2-4 砂地に眠る赤

 モールの町へ戻った私たちは、襲ってきたぬめりさんたちを街の門兵に引渡し、改めてモールの街を出発してから3日がたった。その間は野宿と歩きを繰り返しながら、あと半日でカラサスの街につく所まで来た。

 モール周辺に群生していた木々が減っていき、あっても長年枯れ果てたようなヨボヨボしい木が点在する程度になってきた。また、空気から水分が抜けたようで口がよく渇くようになり、砂埃も混じり始めた。

 そして今は血のにおいも混じっている。

「ハァッ!」

 雷撃をもろともせず正面から突っ込んでくる噛みつき攻撃に対し、半歩反らして回避。相手の勢いを生かしそのまま後ろへめくって、背後から刀を振り下ろした。

 悲鳴を上げながら腰を切り裂かれた黒毛の狼ナイトウルフがその場に倒れ、4体目の死体となった。

「ふん!」

 飛び掛ってきたナイトウルフに対し、真っ向から大きな剣を振りかぶったダイン。刃は見事に狼の頭から入り、竹を割ったように2枚おろしにした。

「そいっ! ……これで終わりか?」

 トールもバルディッシュで1体を薙ぎ裂き、2つになった肉塊は茂みへと弧を描いて飛んだ。 みんなであたりを確認してみたが、増援はなさそうでお約束は回避されようだ。

 本来は夜行性で見通しの良くない林でしか見ないといわれるのナイトウルフ6体に襲われたのだが、なぜこんな真昼間の見通しのいい場所で襲ってきたのだろうか? しかも、モールを出てから、今日までの3日間は1日1回、何かしらのモンスターが襲ってきた。

「平原ではあんなに平和だったのに……」

 ルカがつぶやくように、オルト大平原を横断しているときは一切襲われず平和だった。

 これはポートアレアとモールとの間の街道は陸上輸送の主要な道と思うため、自分が考えている以上に整備され、定期的な討伐も行われている可能性は大きい。

 でも、そんな街道を商人さんがわざわざ護衛を雇ってまで抜けるということは、本来野獣などに襲われる危険性があり、今の襲われている状況のほうが普通なのかもしれない。

「まぁ、現在の戦力ならこの程度は裁けることも分かったし、気に留める必要はないさ。さて、日没までには街につきたいから、ちょっと急ごうか」

 バルディッシュの手入れを終えると、トールは手早く皮袋へ戻した。

 あまりに見事な手つきに見とれてしまったが、トールは本当に急ぎたいような少し焦りのような顔をしている。

 ダインも何かトールに引っかかったらしく、なぜか目配せ的に視線が交差した。

 すぐに互いに目をトールの背中に戻すと、自分たちも武器を納め、後に続こうとしたがナイトウルフの死体に目を落とすネフェさんの姿が入ってきた。

「ネフェさん? 狼が何か?」

「ああ、いえ、この子たちって確か夜行性で森や林を好む性質だったので、こんな見通しのいい街道で遭遇したのが珍しいと思ったんです」

 落とした視線をトールの背中に向けなおしたネフェさんは、アタシの背中をポンっと軽く叩いてきたので、一緒に早足で先行の3人を追った。

 確かに何か引っかかるけど、たまたま昼間に下山して狩りを行っていたのだろう。それ以上考えても仕方のないことだと思った。



 余計な戦闘をはさんでしまった為に日が沈みかけ、あたりが熟れた柿のような色になり始めたときだ。

 街に近づくにつれ砂埃っぽさがひどくなり、雑草が枯れ土は干上がり、ぽつぽつと砂の山が見受けられるようになった。

 そして街はというと……

「か、壁……と、天幕??」

 現れたソレは、街の防壁としては巨大すぎるものがそびえ立ち、その手前には無数の天幕が密集していた。

 壁の中心には巨大な鉄格子の門があり、奥にはさらにもう一つ鉄格子の門が見えるという二重構造だった。

 また、壁の手前には敷き詰められた天幕はボロボロのものもあれば、最近建てられたような真新しいもの、逆に石造りや木製の家や固定の建物などはかなり少ない。

「その天幕たちが街なんだけどね」

 街といえば人々がその土地に定住し、塀などで囲って安全を確保した場所という認識だった。

 しかしここは人々を塀の外へ追い出され、街の庇護もない野ざらしでの生活を余儀なくされているということ?

