第7章 徒(ただ)の背景

第7章 徒(ただ)の背景(1)

 ノックもなしにドアが開いて、車輪の音が近づいてきた。

 上泉は頭を持ち上げ、音のしたほうに目を向けた。

 大鷲紀人が車椅子に座っている。

 白いティーシャツに黒のハーフパンツ、頭と首には包帯が巻かれ、右脚にはギプスをめている。だが顔色は良好だ。

 上泉は聞いた。


「先輩、死んだわりには顔色がよいですね」


 大鷲はにやりと笑う。


「俺がそう簡単に死ぬわけないだろ。お前はどうなんだ? 死んだのか?」


 上泉は首の力を抜き天井を見上げた。柄は桜吹雪、枝垂れ桜から儚げに散っている。

 高名な画家が描いたのだろうか、フォーカスすれば、十二単の女性が枝垂れ桜のそばに立ち、優雅な動きで扇子を使い、枝を煽っているのが観える。

 桜の花びらが散り、ひらひらと天井の隅々に消えていた。


「どうやら死んだみたいです」

「死んだ人間がなぜ話す?」

「さあ、多分これが現実なのか確かめているんでしょう」

「……お前はもっと自分の命を大切にしろ」

「してますよ」


 上泉は上半身を起こした。マリアが背中を支え、寄り添う。クライヴがベッドから腰を上げ、脇に立った。

 上泉は部屋の中を見回した。

 ベッド、ナイトテーブル、ランプ、内装などから、ここがホテルのベッドルームだとわかる。

 自分の姿を確認する。ワイシャツとスラックスを身に着けている。上着とネクタイ、ベルト、靴下は外されていた。


「首の具合はどう?」


 先ほどの白衣を着た、黒髪ベリーショートの女性が部屋の中に入ってきた。続いて、逆ナイロールの眼鏡をかけた白髪頭の男性が入ってくる。

 葉室だった。


「警察か」

「はい、彼女も警察官です」

「ま、ここじゃなんだ。向こうの部屋でコーヒーでも飲みながら話そう」


 大鷲が言うと、クライヴが腕時計を見た。


「すまないが、俺は少し外させてもらう」

「クライヴ?」

「またな、兄弟」


 上泉にウィンクすると、クライヴは銀色のイヤリングを揺らしベッドルームを出て行った。

 上泉たちもベッドルームを出る。

 隣は応接間だった。

 部屋の中央に木製の円卓が置いてあり、床には藍色の絨毯が敷いてある。

 天井は高く、柄はベッドルームと違って幾何学模様、絨毯の刺繍も全く同じ幾何学模様、円卓の天板から生えた一本の太い脚が途中で四つに分かれ模様を押さえ込み、備え付けられた椅子も四つある。

 葉室に呼ばれ、ホテルの制服を着た男性が台車を押して部屋の中に入ってきた。台車にはカップやソーサーなどコーヒーを飲むための道具が一式積んである。

 男性は鮮やかな手並みでコーヒーをいれると、頭を下げ、部屋から出て行った。

 白衣の女性がソーサーとカップを手に取り、窓のほうへと歩いていった。

 窓の外は土砂降りの雨、先ほどよりも激しさを増している。

 上泉は裸足で歩き、円卓の椅子に座った。マリア、葉室も座る。大鷲はせっかくの椅子をどかし車椅子のまま円卓についた。彼はコーヒーを一口飲むと言った。


「流石、大正の時代から営業を続けているだけはある。何度飲んでも美味い」


 上泉はカップの取っ手に指を入れ、口元に寄せた。香りを嗅いで口に含む。この酸味はインスタントや缶モノでは出せない。

 大鷲が言った。


「こうやって円卓を囲んでいると懐かしい気持ちになるな。コーヒーではなく紅茶だったが、円卓の大きさも全然違ったが、叔母さんの作った料理を皆で囲み、エイジス卿が甘い言葉をささやき、円がそれを楽しそうに眺め――」

「先輩」

「ああ、わかってるさ、そう焦るな。今回の件を説明するには、そうだな……。三年前の剛心の状況から話す必要があるか」


 大鷲は語り始めた。

 三年前、剛心は新興企業の勢いに押され、あえいでいた。

 戦後の特需で成り上がり、バブルが弾けても、その他社を寄せ付けない優れた技術力で生き延びてきた剛心だったが、技術は盗まれるものだ。

 盗まれると真似られる。真似られると優位性がなくなる。

 いくら日本製という折り紙が付いていたとしても性能に差がない以上、勝ち負けのない次元に突入する。

 そうなると次に起こるのは価格競争だ。如何にコストを削るか、その戦いになる。

 結果、人件費が削られ、人材が流出、組織が弱体化する。

 三年前の剛心は、この流れの真っ只中にあった。早く手を打たなければ大変なことになる。

 が、役員たちは手をこまぬいて動こうとしなかった。

 その不甲斐なさに業を煮やし、独自に動き出したのが宗像源蔵だった。

 彼は考えた。

 新興企業に押される要因は組織の体質が古くなったからだ。千変万化する市場に対応できるだけの柔軟性がないからだ。

 柔軟性には水が必要だ。風穴を開けて水を呼び込む必要がある。風穴は自分で開ければいい。

 問題は水だ。どこから呼び込むか。彼は水を探し、見つけた。

 それが当時、アメリカのビジネススクールでマーケティングを教えていた城之崎望だった。

 彼女はアメリカの、伝統はあるが破綻寸前の企業を僅か一年で建て直した新進気鋭のコンサルタントだった。

 宗像源蔵は渡米し、城之崎を説得、剛心に入社させることに成功した。


「この話は俺が国戦部に入ったときに聞かされたものだ。末端の社員には全く知らされていない話だ」

「どうりで、末端の僕には初耳でした」


 上泉はコーヒーを飲んだ。

 大鷲が口元に笑みを浮かべ、話を続ける。軸は城之崎に移る。

 城之崎は宗像源蔵が新設した国際戦略部の部長に就任すると、すぐにある方針を打ち出した。

 バーター貿易だ。

 ようは剛心の製品が売れればそれでいい。対価は通貨でなくても構わない。石油・鉱石などの資源でも構わない。これだけ流動的な世界だ、あらゆるものに価値がある。

 単純だが強力な方針だった。

 剛心はこの方針に従い、バーター貿易を展開した。

 海外の営業所を拠点に剛心の製品を売って売って売りまくった。

 その効果は抜群で目を見張るものがあった。


「しかし」


 大鷲が表情を曇らせる。


「このバーター貿易を隠れみのに罪を犯している奴がいる。そいつは絶対に売買してはいけない、ある物を取り扱い暴利をむさぼっている」

「ある物?」

「人間の臓器だ」

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