第9章 能面シカミの男(2)

 上泉とクライヴは仲居に案内され、玄関脇にある竹製のアーチから直接中庭に入った。

 砂利に敷かれた飛び石を渡り、奥へと進んだ。

 花盛りを過ぎたつつじ、自然岩で造られた人工池、その上に架かった石橋を渡り、離れに通される。

 無骨な木片が戸の上に掲げてあり、楷書で『桔梗ききょう』と彫られていた。

 中に入ると、座敷に源蔵と城島がいて、下座に着座していた。

 源蔵は和装、傍らには杖が置いてあり、右側ではなく左側にあった。

 城島のほうは黒のスーツを着ていて、こちらはとくに変わりなかった。

 城島が立ち上がり、仲居に心づけを渡して、そっと何か耳打ちする。仲居は礼を言って座敷から出て行った。

 城島は自分の席に戻り、言った。


「大事な話があるので誰も近づかないように言っておきました」


 それから座卓を間に挟んだまま一分ほど過ぎる。源蔵が口を開いた。


「やはり君だったか。大口の株主、取引銀行、官僚など、剛心に関わりある、あらゆる名士が、わしにここへ出向くよう言ってきおった。このようなことは初めてだし、このような真似ができる者はそう多くはない」


 上泉は何も言わず、座卓を見た。

 うるし塗りの大きな座卓で、漆の下にははすの花が咲いている。

 秘すれば花と言うが、まず始めに花を咲かさなければ秘することもできない。

 上泉は花が咲くまで黙り続けた。


「君を送り届けた部下たちは帰って来ず、代わりにまたこうして性懲しょうこりもなく君がわしの前に現れる。これはどういうことかね? 君はあれほど大層なことを言いながら、死の間際、恐れをなして暴れたのか? だとしたら口だけの男だな、君は」


 座卓に埃が落ちている。上泉はふっと息を吹きつけ飛ばした。

 源蔵が座卓を叩いた。


「何か言ったらどうかね!」


 遠くで三味線が鳴っている。上泉は顔を上げ、ぽつりと言った。


「臓器売買」


 上泉の言葉に源蔵の目が少しだけ泳いだ。


「いい年こいて馬鹿なことをしたな爺さん」

「臓器が提供されず、今にも死のうとしている人間を救って何が悪い」

「独善だな。人を救えるのは神だけだ」

「神? 神が何をしてくれた?」

「何もしてくれない。ただ観ているだけだ」

「そんな神に何の意味がある?」

「意味があるのではない。意味を知るために神がいるのだ」

「知ってどうするというんじゃ!」


 源蔵は苛々いらいらした口調で言った。


「仮説がまことであると証明できる」

「仮説、じゃと?」

「そう、仮説だ。今まであなたは臓器売買により多くの人命を救ってきたのかもしれない。だがその行為が善なのか悪なのか、その真偽を僕たち人間が判断することはできない。なぜなら、行為をする者と判断をする者が同じ人間だからだ」

「……」

「故に、個と離れた普遍的な基準として、法があり、道徳があり、倫理があり、社会通念がある。しかしながら、それら基準も人間が創ったものでしかないので偏りがあり万能ではない。真なる意味において善悪の判断基準が存在しない以上、僕たち人間の自由意志、決定及び行為全てが箱庭の仮説でしかない」

「……」

「あなたの立場に置き換えてみよう。あなたは人の命を救うためなら臓器を売買しても構わないと考えている。しかし、それは法律上、倫理上、宗教上の観点から異論が出るだろう。例えば、倫理観に重きを置く者はあなたの行為を否定するだろうし、家族に臓器移植が必要な者だったら同情、賛同するかもしれない。つまり、あなたの行為は人の思想、立場によって判断が分かれてしまう事柄であり、それはすなわち、善である根拠が乏しく、れっきとしたものなど何一つない仮説でしかないと言うわけだ」

「……」

「仮説は証明されなければ虚無へと堕ちる。だから僕たちは人生をかけて仮説が真だと証明する必要がある。全身全霊で全知全能の神に問いかけ、自分の意志と行為の意味を知らなくてはいけない」

「――わしは間違っておらん! 救われた命は今も生きていて、人生を謳歌しておる! それが現実じゃ!」

「じゃあ、なぜ僕がここにいる?」

「何と言われようとも、わしは間違っておらん! 君は仮説と言った。だとしたら君の言っていることも仮説ではないのかね?」

「そうだ。僕の存在、言葉、行為いずれもまた仮説でしかない。だからこの戦いを神に捧げようと思う」

「交渉決裂じゃな」


 城島が上着の内側から拳銃を取り出した。コッキングして銃口を上泉に向ける。


「マカロフか」


 クライヴが座卓に片肘をつき、軽く握った拳に頬を乗せ、脇から拳銃を興味ありげに眺める。もう一方の手を座卓の下に潜り込ませた。


「サプレッサーぐらい装着したらどうだ。このようなところで撃てばそれなりの音がするが、いいのか? ゲイシャも驚くと思うが」


 城島が源蔵に目を向けた、その瞬間だった。クライヴが腰を浮かせ、潜り込ませた手で座卓を思い切り跳ね上げた。座卓は屏風のように立ち上がり、世界を向こう側とこちら側に分ける。

