3-5 風の都フェザーブルク

 夜はあれ以降、襲撃とかもなくルカもすっきりとした表情で目を覚まし、無事に朝を向かえ、登山を開始した。

 現在は晴れ。登山開始から4時間、本日の行程の半分を過ぎようとしているあたりか。

 登山と言うだけあって、今までの道に比べたら明らかに勾配が大きくなり、また空気も徐々にではあるが薄くなっていくのが分かった。吸っても足りない。そして身体が徐々に重くなる。そのため1時間に1回は休憩を入れないと身が持ちそうにない。

 正式名称はウィンダール山岳地帯と呼ばれ、以前ネフェさんが教えてくれたように2000メルト級の山々で構成されている。山肌は青みが買った灰色の岩を中心とした硬質な印象があり、ルノアの外壁で使われている青灰色の石煉瓦の元素材であることが見て取れた。

 標高も高いために長くても膝丈までの低木や草花といった短い植物が多く、寒色の山肌と相まってルノアを中心とした平地に比べると、冷たい印象を受けた。

 その奥に頭ひとつ飛び出した山があった。ネフェさんが霊峰と呼んでいたフェザリール山の麓に、俺たちの目指しているフェザーブルクがある。頭ひとつとは言ったが、平均2000メルトの山々を凌駕する高さの山となると3000メルトぐらいだろうか?

 しかも、霊峰はなだらかに大きくなっているのではなく、まるで塔や木の幹のような巨大な縦長の三角錐型となっている。登るとなれば階段のように折り返しを繰り返すか、山の周囲をグルグルと回りながら登るのだろうか。

 そんなことを思いつつ距離の縮まない山を見ながら、そろそろ休憩をと考えていたところで、ネフェさんが「皆さんは少しここで待っててもらえますか?」と聞いてきた。

 了承すると、彼女は荷物をカキョウに預けて、空へと飛び立った……といっても、彼女はこちらが見えなくなる位置までは飛ばず、割とすぐに引き返してきた。

「トールさん、やはり修繕されてませんね」

「あー……まーじですかい」

 大きなため息が漏れるトールに、苦笑するネフェさん。何も知らない自分にも、壊れた何かが修繕されていない事で、面倒くさいことが起きるのではないだろうかということが理解できる。

 歩くこと3分。左右に連ねた山々がカーテンのように開かれていき、視界が大きく広がった。 そこには今まで歩いてきた高さに匹敵するほど深く長い谷が横たわっていた。谷底には川が流れており、右手に向かってテオドール国の外周となる緑の生い茂る山の麓沿いに流れ、そのまま外海へと繋がるようになっている。

 そして谷に向かって突き進む道があり、崖となって切れている部分には、以前人工物があったような跡があり、端が根元から綺麗に無くなっていることが分かる。

「ここには元々テオドール西部の入り口とフェザーブルク南部入り口に繋がる石橋があったのですが……。これが修繕されていたら、1日分の距離が短縮できたんです」

 話によると、かつてここに掛かっていた橋は、ウィンダール山岳地帯の硬い岩を切り出して組み上げられたアーチ状の石の橋であり、山間と谷の入り乱れた気流を長年受け続けても、ビクともしなかったかなり頑丈な代物だったという。

 橋の掛かっていた対岸は、この谷の中でも一番距離が短い場所であり、昔の3国の分岐点として、人と物の流れの要所でもあった国家事業規模の物だったと想像できる。

 また周辺には、橋と同じ素材で組み上げられた扉の無い建物が幾つか存在している。恐らくここを通る人々のために設けられた休息所だろう。

 そんな大規模な橋が一つあれば、基本的にそれ以外の近場に予備の橋を作る事は無いだろうし、既にここが一番距離も近い場所だった以上、それ以外の場所に造るには労力も資材も技術もさらに必要となる。

「実は、ここが崩落してからまだ1年ぐらいしか経ってないのですが、差別問題や近年の交通量や物流量の減少、テオドールの断絶状態などから、もう修復する必要はないという意見があったので、望みは元々少なかったんです」

 確かに昨日体験したサイペリア国の抱える人種差別問題を筆頭にした、領土拡大戦争による様々な爪痕が生み出したモノに苦しめられている人々が、ちょうどこの橋の向こうに多く住んでいたために拒絶の意味も含めて、昔には存在した『人と国の繋がりの象徴』を完全に過去の物とすると決めたのだろう。

 そんな歴史的背景は理解できたものの、現実問題として俺たちは1日余分に費やしてでも、迂回の道を通ってフェザーブルクに入らなければならない。1日遠ざかっただけでも、心身に来る負担は大きいのだ。

「まぁ、ここから先は谷沿いの勾配のない平坦な道が続くらしいから、さっきまでみたいな辛さは無くなるさ」

 ウィンダール山岳地帯の登山道は最初の1日目こそ勾配のある道のりだが、それが終われば谷の一部を切り取って、同じ標高にそろえた上下することなく進む道のりになるらしい。

 ともかく、道がそれしかない以上は在る道を行くしかない。

 その前に、落ちた橋の跡を眺めながら、休息所の一つで予定していた休息と昼食を取ることにした。

 この登山前に、ルノアのハンターズギルド副支部長兼併設カフェオーナーのアリア殿が、1週間分の食料とフェザーブルクまでの道中で水が確保できる場所を記した地図を用意してくれた。

 食料は主に細長いパンに加熱済みの具材を挟んだパニーノと呼ばれる携帯料理と、既にゆでてあるパスタ麺、麺に和えるだけでいいペースト状のパスタ用具材にドライフルーツ。これが毎日違う味が楽しめるようにと具材が日数分バラバラに入っている。

