感想を貰える事なんて滅多にないから嬉しくて」


 そうか。自分達の作品をあそこに掲示していたのか。


「でも、意外でした。ああいうのも短歌って言うんですね。私は短歌といえば、てっきり『ナントカなりけり~』みたいな感じかと思っていたので……」

「確かに、古典の授業なんかで習うのはそういう歌だよね。古今和歌集とか。でも今の短歌は自由に作っても何の問題も無いんだ。面白ければなんでも良いって感じみたい。俳句と違って季語もないしね。そうだ、せっかくだし、森夜さんも今ここで短歌作ってみない?」

「え? いや、そんな、私なんかがいきなりそんな事、おそれ多い……」

「大丈夫だって。日頃思ってる事とか、今日あった出来事とか、なんでもいいからさ。もちろん嘘でも、妄想でも」


 言いながら、手元のバインダーから短冊状の白い紙を取り出すと、私の前へと一枚滑らせる。


「うちの部ではこれに短歌を書くんだ。ただの紙に書くより、この方が気分出ると思わない? まるで素人の歌がちゃんとした作品になるような気がして」


 確かに、長細い紙がなんとなく本格的な感じがする。額縁に入れて飾っておきたくなるような。掲示板に貼ってあったのもこの紙だった。


 小田桐先輩もああ言ってくれている事だし、せっかくだから思った事を書いてみようかな。

 しばし考えながら、私は思いついた言葉を、短歌の体裁になるように短冊へと落とし込んでいった。



【甘いもの 食べた後には塩辛いものを食べたい無限のループ】



「ええと、あの、甘いものを食べた後には塩辛いものが食べたくなって、でもその後はまた甘いものが食べたくなるっていう現象を表現してみたんですけど……」

「日常生活の中で感じた事を表現したわけか。うん。面白いよ、この短歌。なあ、日比木もそう思うだろ?」


 小田桐先輩に肘で突かれ、日比木先輩がめんどくさそうに口を開く。


「あー……うん、いいんじゃねえの?」

「ほ、ほんとですか!?」


 褒められた!

 もしかして、短歌って思ってたより難しくないのかな?


「森夜さんには短歌作りのセンスがあるかもしれないな。こんな素晴らしい短歌見た事ないよ。その才能を埋もれさせるのは実に惜しい。是非とも僕らと一緒に短歌作りの技術を磨いて行こうよ」


 そ、そんなに……?

 私って、実は隠れた才能があったのかな? もしかして、もしかして、ここが私の本当の……


「ほら、ここに入部届けがあるから、必要事項を記入して」


 我に帰った私は小田桐先輩に促されるまま入部届の空欄を埋めて行く。

 その途中で大事な事を思い出した。


「あ、あの、私、家庭の事情で5時半頃までしか活動できないんですが……」

「ああ、そんなの全然気にしないで。僕も塾のある日は早く帰るしね。四時から始めたとしても一時間半も活動できれば十分だよ」


 小田桐先輩のその言葉に、私は安心して記入済みの入部届けを提出した。


 が、その時はまったく気づかなかったのだ。彼らの思惑に。

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