 クライヴは身を沈め叫んだ。


「兄弟!」


 上泉は身を低くし、クライヴと一緒に座卓を蹴り込んだ。

 座卓がふっと浮かび、移動する。畳の削れる音と共に、座卓の向こう側で鈍い音が鳴った。

 マカロフが畳の上に落ちて部屋の角に転がっていった。

 膠着こうちゃくする――。

 クライヴが動いた。

 ほぼ同時に座卓の影から鼻を押さえた城島が姿を現す。

 城島は銃に駆け寄ったが、クライヴは違った。腕を鞭のようにしなわせ、城島の顎を打ち抜いた。

 城島は崩れ落ちた。

 クライヴは拳銃を拾い上げ、弾倉を外し、装填された弾を抜き取った。部屋の角に放り投げた。


「文明の利器に頼ることなかれ、戦っているのは己だと忘るるべからず」


 上泉は立ち上がり服の埃を払った。座卓の向こう側を見下ろす。源蔵がおでこに手を当て城島のほうを見ていた。

 城島は立ち上がろうとしているが、腕に力が入らないようだ。口からよだれを垂らしている。


「安心しろ。すぐ元に戻る」


 クライヴは敵の増援に備え、座敷の入り口に向かった。

 上泉は座卓を源蔵から引き離し、その間に割って入った。

 源蔵の杖が足元に落ちている。拾い上げた。重たい。定め駁に比べてはるかに重い刀だった。

 座卓に浅く腰掛け、杖を源蔵に差し出した。


「受け取れ、そして、抜け。今すぐ僕を殺して、神などいないと証明してみせろ」


 源蔵は上目遣いで睨んだ。三白眼が鋭かった。杖を受け取り、いきなり抜いた。途中で止まる。

 刀が抜け切る前に、上泉がすねで源蔵の腕を止めていた。

 源蔵は押さえ込まれた自分の腕を驚きの表情で見ている。


「もう一度だ」


 上泉は座卓に再び腰掛けた。

 源蔵が立ち上がり距離を取る。刀を杖に収め、右足を浮かせ、踏み込んだ。同時に左足を引き、抜刀、その速度は先ほどとは比べ物にならない。

 だが結果は同じだった。

 刀は抜き切ったものの、源蔵の手首と上泉の右腰がかちあい、風が吹き抜ける。力が彷徨う。


「よく練り込まれた、いい抜き打ちだ。だがことわりがない。もう一度だ」


 上泉はまた腰掛けた。源蔵は刀を下ろした。


「わしはどうしたらいい?」

「そんなことは自分で考えろ」


 源蔵はひざまずき、項垂うなだれた。


「どうすればいいんじゃ」


 そう言って抜き身の刀を見つめている。突然、顔を上げ、部屋の角、北東の方角を見た。

 上泉も目を向ける。


「奴が来る。先日、切り捨てたばかりなのに、こんなにも早く再訪するとは」

「奴とは、あの能面の男か?」

「そう、奴じゃ」


 部屋の角から勢いよく、白い埃を身に纏いながら、能面シカミの男が現れた。すでに軍刀を抜き、振りかぶっている。

 源蔵は身動き一つしない。頭頂部に刃が当たる瞬間、上泉がシカミの腕を絡め取り、引き寄せ、肘をめる。と、同時に脚を振り上げ、シカミの首に巻きつけた。畳の上に引き倒し、そのまま肘をあらぬ方向へ引っ張って喉を絞め上げる。

 シカミは苦しそうに身をねじり、形が崩れた。白い埃となって霧散した。

 上泉はこの世界の物質である埃を通して、シカミの実体を感じ取った。以前触れた際は何も感じ取れなかったが、今回は違っていた。

 これは神威、それも……。


「兄弟?」


 クライヴが座敷の入り口から歩み寄り、手を差し出す、上泉はつかみ立ち上がった。


「クライヴ、今の鬼は爺さんを殺そうとした。明らかに理に反している。おそらく行き場を失った爺さんの心、その一部が埃を媒体にして、この世界に招かれざる客を呼び込もうとしている」

「それは降臨ということかい?」


 上泉はうなずいた。クライヴの表情が曇る。


「わかった。姉さんに連絡しよう」


 クライヴは上着の内ポケットからスマホを取り出し、操作した。通信アプリを起動しメッセージをタップする。上泉は源蔵に言った。


「爺さん、立てるか? ここじゃ狭すぎるから、表に、中庭に行こう。そこから芝生の広場に出れる」

「広場? そこで何を?」

「ついてくればわかる。得物を忘れるな」

「……うむ」

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