 これらを包んでいる包装紙も食物の腐食進行度を抑えるために、包み込んだら内部を真空状態にする魔法が込められている。

 今でこそ登山者が減ったが、昔はこういう登山向き食料の専門店も多かったらしく、内部を真空状態にする包装紙も登山者からの要望によって研究開発されたものだ。

 包装紙を半分ほど広げたあたりで、プシュウッという音が鳴った。包装紙に込められた真空状態化の魔法が解かれたために、包装紙内部に空気が取り込まれたのだ。

 出てきたのはパニーノであり、中身は酢漬けにされた玉ねぎ、ニンジン、きゅうりに加え、燻製されたサーモンとマリネ風になっていた。

「んーすっぱいけど、美味しい。ナニコレ」

「マリネっていうお野菜やお魚を酢やレモン汁に漬け込んだ料理なんですよ」

「酢漬け……? お酢の物みたいだけど、こっちのほうがあまり酸っぱくない……」

 少しかじったパニーノの上蓋をチラリとめくりながら、カキョウが不思議そうに覗き込んでいるところに、ネフェさんから新しい知識をもらっていた。

「カキョウ、スノモノとは?」

「酢の物ってのは、お野菜とかを酢に漬け込んだもの……。うーん、一緒? コウエン的な言い回しなのかな?」

「かもな」

「でも、こっちのほうがいろいろ香辛料的なものも入っているから、美味しいな」

 そう言って、彼女はリスのようにパニーノを黙々と食していった。

 休息を終えると落ちた橋を後にし、谷沿いに北上する街道を歩き始めた。トールの言っていたように勾配がなくなり、右手に断崖絶壁垂直の谷が続き、左手にはウィンダール山脈の山々が連なっている。

 午前中の登山道に比べて、標高が高くなったことでさらに空気が薄くなった。このような空気の薄いところで生活した事が無く、身体に起きている負荷が変に面白く感じる。

「この空気の薄さ、肺が鍛えられるな」

「んな暢気なこと言ってると、すぐにぶっ倒れるぞー」

 そんな他愛もない話をしながら、巨大な岩肌剥き出しの渓谷沿いとはいえ、これはこれで中々の絶景だったので、ゆったりと鑑賞しながら歩く山道は平和そのものだった。

 だが、平和は長くは続かないのが旅である。

 晴れ渡る空から落とされた自分たちを覆い隠せるほどの巨大な影。雲かと思ったが、素早く縦横無尽に移動する影に怪しくなって空を見上げた。

 そこには高度もそんなに高くない位置で旋回する3羽の猛禽類のような鳥。

 ただし、そんなに高度も高くなくて自分たちを覆い隠せるほどの影を生み出せるということは……。

「ちょ、あれ、大きくない?」

 大きさこそ同じぐらいだが、それに比例するように巨大化した鉤爪は、俺やトールを十分に掴みあげて空を飛べそうなほどの大きさを誇り、その巨体を軽々と持ち上げるほどの大きな翼。翼の第二間接からは蝙蝠の手のような鉤爪も伸び、体毛の薄い頭には見事な嘴と頬から突き出た黒い棘が見るからに凶暴そうな印象を与えてくる。

「ヘルヴァルチャーと言う、ヒトや大型獣の肉を好む鳥型のモンスターです。来ます!」

 上空を旋回している3羽のうちの1羽が、猛禽類の姿に見合う巨大な爪をむき出しにしながらこちらめがけて急降下してきた。

「はいはい、お出迎えしましょーねー」

 久々の開けた場所の明るい時間帯での戦闘だ。トールは自慢のバルディッシュを大振りに開放する。俺もカキョウもそれに続いて抜刀した。

 トールは相手の急降下に合わせて、バルディッシュを振り上げたものの、すでに行動が察知されており、寸前のところで羽ばたいて軌道をずらし、攻撃を回避してきた。そして再び空に舞い上がったヘルヴァルチャーは、こちらを嘲笑うかのように頭上で綺麗に3匹が円となって旋回している。

「チッ……」

 舌打ち交じりにバルディッシュを構えなおしたトールは、己の魔力をバルディッシュの刃に集めはじめていた。谷に流れる風とは異なる流れが刃に生まれ始め、刃を中心に渦巻いている。

「トールさん、待ってください。相手は自他問わず血の匂いに反応して仲間が集まってくる習性があります」

 制止の声を発したのはネフェさんだった。血に釣られる修正がある以上は相手を血を流させずに倒す、もしくは遠ざけることが必要だということだ。

「あー……そういうことなら、こうしちゃいますかぁ……ねっと!!」

 バルディッシュに溜め込まれた風の渦がトールの大振りの横薙ぎと共に開放される。

 それはトールがよく繰り出す真空の刃ではなく、周囲の砂埃を吸収して流れが目に見えるようになった、谷の乱気流を圧縮したような球体。刃から離れると同時に渦から球体へと変形し作り、怪鳥たちへと高速で飛来する。

 バルディッシュから離れた時は人の頭ほどの大きさだったが、怪鳥たちに近づくにつれ谷を流れる気流を吸収しながら巨大化していく。

 そして、危険を察知した怪鳥たちが散り散りと逃げようと翼をバタつかせているものの、暴風の球体の吸引力が勝り、次々と怪鳥たちが飲み込まれていった。その吸引の暴風は自分たちにも影響が出始め、自分の重心を少し低くしないと押されてしまうほどだ。

 そんな暴風の渦の中では怪鳥たちも互いにぶつかり、血飛沫が次第に上がるが、吸引、つまり内向きの風であるために、血が外に拡散することがない。

「そんでもって!」

 さらにバルディッシュを自分の頭上に掲げ直した直後、真っ直ぐ地面に向かって振り下ろした。まるで暴風の球体を勝ち割るように。

 すると怪鳥たちを閉じ込めていた球体が急に谷底に向かって伸びて行き、それは谷底に向かう竜巻へと変化した。

 谷の中腹になると風は緩み、解放された怪鳥たちは気を失ったのか、逆らうことなく谷底に落ちていった。

「……たっはぁ!! 久々に使ったなー。いやー、急遽変更するってやっぱ疲れるわ」

 トールが使った技はサイクロンボールと呼ばれる、正しくはコモン(一般魔法)クラスの風魔法である。任意の空間認識による座標を指定し、吸い込む風を生み出す事で周囲の動きを妨害するトラップ的な魔法だ。この魔法自体には、相手に傷を負わせるなどの攻撃的効果が無く、注いだ魔力の量によって吸引力が変化する。使い手によってはハイマジック(高位魔法)クラスにも成りえる少々変った魔法である。

 トールがよく使っているブラストネイルとは同じ風系であるために、アーツを発動する直前に発動させる魔術を変化させる事で魔力を転用することができたものの、急遽の変更であったために身体への負担も大きかったようで、肩で息をしている状態だ。