「これでは……いつでもモンスターに襲われるだろう」

 ダインもまた驚いているようで、この風景への理解に苦しんでいる様子だ。

「そういう場所なのさ。人の定住自体が少なく、街と言う固定的な場所とは少し違う。訪れた旅人や戦士は空いてるテントを自由に利用して良いけど、自分の身は自分で守れって場所なのさ」

 この天幕たちですら、過去の旅人が置いていった物ばかりで、王都を目指す人たちが持ち込んだ天幕を不要になってこのまま放置して行ったらしい。ソレは今でも続いており、風化してボロボロになっても新しい天幕が次々と建つとのこと。

「なんだか不思議。雨ざらししないだけの野営地みたいな感じね」

「似てるけど、これでもちゃんと定住の万屋や商店はあるし、ギルドの支部もあるんだよ?」

 でもやっぱりテントだけどね、とトールは小さく笑っている。

 笑ってはいるものの、素人のアタシでも分かるぐらい疲れが滲み出ている。

 モールの宿やここ2晩の野営でも二人は交代で見張りを続け、連日の戦闘も合わさり、ずっと気を張り続けてる。休ませてくれるのはありがたいけど、毎晩二人だけに任せるのは心苦しい。

 二人にもちゃんと休息して欲しいと見張りを申し出ては見たが、「女の子を守るのが男の役目」、「慣れないことはしちゃいけないよ」と二人して頑なに拒否してくる。

 どうすれば寝てくれるだろうかと、溜息をこぼしながら奥のほうにそびえる壁に目をやった。

「あの壁……ちょっと不気味、ですね」

 ルカの言うとおり、夕日に照らされて少し赤黒く見えていた壁は赤みを増していき、不気味で、何か考えてはいけない色に近づいているようにも見えた。所々に点在するボロボロの天幕も何か引っかかるものがある。

「……奴隷の壁ですね。はじめてみましたが、本当に血のような色なんですね」

「は……へ?」

 不気味と感じていたものが胸の中ではっきりと形を成し、その気持ち悪さに変な声が出てしまった。

 そうだ、血だ。夕日が沈むたびに強みを増す橙によって、徐々に鮮血に近い色へと変わり行く赤。夕食前でおなかには何も入っていないはずなのに、せり上がってくるものがある。

 これでも先日の初仕事で初めてだけど人間を切ったし、動物もモンスターも切ってきた。何度も血を見てきた。

 ――なのに。

 せり上がってくるものは、開けてはいけない蓋を鼓動にあわせて叩き開こうとしている。

「20年前の戦争で敗れた南部王国の多くの人々が敗戦を理由に奴隷として連行され、あの中に一旦集められて競に出されたという。その時手足を縛ったときに滲み出た血で化粧した壁という迷信です」

 こんな巨大な壁を染め上げるほどの血の量が、手足を縛っただけの血で済むはずがない。たとえ迷信でも目の前に大いに連想させるものがあるなら、脳はしっかりと反応し、理解し、拒絶する。

 特に敗戦国の民になってしまったネフェさんの言葉だからこそ、それがより重みを持っている。

 そして、ルカが膝を突いた。口元を押さえながら、小刻みに震えている。

 自分もせり上がるものを抑えながら、彼女に駆け寄り背中をさする。でも、アレが見えている以上は収まりそうにないだろう。

「だからこの時間に来るのは嫌だったんだ」

 トールが吐き捨てた言葉には、コレを予期していたということだ。本当なら、もう少し明るい時間か逆に暗くなってるほうが、あの夕日で蘇った赤を見らずに天幕だらけの街と大きな壁で済んだ、と。

