第二話 〇三:四〇 卵管膨大部海戦 開始前


一、 〇三:三八 深部卵管峡部海域


「トヨダ艦長、付近に漂っているフリーラジカル信号は……第119787281小隊・ルイーズ艦からのものに間違いないようです……その……何というか……」

 古い付き合いの電信士が、言いにくそうに第019831014小隊艦長であるトヨダに報告する。正面モニターには、黒煙をあげ撃沈している同型SPMZスパマトゾオン艦と、巨大な卵管ヒダが折れ曲がった形で横たわっているのが映っている。


「もう少しで卵管峡部海域を抜け、卵子卵丘複合体との決戦の場である卵管膨大部海域(Ampulla Ocean)までたどり着けたというのに……ルイーズめ、先に逝くとはな……」

 トヨダは奥歯を噛みしめ、官帽を目深に被る。その脳裏には士官学校での日々や、自分たちが搭乗する予定になっていた、このSPMZ艦の建造現場を見学するために、他の士官候補生たちと一緒に訪れた精巣上体尾部ドック(※1)の映像がありありと浮かぶ。もちろん、それは白血球による攻撃で、子宮海域(Uterus Ocean)で命を落とした多くの僚艦に対しても同じであった。


「しかし、ルイーズ艦が出してくれたフリーラジカル信号によって、本艦はあの巨大卵管ヒダに捕まることなく航行することが出来ました。もしかして、ルイーズ艦長は……」

「あるいは、そうかもしれないな。アイツの考えそうなことだ」

 トヨダはそう言うと、もう一度正面モニターの隅に消えそうな士官学校時代の友人の乗っていた精子艦を見つめる。

 右手をあげ、人さし指を官帽のつばの部分右斜め前部にあてる。

「誇り高き第14精子戦艦隊と、勇気ある行動で我々にみちを切り開いてくれた第119787281小隊に」

 ブリッジにいる隊員たちも立ち上がり、トヨダに従う。ルイーズ艦の残骸がモニターから見えなくなるまでの間、挙手による敬礼が続いた。



二、 20XX年 9月18日〇三マルサン三五サンゴ


 卵管峡部海域(Isthmus-UTJ Ocean)もいよいよ深部に到達すると、卵管奥、卵巣側から流れる卵管液フローの"向い波"(※2)も強くなり1.00e-4ノットと、最新鋭の巡行精子戦艦であるSPMZ艦の航行速度を上回る速さとなる。

「航海長、卵管壁と並行にならないように細やかに操舵せよ。機関長、ミトコンドリアジェネレーターの出力を抑え、最小前進速度で維持。次の"うねり"が途切れたタイミングで最大出力に切り替えるように準備を」

 トヨダの指示を受けると、今度は航海長が「取り舵20」と部下に指示を出す。

 卵管峡部と目指す卵管膨大部海域との境目となるこの場所では、卵管"そのもの"のうねりによって生み出される向い波の間は流されないように耐え、そのうねりが止まるタイミングを見計らって先に進む……という一進一退が続いていた。その間にも、数隻の僚艦が針路を誤り、卵管ヒダに激突して轟沈している。

「記録によれば、あと0.1mm進めば卵管膨大部海域となるはずだ! みんな、もう少し耐えてくれ!」

 トヨダが隊員たちを励ますと、ブリッジのあちこちで「はいっ!」と必死な返事が返って来る。

 出航から二時間半というSPMZ艦にとっては長い時間の航行にも関わらず、隊員たちの士気は高い。それには、途中でみたルイーズ艦の雄姿が影響しているのかもしれない。トヨダはじっと正面モニターの奥に広がる暗い海を凝視していた。



三、 〇三:四〇 卵管膨大部海域


「艦長!! 卵管峡部、抜けます!!」

 航海長が叫ぶ。同時に正面モニターにはこれまでの暗く狭い海から、一転、巨大な明るい海が広がる。


 目的地である卵管膨大部海域(Ampulla Ocean)にたどり着いたのだ。


 ブリッジのあちこちから歓声があがる。

「航行速度を最小速度に落とし、付近の哨戒しょうかいを最優先。各分隊は現状をしらせ」

 トヨダも幾分か穏やかな様子で、砲雷長、航海長、機関長の三分隊長に指示を出す。


「こちら艦首、先体ブロック。砲雷長のスズキです。先体膜、先体内酵素爆弾に異常なし。ラフト構造およびGPIアンカータンパクも無事です」

「こちら機関室。ミトコンドリアジェネレーターに異常はありません。このままのペースであれば、卵子卵丘複合体との海戦についても、ATP供給量はおそらくは問題ありません」

「二分隊より報告。卵管膨大部海域、その広さはおよそ10mm。本艦の200倍、子宮海域の六分の一程度ですが……先程までに比べると広大な海ですな」

 航海長の報告に、トヨダが「他にわかったことは?」と尋ね返す。

「先程までの卵管峡部海域と同じくこの卵管膨大部海域にも通信妨害装置・AMI/NOアミノ-119の影響がありますが、なにぶん海域の広さが違うので、多少のノイズは入りますが、僚艦との通信が可能かと思われます」