 また、周囲にいた俺たちすら吸い込まんとするほどの風を生み出してるあたりは、さすがは室内をめちゃくちゃにするだけの風を生み出せるアルディバ殿の息子だと思った。

(力量もだが、やる事も親子だな……)

 そんな事を思いつつ、怪鳥もといヘルヴァルチャーたちが落ちていった谷底を覗き込んだ。 自由落下の先には岩肌むき出しの地面や崖があり、そこに当たって散乱した血肉に残りの怪鳥たちが群がるだろう。しかも、谷底には外海に流れる川があるために、川に流れ込んだ血を追って更に下流に行ってくれるよう祈る形だと、トールは妙に勝ち誇ったような顔で言った。

「で、でも、なんで、急に襲ってきた、のでしょう……」

「食料となるお肉がなかなかいませんから、ここを通る旅人は良く襲われていたと聞きます」

 ルカの疑問はネフェさんの返しで、一応説明はつく。

「だけど、それでも大きすぎない?」

 カキョウの言うように、こいつらの主食が肉主体だったとしても、この滅多に人の通らない山の中だと、山に住む野生動物か彼らより小さな生き物を狩るしかなくなる。だが、小さな生き物たちも簡単には食われまいと隠れるだろう。

 特にあのサイズの巨体を維持するなら、その辺の野ウサギなどでは足りるはずがない。それこそ鹿やヒトを食べ続けないといけないだろう。代わりになるような食べ物を見つけたのか、それとも優秀な個体だけが残ったのか。

 ただ考えても仕方が無く、襲ってくる以上は対処するしかない。

 それ以降に続く話題もないので、気味の悪いこのことを頭の隅に置きつつ、再び風の都を目指した。



 それから谷沿いの街道を歩くこと4日間、途中雨に打たれる事もあったが、ヘルヴァルチャーに襲われて以来はまったくと言っていいほど戦闘がなく、呆気に取られながらの旅路だった。

 見上げれば目の前には遠くからでも巨大だと思っていた霊峰も麓まで来てしまい、見上げたその山は視界を完全に占拠してしまうほどの大きさだった。

 谷は霊峰の麓から西と東に分岐し、その分岐点の手前には東の対岸にかかる巨大な石橋がかかっている。

 恐らく、数日前に崩落したと聞かされた石橋と同じ構造の橋なのだろうが、崩落現場に残された橋の幅跡よりも更に広く、そして全長も長い。

 こんな長大な橋を石材の組合せだけで支え続けている技術と、これを作るためにどれだけのフェザニスたちが重い岩を持って空を飛んだのだろうか、石材も重力反発系や筋力増強系を使ってうまく運んだのかもしれない。

 それだけ色々なことを考えさせてくれるほど、この巨大な渓谷に跨る橋を作った人々とこの橋に対し敬服する。

 石橋の先には風都フェザーブルクを取り囲むように現在位置よりも更に高い山々に囲まれている。目的地を目の前にして、また登山なのか……と思っていたが、石橋の対岸に近づくにつれて、不安が消えていった。

 対岸に渡りきると、目の前には馬車が体面通行しても余裕に通れる程の巨大なトンネルが山脈を貫くように掘られていた。トンネル内部の床は、すべて山岳地帯の山肌と同じ色の青灰色をした石畳で出来ており、トンネルの長さだけでも500メルトだろうか? もしかすると、それ以上かもしれないが、照明が等間隔に続く長い道はどうも感覚を狂わせる。

 また、目の前で照らしてくる日差しが、出口に近づくたびに徐々に大きくなっていき、光量が最大になったとき、それまでの長い道のりを忘れさせてくる雄大な風景に圧倒された。

「さぁ、付きました。ここがウィンダリアの旧首都、風都フェザーブルクです」

 山をくり貫いたトンネルを抜けた先には、断崖絶壁に囲まれた広い湾だった。現在は街の西端にいるらしく、正面つまり東側に大海原が見える。

 2000メルト級の山々の間にぽっかりと開いた湾はその辺の湾とは違い、大地そのものが円柱状にくり貫かれている。上辺から海面までの高さも最大で1000メルトはあるように見え、翼の無い自分たちが足を踏み外そうもんなら、命が無いどころの話ではない。

 目算でも1000メルトの高さと実感できた理由は、湾を構成している断崖にくっついている6つの大きな段差のせいだ。広いと言っても一つ一つが1000メルト四方の巨大なもので、各段差ごとに目算で100メルトずつ程ずれており、それぞれの段差には周囲の山々と同じ色をした石レンガで作られた建物が密集している。家々はどれも平屋作りの建物ばかりで、どんなに高くても2階建て程度である。

 段差は一番高いところから「上層区」「商業区」「中層区」「工業区」「低層区」「港区」とそれぞれ名前が付いており、その名前に沿った役割を持っている。

 商業区は文字通り商業を行う区画であり、商店街やレストランなどはここに集約している。またギルドのウィンダリア支部もここに在り、今通ってきた街の入り口となるトンネルはこの商業区へ直接つながっている。

 工業区は生活雑貨や民芸品などを生産するための区画で、ここで作られた物が商業区で売られるという形になっている。

 港区は全段差の中でも一番海に近い層であるため、ウィンダリア地区管轄内の漁業を一挙に担っている区画であり、水揚げ以外にも水産加工や海路でやってくる輸入品などを保管する倉庫などもここに存在している。

 上層区、中層区、低層区はそれぞれ住宅地帯の名称であり、上から裕福なヒトや官僚などが住まう高級住宅街、大多数のヒトが住む一般住宅街、浮浪者や旧国時代の難民らが住まうスラム街のような場所である。また、中層区がすべての段差の中でもっとも広く、他の段差の倍の広さを誇っている。

 それぞれの段差は丸太で組まれたリフトと呼ばれる昇降装置で行き来するようになっている。もっとも、そのリフトを使うのはフェザニス以外の翼を持たない種族だけであり、フェザニスたちは高さ関係なく縦横無尽に飛び回って移動している。

「壁の中にもヒトがいるんだね」

「横壁をくり貫いて作った洞穴式の集合住宅やホテルですね。庭はありませんが、窓をすべて外側に設置して採光しており、廊下を奥に作っているそうです。ただ、崩れた時のことを考えてあまり奥には広く作ってはいないようです」