「ごめんなさい……」

 確かに言わなければ、ソレを認識することなく、違和感だけで済んだのかもしれない。

 でも……

「ネフェさんが言わなくても、私が聞いてたよ」

 絶対、違和感を引きずって、大事な仮眠すら出来なくなる自信があった。想像の斜め上だったけど。ルカもまだ丸まっているが小声で「私もたぶん聞いたと思います」と言っている。

 特に反応を示していないなと思ってダインのほうを見上げてみると、口元に手があてがわれ、発する声も低く唸り、怒りをにじませた目で壁をにらんでいた。

「トール……、戦争とはここまでする必要があるものなのか?」

「ないな。他国への見せしめだとしてもやり過ぎだ。

 それに血はあくまで迷信であって、アレが本当に血なのかは分からないんだ。国も一応否定しているし、実際に利用した実態がない。また、門が開いたところ見た人は誰もいないし、開けられないまま錆付いている。鉄格子から見える向こうも風化した家々しか見えない。迷信であってほしいね。……コレが迷信じゃなく本当なら俺は国を軽蔑するね」

 確かにコレが迷信であってほしいと思った。

 改めて壁を見ると、日の沈みが進んでおり、壁がより一層血のような赤へと近づいたように見えた。


 カチ。


 何かがはまる音。

 体の芯から感覚が消えていく。

 動けない。言葉にならない。

 染まる、染まる、視界が染まる。

 上のほうから赤く染まる。


『……! ……ア!!』


 真っ赤な世界に遠くから響く声。その声もどんどん遠ざかる。

(なに……こ……れ?)

 血のような赤はここから遠いのに、視界に広がるのはべったりとした真っ赤。

 散らばるボロボロの天幕が何か「バラバラ」という単語を思い起こさせる。

 頭が圧迫される。痛いではなく息が詰まる。苦しい。

 でも、ソレもどんどん遠ざかる。


『……れア!!』


 声に合わせて遠のいていく視界。体の力が抜け、地面に落ちたのまでは覚えつつ、そのまま視界が暗転した。



◇◇◇



 カキョウが倒れてから2時間がたった。日もすっかり暮れ、夜空にはまばゆい星々が輝いている。

 顔は青ざめ、目からは涙のように血が流れ、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた彼女は、いくら揺すろうとも起きず、完全に気を失っていた。

 彼女が倒れてすぐ、俺たちは今晩の寝床となる天幕の確保を行い、ルカとネフェさんで看病をし、俺が焚き火の準備と見張り、トールは活動費稼ぎのためにギルド支部の天幕を探すといって街の中へ消えていった。

 あたりが暗くなったあたりではじめて分かったんだが、天幕にポツポツと明かりがともり始め、本当に使い物にならない天幕以外はおおむね光がともっていた。

 布を通した明かりは柔らかく、まるで地上の星のように個々の放つ光が幻想的な夜を作り出している。

 ゆら……。視界が一瞬ぼやけた。

 目の前の焚き火の炎が揺れたものだと思い込みたかったが、やはりそういうわけではない。

(そういえば、ポートアレアを出てからからまともに寝てない……)

 歩き通しに連日の戦闘、襲撃を予想しての見張りで中途半端にしか寝れてなかった。

 男だからということもあり率先して見張りについているが、不慣れなことの連続だったため、正気に言えば疲労も限界に近い。今も寝ていいといわれれば熟睡できる自信はあったが、見張っている以上そういうわけにはいかない。