「卵管ヒダは?」

 艦長が続ける。

「もちろんありますが、ルイーズ艦と交戦した巨大ヒダの存在は確認されていません。というより、広すぎて卵管ヒダの生えている卵管上皮壁を調査できていない……というのが正直なところです」

 トヨダはふーむと唸り、官帽を取る。

「砲雷長! 卵子卵丘複合体の確認は!?」

 通信機を片手に、トヨダが艦首・先体ブロックの砲雷長に尋ねる。

「まだ走化性そうかせいレーダー(※3)には何も。それに伝承にあるIZUMOいずもユニットも何も反応していません」

 砲雷長からの返答を受け、トヨダが腕組みをして考え始める。


 SPMZスパマトゾオン艦は最近開発された精子巡洋戦艦であるものの、建造した精巣上体尾部ドックには仇敵である卵子卵丘複合体の情報がないため――情けない話ではあるのだが――その識別方法については、古い文献や伝承を参考にして作られている。

 それらの文献や言い伝えに記されていた卵子卵丘複合体が掃き出すと言われている分子群を、いち早く察知し、艦の針路を自動オートで修正することを可能にした走化性レーダーと、そしてもう一つ"IZUMOユニット"である。


 IZUMOユニットについては、このSPMZ艦よりもはるか古来から存在しており、軍においても上層部の一部しかその中身を知らないという完全なブラックボックスで、トヨダをはじめすべての隊員が「卵子卵丘複合体を見つけることができる装置」という程度の認識しかない。もっとも、戦艦乗りふなのりである自分たちには、「何に使えるか」だけわかっていれば十分だとも、トヨダは思っている。


「走化性レーダー、IZUMOユニットともに反応がないのであれば、この付近に卵子卵丘複合体はないと考えてもいいだろう。航海長、こののち、○四マルヨン三○サンマルまで僚艦の到着を待つ。錨泊びょうはくできそうなポイントを探せ」

 トヨダの指示に、航海長が短く応える。

「諸君。本艦はこれより○四マルヨン三○サンマルまでの間、僚艦を待つためにこの卵管膨大部海域開口部に留まる。各分隊、各自、シフトを確認し哨戒しつつ休息をとりたまえ」

 ブリッジの中に漏れ出た隊員たちの安堵のため息を確認すると、トヨダは少しだけ口角を上げ、自分の船室に戻るのだった。



 こうして、第14精子戦艦隊第019831014小隊・トヨダ艦は束の間の休息をとる。それが、彼らの"最後の"休息となることは、まだ誰も知るはずはなかった。



(続く)


※1 精巣上体尾部ドッグ(Cauda Epididymidis Dockyard):精巣ドックで建造された各精子巡洋戦艦が輸送され,最終的な改装を行う海軍工廠。ここで最終的な調整が行われるため,精巣ドック内の精子巡洋戦艦は受精能力および子宮海航行能力を持っておらず,精巣上体尾部ドックを経て,はじめて"受精可能な"精子巡洋戦艦となる。この最終改装のことを,epididymal maturationと呼ぶ。精子艦の型式によって,epididymal maturationが行われるドックは様々で,ブタ型精子艦では精巣上体頭部ドック,ラット型精子艦では精巣上体体部ドックといわれている。ヒト型精子艦については厳密にはどのドックで行われるか不明な点が多いが,作中では精巣上体尾部ドックとした。

※2 向かい波への巡航:哺乳類型精子艦は一定方向に流れる流れのなかに置かれると,流れの方向に逆らって巡航するという特性が備わっている。これをrheotaxis(走流性)と呼ぶ。一定方向に流れる雌性生殖道海域を迷わず航行するための必須な特性の一つと言えよう。

※3 走化性レーダー(Chemotaxis Radar):精子艦が卵丘卵子複合体から放出される特定の物質に反応して,自身の針路を変えるためのレーダー装置。古い文献を参考に様々なレーダーが開発されたが,その有効性については多くの議論がある。走化性レーダーが卵子卵丘複合体の反応をとらえると,外界からCaイオンの取り込みを開始し,反応のあった方向に自動で操舵する。各精子艦ごとに搭載している走化性レーダーは異なっており,ウニ型精子艦ではグアニリルサイクレース型走化性レーダー,マウス型精子艦では7回膜貫通Gタンパク共役型MOR23走化性レーダーが搭載されている。作中のヒト型精子巡洋戦艦SPMZに搭載されている走化性レーダーは,マウス型と同様に,卵子卵丘複合体から放出されるペプチド類に反応する7回膜貫通Gタンパク共役型hOR17-4型走化性レーダーであるが,その有効性についてはいまだ完全に明らかにはなっていない。

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