 カキョウの問いにネフェさんが答えているが、庭がない分実際は外壁側に木造のベランダが作りつけられていたり、ベランダ用にくり貫いて窓ガラスをはめていない部分を作るなどの工夫はされている。

 また、この湾の北側には遠くから見えていた霊峰フェザリール山がとても近く、そして太く見えた。霊峰の頂には雲が掛かっており、雲が上界と下界を分ける境目として、霊峰が二つの世界を貫く塔のように見える。

「あれが霊峰フェザリール山です。その頂には風の大精霊ラファールが住まうと言われていて、昔は年明けに7合目のお社まで参拝に登っていたらしいです。ただ、少し前に話したとおり、現在は自治政府の許可がなければ入山できません」

「これだけ近くに聳え立っていると、この街……いや、この国を守っているように見えます」

「……この国、ですか」

「国です」

 俺にとってウィンダリアは未だに国であると思っている。たとえ地域と下げられようと、この目の前に広がるフェザニスの人々の暮らしの様子、独特の生活様式を人権保護法なんていう如何わしい法律で否定するのは許せなかった。

 だから断言したい。ここは国であると。

「ふふ、ありがとうございます」

 国と言った時は少し見開くように驚いていたネフェさんも、断言後には嬉しそうに微笑んでいた。

「さて……個人的なことですが、まずは私の家に行ってもいいでしょうか? 長らく空けていたのでどうなっているのか……」

 一応、鍵を掛けてから家を出た時に攫われてしまったらしいが、すでに3週間も家を空けているために心配になっている。

 みんなに同意を求める目配せをすると、愚問と言わんばかりのいい顔でうなづき返された。

「というわけです。あと、相談なんですが、ご迷惑でなければこの街での活動拠点にさせていただけないかと……」

「もちろんです。我が家でよければどうぞどうぞ」

「ご家族の了解は……?」

「……大丈夫ですよ。では付いてきてください」

 ご家族の、という言葉から明らかに雰囲気が変った。それまで朗らかに微笑んでいた顔はそのままに凍りついたという言葉が似合うほど、ほんの一瞬でも変化が起きた。

 明らかにご両親とは何かあって、地雷めいたものを踏んでしまったようだ。

 そのことを窺い知ることも、謝罪することも許されないまま、彼女はこちらに背を向けると一人歩き出していた。

 その一瞬の変化の意味を知ったのは、ネフェさんの家についてからだった。

 


 自分たちは商業区西側の外周を沿うように南側へ移動を開始した。足元は周辺の山々を切り崩して作られた山々と同じ色の石畳で舗装されており、右手には街の外輪となる山肌という名の断崖絶壁があり、「落石にだけは注意してくださいね」というネフェさんの言葉が迫力と恐怖感を増大させてくれた。

 道すがら沈黙と言うことは一応無く、雰囲気を察したのかそうでないのか分からないが、カキョウとルカが好奇心を募らせ、アレコレ質問していってくれたおかげで、何とか普段どおりを取り戻しつつあった。

 だが、気になることがあった。商業区とだけあって、どんなに端の道でも広ければ人通りがあるのは当然だ。

 だが、周囲の人の目線が自意識過剰を越えるほど痛い。好奇心もあるだろうが、それ以上に冷ややかな物が多く、中には敵意と思われる強烈なものもある。

 以前に聞いた人権擁護法によって、この街ではフェザニスの人権が建前上守られていても、皮一枚めくれば俺やルカのようなホミノスやトールのガルムスによる支配にも似た状態になっている。カキョウもフードを着けているために、端から見ればホミノスだと思われるだろう。

 だからこそ、フェザニスであるネフェさんが先導する状態でずらずらと歩く様は、この町の人々にどう移っているのだろうか……。ネフェさんが従えているように見えるのか、逆に先頭を歩かせて俺たちがふんぞり返って見えるのだろうか……。後者だけは勘弁して欲しいが、この街の事情からはソレも言えないだろう。

「あれは……」

 自分の視線に飛び込んできたのは、右手の断崖に深々と刻まれた巨大なえぐられ痕だった。大きさにして約10メルトと、圧巻のサイズだ。

「これは何にひねりも無く、戦争の爪痕と呼んでいるものです。山岳という天然要塞をも越えて攻め込まれた時にできたものらしく、戦争を忘れないようにと……。

 でも先日、エクソシストさんと話していたら、戦争の何を忘れないようにするためなんでしょうかと思い始めました。

 慰霊を含めた戦争と言う悲劇を忘れないようにするために? ……というよりは、戦争によって私たちウィンダリア国民が負け、蹂躙され、人権を奪われ、支配されているという現実を形として残しているのではと」

 このような傷跡などは街のいたるところに残っているようで、中には戦争時に倒壊した家なども文化財と称して保存されているらしい。

 信仰の剥奪、自治の剥奪、人権の剥奪と敗戦国の最悪の末路を、戦争を知らない世代には教育で自然と刷り込み、戦争を知る世代にはこうして目に見える形でいまだに蹂躙が続いているんだろう。

 すべての遺物がそうであるとは断言できなくとも、この街の人々の視線が俺たちのような翼を持たない部外者を良く思っていないのは事実。問題が起きないことを望むばかりだ。

 道すがら、今夜の夕食として持ち帰り料理をいくつか購入した。3週間も空けていたのだから、食品庫の食材は封印してしまいたいものに成り果てているだろうと。

 購入している間も視線は多かったが、さすがに店の主人は節度ある対応がされ、全員分の料理を買うことができた。

 むしろホミノスとガルムスだから値引きしますと言われたが、丁重にお断りしておいた。すると「あんたたちは……もしかして西側の人か?」と聞かれた。これはエクソシスト殿が言っていた、オルティア山脈の西側と東側の意識の違いを思い出した。

(なるほど、西と東で……いや、中央とだろうか)

 同じ東側でもルノアではそのような雰囲気は感じなかったのは、ルノアの人々が真っ当だったということか。最低でもギルドは中央のような驕りも選民意識も無い、実力主義のある意味一番平等なところだったと思う。

 まだ首都や聖都に行っていないので分からないが、人権擁護法を打ち出すような奴等だ。全員がそうでなくてもこの街の視線から、相当数の人々が横暴を繰り返しているということだろう。

 東と偽ったところで良い事はなく、ましてや同じと思われたくないので素直に「はい、ポートアレアから来ました」と伝えた。

 すると店の主人は「そうか……よくこんな遠くまでおいでなすった」と朗らかな笑顔をいただき、気持ちよく店を後にした。



 ネフェさんの自宅は中層区の南端にある庭付き平屋の一軒家だった。周囲の住宅と同じように石灰に似たくくすんだ色の石レンガでくみ上げられた家で、敷地を囲う壁の先には高さ100メルトになる断崖が待っている。

 庭や概観は特に荒らされている様子も無く、ネフェさんはほっと胸をなでおろしていた。

「さて、問題は鍵ですね」

 人攫いにあったときに、その時の身包みは着衣以外はすべて奪われたので、当然鍵も手元に無い。

「まぁ、無いものは仕方ないので壊しちゃいましょう。夜は閂で戸締りして、明日には修理してもらうと言うことで」

 そういうとネフェさんは玄関の扉に近づき、鍵の部分に手を当てた。

 扉は一見するとただの木製の扉に、金属の鍵穴付き取っ手と蝶番、外を確認するための小窓と何処にでもある一般的な扉であった。

 一つだけ気になるのが、小窓の下についている蝶々結びされた黒いリボン。俺はソレを何故か直視することができなかった。

 ネフェさんは扉の前でしゃがみこみ、鍵穴に手を当てた。

「皆さんは少し下がっててください――ライトニング!」

 呪文と同時に強烈な白紫の雷光によって視界が奪われ、少々の眩暈が起きてしまった。

 本来は対象と認識したモノに対して、雷属性のエネルギーを一直線に撃ち込む雷属性の初級魔法らしいが、威力自体は距離が近くなるほどより強力により雷に近づくという。

 一瞬ではあったものの、距離とネフェさんの魔力から生まれた強烈な光は、詠唱なしで発動された呪文にしては強力なものだと感じさせられた。

 そのおかげか、金属でできていた鍵穴は見事にドロドロに溶け、壁に刺さっていた部分までしっかりと流れ出ている。

 また解錠の魔法は存在するらしいが、あくまでも鍵穴に仕掛けられたトラップや魔術認証式の鍵に対してのもので、こういう原始的、物理的な鍵には意味がないものらしい。なので、こういう単純な鍵はピッキングするか破壊しかないと。

 解けた鍵穴部分は、明日修理してもらうまでネフェさんのアイスウォールを小さく分厚く張って補強しておくことにした。

 入ってと促された家の中は3週間の間、物が一切動かされた形跡が無いために、少しの埃っぽさはあるものの、非常に綺麗な状態だった。

 ただ、明らかに普通の家とは違う雰囲気がある。

 中央のテーブルにはすでに枯れて朽ちてしまい、辛うじて白かったであろうと認識できるバラの花が花瓶に生けてあった。その花瓶を飾るリボンは黒。そしてご両親と思われる男女二人が写った写真たてにも細い黒のリボンで装飾がされていた。

 思い出した……一番最初に見たネフェさんの洋服は、黒一色。直後に黒い大きな布とレモン色のストール、そして現在の登山用に新調した服と変っていったが、必ず黒い物は身につけていた。

「……皆さん、気味悪いかもしれませんが実は……」

 分かりますとも。気味悪い打なんて言いません。

 俺の場合はその対象が自分であり、自分のソレを眺めていたのだから。

「喪中……でしたか」

 国が違えど、使われる色は同じ。だから俺は扉のリボンを直視できなかった。

 恐らく他人のなら軽く流せたのだろう。ご冥福をと言えたのだろう。

 でもネフェさんはすでに身近な人の一人だった。そのためにその色が持つ意味を身体で思い出してしまうほど、自分の奥深くに自分でも気づかないほどの傷跡を残していた。

「はい……葬儀が終わって、墓の前に一人でいたときに……」

 嗚呼、何ということだろうか……それは一番聞きたくなかった最悪の内容。

 攫ったヤツがいれば、俺ですら殴っていただろう。握り締めている拳が痛い。

 そして、まだ吐き戻すとまでは行かないものの、こみ上げてくるのは重圧にも似た圧迫感も加わり、先日の自称貴族の時とは違った極大の気持ちの悪さだ。

 10年経ってもなお蘇るほど、自分はあの日の夜……自分の棺が運ばれていく夜の光景にトラウマを感じていたのだと思い知らされた。


 ……カーン、カーン、カーーーーーン。


 窓の外から響き綿たる鐘の音。

 その音色に表情を一気に青くしたネフェさんは慌てて買い物袋をテーブルの上に置き、自分たちの入ってきた扉を閉めると、急いで閂となる棒を取っ手に差し込んだ。

「みなさん、全部の窓が閉まっているか確認してください!」

 振り返りネフェさんはそう叫ぶと、家の奥へと走っていった。自分たちも指示に従い、互いに一番近くに在る窓が閉まっていることを確認した。


 カーン、カーン、カーーーーーン。


 急ぎ戻ってきたネフェさんは、入ってきた玄関の扉と、溶けた鍵穴に掛けたアイスウォールを再度確認し、ようやく落ち着きを見せた。


 カーン、カーン、カーーーーーーーーーーーーーン。


 音は次第に甲高く、大きくなってきた。

「窓を開けずに外を見てください」

 家の奥から戻ってきたネフェさんの表情は重苦しく、うっすらと怒気と怯えを孕んでいるように見えた。

 窓の外に目をやると、まだ夕方の買い物や、奥様方の井戸端会議で賑わいを見せていいはずの時間帯にもかかわらず、誰一人として外に出ていない。締め切られた窓越しでも分かるほど静まり返った外は、まるで鐘の音だけが響くゴーストタウンのようである。

 そこから程なくして、窓がガタガタと揺れだした。急に吹き始めた強めの風。時を刻むにつれ徐々に強くなっていき、まるで嵐のような激しいものへと変化していく。

 その風は霊峰へと続く参道の山道側から吹き荒れているのが分かった。

 なぜ分かるかと言うと……そこには異様な物が写っているのだ。

「これがルノアのおじいさんが話していた自然災害……両親を奪った“黒い風”です」

 見えるのだ、風が。黒い色の筋。まるでインクを川に流した時のような黒い筋が何本も、目の前を、家々の間を通過していく。

 黒い筋は壁やガラスに当たると、まるで空に溶け込むようにその場で粒子となって次第に消滅していく。

「この黒いものに触れるだけで、間を措かずに絶命します」

 馬鹿な。ありえない。気持ち悪い。それぞれが口にする言葉がすべてを体現している。

 それこそ魔法、呪術だと言われたほうがしっくりくるほど、これが自然災害なわけがないと。

「私たちは雨の日、余程のことじゃない限り空を飛ぶことはなく、帰宅も自然と早くなります。

 そう思っていた雨の日の夕方、もう帰ってきてもいい時間なのに帰宅しない父が心配になった私と母は父を探そうと外に出ました。

 すると父が門の前で倒れており、私と母は駆け寄ろうとした時に、警鐘が鳴ることなく夜闇から突然黒い風が発生し、母の身体を通過しました。

 私は倒れ行く母を見ながら必死に家へ引き返し、風が止むのを待ちました」

 ネフェさんが語る間に風はどんどん強くなっていき、

「程なくして風が止むと、周囲を警戒しながら倒れこむ父と母の元へいきました。予想通り二人は冷たくなっており、私の叫び声を聞きつけたお隣さんに手伝ってもらい、翌日には葬儀も行いました。

 そして葬儀も終わり、一人墓の前に残っていた時に……」

 その時に攫われたのか。つまり墜落現場での服装は喪服であり、心落ち着ける間もなく、3週間も俺たちと旅をしていたのか……。

「どうして……、どうして話してくれなかったんですか!」

「そ、そうです……! こんな大事な時期に……わ、私の巡礼、なんて……」

 声を上げたのはカキョウとルカだった。

 二人の言いたいことは理解できる。言ってくれれば、巡礼を後回しにして考えられる一番早い方法でここに送り届けようとしただろうと。

 出会った時から朗らかな笑顔の人だとは思っていたが、とてつもなく大きな大事を隠しているとは思わなかった。だから先日の両親の話になった時に、暗い顔になったのか。

 だからこそ、余計になぜ話してくれなかったのかと言いたい。

 ただ、それを二人に先に全部代弁されてしまったが。

「ありがとうございます。葬儀は終えていましたし、ジタバタしても事実は変りありませんので、帰り着くまでは流れるままでいいかなと」

 裏を返せば、言ったところで晴れるものでもなく、ひとまず冷静にゆっくりとでいいから着実に安全に戻れる手段を選んだだけということだ。ことフェザニスなら自分の置かれている状況に対し、面と向かった人たちが信頼していいか、身を預けてよいかをずっと考えさせられてきていたはずだ。

 そんな状況でよく自分たちを選び、指示にも、流れにも従ってくれ、惜しみなく協力してくれたことに感謝しなければいけないのはこちらのほうだと思う。

「それより、私は皆さんにアレが人々を襲うとまでしか言っていませんでした」

 確かに俺たちは黒い何かが風に乗って飛来し、人々を襲うとしか聞いていない。

 人を襲うとかいうそんな悠長な話ではない。実際は触れれば、一瞬にして絶命せしめるモノだったことについてだろう。

「皆さんを騙し、命の危険に晒し、ここまでついてきてもらいました。お詫び申し上げなければいけません。本当にすみませんでした……!」

 深々と頭を下げられた。

 が、俺の中に騙された、危険に晒されたと言う感覚はない。仮に、どこかでこの現象について話してもらったとしても、ネフェさんとルカを送ると決めている以上は後回しにしてもしょうがない。

 だからと言って“しょうがない”という諦めの感覚とも違う。

「……騙されたとは思っていません。道中は惜しみない協力もあり、こちらこそ感謝しています」

 この惨状ともいえる現象を前に、感覚がない。言葉に重みがない。騙されただのしょうがないだのという感覚が微塵も起きない。

 それだけ、俺はこの目の前の未知に慄いている。

「……それで、結局あの気味悪いものは何ですかね?」

 トールはまだ止むことのない黒い風を睨みつけていた。

 背中越しでも伝わってくる怒気。恐らく同じことを考えている。

 これは自然発生物ではない、意図的に引き起こされている人為的災害だだろう。

 誰が? 何のために? 風はもう5分も続いている。

「あの黒いものは、恐らく呪いの塊。ヒト以外には効果は無く、こうやって過ぎ去るのを建物内から見守るしかないのです」

 自分たちで触れれば絶命する。だからといって、他の生物で検証することもできない。

 また、痕跡を残さないようで、絶命した人を調べても何も残っておらず、調べようがないから恐らくとなっているとのことだ。

「の、呪いの塊、と言っても、触れるだけで命を奪うほどの濃度は、そう簡単には……」

 ルカが青ざめながら窓の外に視線をやり、口元を押さえている。今にも倒れそうで、それをカキョウが支えている。

「ええ、簡単ではありません。むしろどうやってその濃度を達成させたのか、こっちが知りたいぐらいです……嘘です、知りたくもありません」

 単純に呪いというのは相手をゆっくりじわじわと苦しめるモノであり、元は人の恨み、妬みなどの負の感情を魔力で形在るもの、もしくは人体など現実に影響を与える力へと具現化させたものだ。

 一人が生み出せる呪いはあくまでも一人かその関係者数名を苦しめる、もしくはその果てに相手を絶命させる程度で、触れた即座にというレベルのものは呪いの発動者が狂気に溢れ、闇に墜ち、常識では言い表せない思考に陥った者が、相手を殺したいと心の奥底から願うことで初めて具現するものだという。

 それがこの街を覆い尽くしている規模となれば、それは儀式魔法のように術者が何人も参加している大掛かりなものとなる。

 ここまで来るとこの術者は何がしたいのか分からない。呪いにしては無差別すぎて、もはや快楽殺人を街全体で起こしたいと思っているのだろうか。

「これはどれぐらい前から……?」

「始まりそのものは戦争が終わってからと」

 戦争が終わり、人々が落ち着きを取り戻し始めた頃から年に1回あるかどうかという、極めて特殊な災害だったと記録されている。

 また、その頃はまったく警戒されておらず、範囲も街の一角でだけという小さなもので、犯人が見つからない、死因も特定できない、でも何人も一度に死んでいるという大量怪奇殺人事件として、ウィンダリア事件史でも有名な事件となっていた。

 だが、その原因も黒い風だと判明している現在では、黒い風関連事件の始まりとして歴史の教科書にも載っている。

 それからは年々頻度が増していき、現在では1日に数回発生しており、発生するタイミングは常にバラバラであるが、風が流れ込んでくるのは霊峰フェザリール山からなのは分かっているので、自治体は霊峰の登山口に見張り用の塔を建て、黒い風が発生し始めると鐘で街全体に知らせるようになった。

 それでも、外に出ている状況次第では鐘が鳴ってからでは、室内へ間に合わない場合も在るので、月に数人ずつは命が奪われている。

「でも、今まで何もしなかったわけでもないんでしょう?」

 カキョウは顔色を悪くしながらも、眼が澄んでいる。何か燃える眼。ルカを右腕で支えながらも、左手は左腰の刀の頭と呼ばれる柄の先端をゆっくりと摩っている。

「もちろんです。何度も調査隊を送り込みましたが、その度に皆帰らぬ人となり、次第に誰も名乗り出なくなりました」

 その言葉に、慄いていたはずの胸の奥底は空気が澄み渡るように、思いが一つになっていく。

 見渡せば……みんなの顔を見れば何も言わなくても分かる。

 怖いもの知らずで、好奇心もあって、苦しんでる人は放っておけなくて、ならば自分たちがってなることを。

 俺自身も含めて。

「……やるか」

「やろう」

 待ってたといわんばかりにカキョウが同意し、

「です。やり、ましょう」

 怖くても人のためにと奮い立たせるルカが言い、

「そんな気がしてた。みんな、危ないこと好きだねぇ」

 それでも決してダメとは言わない年長のトール。

「皆さん……」

「先人たちがどうしようもなかったものを、俺たちがどうこうできるとは思わない。だが、目の前にある現実を放っておけるわけでもなく、好奇心で自分を殺すかもしれない。ソレを理解しながらも、歩みは……止めたくない」

 端から見れば死地に飛び込む馬鹿共だろう。

 それでも構わないと思っている人間がここに集まってしまっている。

 自分たちならと驕っている部分も在る。

 それでも何もしないで、巡礼があるから、はいサヨウナラとはしたくない。

「……私も一緒に行きます」

「ネフェさん……」

「これは私たちウィンダリア国民の問題です。でも、私たちだけではどうすることもできませんでした。ただ同じことの繰り返しであっても、何もしない、ただ見ているだけという選択肢はもう選びたくありません」

 たとえ死が待っていようと。

 いずれ訪れるものなら、誰かのためになれるようにと。

「分かりました。行きましょう。明日にでもルカの巡礼とギルドへの配達を終わらせてから、登山の許可を取りに……」

 ゴンゴンゴンゴンゴン。ゴンゴンゴンゴンゴン。

『ちょっと、開けなさい!』

 ゴンゴンゴンゴンゴン。ゴンゴンゴンゴンゴン。

 決意表明と言う少しかっこいいかもしれないシーンで突如鳴り響いたのは、玄関の扉をこれでもかと激しくたたく音。

 窓の外を見れば黒い風はすでに止んでおり、鐘の音もいつの間にか消えていた。扉を叩く音に、外が安全になったのと、ヒトの来客だとやっと認識する事ができた。

 だが、ただならぬ来客の態度に「俺が空ける」と、トールが閂を引き抜いた。途端、扉が蹴破らん勢いでバゴン!!と盛大な音を立てて開き、退避し損ねたトールが見事に顔面を強打した。

「……ネフェちゃん!?」

「おばさま!」

 勢いよく入ってきたのは胴回りの貫禄が素晴らしい恰幅のいい女性だった。ワンピースと呼ばれる夏用の露出の多い上半身部分とスカート部分が一体化した服装に、エプロンという薄い服装をしており、背中には髪の色と同じ茶色をベースに羽の先端が白くなっている鷹のような翼があった。

 物騒なことに右手に鉈、左手には鉄製のフライパンが握られている。

 おばさまと呼ばれた女性はネフェさんの顔を見るや否や、手に持っていた鉈とフライパンをその場に落とし、ネフェさんをがっしりと抱きしめていた。

「ネフェちゃん! ああ、ああよかったぁ……! もう帰ってこないかと思ったわ!」

 リアルにぎゅぎゅぎゅ、ミチミチミチという音が聞こえてきて、「おばさま、苦しい」と小さな悲鳴が上がっていた。

「ああ、ごめんなさいねー! もうね、貴女の姿が無くなってから、みんな探したのよ」

 開放されたネフェさんはぷはーと大きく息を吸いつつ、おばさまにバシバシ叩かれていた。効くか分からないが後でルカに回復魔法をかけてもらおう。

「ご心配おかけしました」

「……で、この人たちは何?」

 そういって、俺たちの存在に気づいたおばさまと呼ばれた女性は、鉈とフライパンを取りににじりよっていた。

「皆さんは私をここまで送ってくれた人たちなんです! この人たちは大丈夫です!」

「……ホミノス3人にガルムス1人で?」

「あ、えーっと……」

 カキョウが気まずそうにしながら、フードを外した。

 ここ数日見なかった彼女の角のある頭。

 おばさまはカキョウの姿をみると、目をまん丸としていた。

「ほ、ホーンド!? な、何、あなた達、奴隷商人か何かなの!?」

「ち、違います!! 俺たちはただのハンターです、これがハンター証です!」

 さすがにそういう間違われ方は堪ったものではないので、ウエストポーチに入れてあったハンター証を取り出し、おばさまとやらに見せた。

「俺たちは元々このシスターの巡礼の護衛のために旅をしておりまして、その途中でネフェさんを保護したんです」

 保護されました。そして皆さんと一緒にカラサスもルノアも抜けてきましたと、口添えてくれた。

 一応、このグランドリス大陸内でなら、ハンター証は身分証明として効力を持つ。ハンターの身元をそれぞれの所属ギルドが保証し、責任を負うことになっている。

 後でトールに聞いたのだが、戦争直後のルノアは地下世界だの闇市場だのと呼ばれた巨大な人身売買場があったそうだ。フェザニスの住むウィンダリアとエルフの住むテオドールに隣接しているルノアは絶好の場所であり、歓楽街という形で覆い隠せていた。

 だが、それを善しとしなかった人たちが立ち上がった。昼の女神率いるハンターたちと、夜の女帝が率いる夜の住人たち。双方ともルノアと言う街を愛していたために、互いに協力して巨大な汚泥を綺麗さっぱりと掃除したと言う。

 だからこそ、トールはギルドで寝泊りする際に『ここはポートアレアと同じく信頼していい。本気で』と言ったのだ。女神のお膝元。絶対守護圏内だと。

「そ、そうなの……、ポートアレア支部……信じていいの……?」

 それでもまだ信用に置けないのは人種的な問題か、それとも偽造されたものかの真偽だろうか。というより、ハンターランクがまだ低いと言う点だろうか? どちらにしても初対面である以上は仕方のないことだ。

「ならほい、俺のハンター証。俺の身元保証については、ルノアのクラブ『ドリーム・ド・トラウス』のオーナーに確認を取ってくれていいぜ」

(そうか、女帝の息子なんだから、トールは女神と女帝の双方とつながれる存在なんだな)

 そんなことを今更気づかされた。ただの先輩は少しすごい先輩にランクアップした。

「は……? なんでルノアNo.1クラブのオーナーが保証……? 貴方、何者?」

 大抵はそうなるだろう。少し顔の整った男ハンターでおいて、背後関係は濃密であることの数奇さ。

「ただの知り合い」

 そしてその自分の整った顔を全力で使うことも惜しまない。にこやかに、さわやかに笑顔を向ければ、おばさまと言う人は顔を赤らめながら目をそらした。

「……ま、まぁいいでしょう。ネフェちゃんが無事だったのならそれでいいわ」

 なるほど、これが考えることを止めたというやつか。

 有効手段なのかもしれないが、俺には到底真似できないし、似合いもしない。そういう渉外関係はこれからもトールに任せよう。

「紹介が遅れましたが、こちらお隣さんのモーザさんです」

 モーザという女性は、ネフェさんの家族と親交が厚く、ネフェさんのことをよく気にかけてくれる人らしい。

「さっきはごめんね。よく見ればあなた達なかなか良い顔してるじゃない。特に貴女、顔を見せて頂戴」

 そう言ってズズイッと近づいた先はやはりというか、カキョウのほうだった。

 物珍しさではこのメンバーの中でダントツなのは分かりきっている。顔を見せてと言いながら、実際は角を見ようとしているのだろうか。

「うわぁ……噂どおりの真紅の瞳と赤系の髪ね。角は触らないほうがいいのよね?」

 角もだったが、実際は髪と目を含めた全てだった。

(そうか、ホーンドは角だけじゃなく髪と目が赤いのも特徴なのか)

「あ、なでる程度ならいいですよ」

「まぁ! ありがとう! やだーご利益きちゃうかも」

 しかしカキョウは頼まれたら断れない性格なのか、モールまでの商人殿と違いまったくの今会った初対面のヒトに大事な角を触らせている。完全に気圧される形だが、

(嫌なら嫌と言えばいいじゃないか……)

 あまりいい気はしない。俺たちですら、知っている限りでは誰も触っていない……はず。

 実際、角は遠慮なしにベタベタベタベタと撫で繰り回されており、カキョウは困ったというより既に嫌そうな顔にまで発展している。

「おばさま、やりすぎです」

「えぇ、でもぅ……」

「カキョウさんもちゃんと嫌がっていいんですよ?」

「う、は、はい……」

 彼女も限界だったようで、モーザが角から手を離すと素早く3歩後ろに下がり、半身を俺の後ろに隠してフードをかぶった。ああ、本当は相当嫌だったんだろう。

「あら、嫌われちゃったかしら」

「剥き出しとはいえ、命と同じぐらい大事なところですよ。無遠慮すぎます。嫌われて当然です」

「ネフェちゃんも言うようになったわねー、でも彼女が許してくれたのよ?」

「撫でる程度って言ってたでしょう、おばさまの場合は撫で回しです」

 ああ、なるほど、俺はこういうタイプの女性は苦手だ。

 許されたと思えば、それを10倍以上に都合よく捉えるタイプ。

 はじめ、ネフェさんとのやり取りを見ていると一応親切なヒトなんだろう。だが、一度暴走してしまうと誰かが止めるまで本気で止まらない。

「気を悪くさせちゃってごめんなさいねー。あなた達お夕飯は? お詫びにおばさんが作ってあげるわよ!」

(本当に気を悪くしたのはどっちだ?)

 ああ、嫌いという型にはめてしまうと、どんどん穿った見方になっていってしまう。これは悪い癖だ……。

「おばさま、ごめんなさい。私たち夕食はすでに買ってきちゃっているんです」

 ネフェさんはテーブルの上に置いていた買い物袋を手に持って、買ってきていると証明するようにモーザに見せた。見せないと信じてもらえず、お相伴に与らせられそうな想像ができた。

「あらー、そうだったの! 分かったわ。今日はこれで失礼するわね。何か不自由があったら何でも言ってね!」

 そう言うとモーザは残念そうにしながら、帰ろうとした。

 だが、扉を出ようとする際にこちらに……いや、カキョウに対して振り向き、妙にべったりした笑顔で手を振った。カキョウは顔を引きつりながらも、手を軽く上げる程度にし、それを確認すると気分をよくしたのか、スキップしながら帰って行った。

「……みなさん、ごめんなさい。モーザさんは少し……いえ、結構強引な方なのは分かっていただけましたね」

 はい、ありありと。まざまざと。さすがにこれは疲れた。

「昔からなんです。優しいヒトなんですけど、強引で少し押し付けがましくて……、それでおばさまと呼ばないと不機嫌になるんですよ」

 長い付き合いであるはずのネフェさんも苦笑するほど、モーザの強引さは今に始まったことではないようだ。

 二難去ったので一先ずみんなで手伝えるだけ片づけをしつつ、買ってきた夕飯に舌鼓しながら夜を過ごした。

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