 回復魔法を掛けてもらえば表面上の疲れは取れるが、どうしても頭痛だけは取れない。脳だけは嘘をつかず、本当の休息を求めている。

「ダイン」

 天幕からカキョウがひょっこり頭をし、外へ出てきた。

 商人殿から頂いたフードをはずし、いつもつけている紫の帯はしておらず、一番外側に来ている羽織の前は開かれ、袖や首元から見えていた中の襦袢と呼ばれる白い着物が見えていた。

「もういいのか?」

 彼女が倒れたときはひどいものだった。急に崩れ落ちただけでなく、閉じた目からは涙のように血が流れていた。

 今は俺を真っ直ぐ見ているあたり、目に異常はなさそうだ。もう血も流れておらず、顔色もかなりいい。

「うん、今はなんともないよ。……うわぁ、綺麗」

 話しながら移された彼女の視線の先には、灯りの灯った天幕群だった。幻想的な風景ではあるが、ゆったり揺れるそれぞれの灯りがこちらの眠気を一層誘ってくるという、なんとも情緒に欠ける自分がいる。

「なんか、故郷のショーローナガシみたい」

「ショーローナガシ?」

「コウエンの文字で、精霊様を流すって書いて精霊流し。夏にお盆っていう死んだ人たちの魂が家に戻ってくる期間があって、その最後の日の夜に魂があの世に戻れるように、灯りのついた灯篭を川に流して弔う行事があるの」

 そういうとカキョウはその場に屈み、砂を指でなぞって弧が下向きの半円と、それに接するように上に四角を描いた。上が灯りの灯った灯篭で、下は浮かべるための船で、手の平に収まるぐらいのものだと説明してくれた。

「なるほど、この灯篭船に魂を乗せて、あの世へ送るということか?」

「そういうこと。それでちょうど、その灯篭の明かりにここの灯りの雰囲気が似てるなって思ったの。でもこんな風にとどまっているわけじゃなくて、川だからどんどん流されて遠ざかっていくんだけどね」

 夜闇の中に遠ざかる淡い光か。

 目の前に広がる灯り達が遠ざかっていくことを想像した。

 それは馬車で見た遠ざかるポートアレアの街と同じように、徐々に小さくなっていき、やがて点となり、夜や見の中に消えるまでずっと見続けるんだろう。ほんのりの寂しさを胸に抱きながら。

「しかし、夜にあの世へ送るということは、必然と魔界へ送るということなのか?」

 ティタニスをはじめとする多くの国が、夜とは死者と魔なるものが住む魔界との境界が薄くなる時間と言われている。そのため、人の葬送を夜に行うことで魂を魔界に導き、善人の葬送を昼間に行うことによって天上界へ導く。

 そんな疑問を彼女に投げてみると、「フフッ」と小さく笑った。

「あのね、炎を信仰するコウエンの民の魂は、他の国で言われる天上界や魔界ではなく、炎の精霊様の世界に送られるんだって」

 そのためコウエンの民にとってあの世とは炎の精霊がいる世界であり、その夜だけは炎の精霊様の世界との繋がりが1年で最も強い日らしい。

 火山から流れる川の終わり、つまり海との境界になる場所は炎の精霊がいる世界への扉があるといわれ、そこから精霊の世界に入り、魂の清算をを行って、火山から再びこの世界に戻るという。地理そのものが魂の循環する大枠となっているということだ。

 炎と火山を信仰する民族だからこそ、俺たちが一般的だと思う事柄が、炎にまつわる様々な物に置き換わり、独特の世界観を持っているのだと感じさせられた。

(とはいえ、俺が知りえる知識なんて、生活で見につけたというより書籍から得たものみ)

 自分の知っている知識が果たして一般常識であるかすら分からない。

 本当は時代遅れの常識なのかもしれない。

 そんな疑念を持っているからこそ、今見ている光景も、現実も、足元に広がる砂地も何もかもが新鮮であり、何度言っても言い尽くせない。

 体にしみこんでくる目新しい感覚たちのおかげで、これまで得られなかった日々の変化を大いに感じている。

 彼女の隣に屈み、皮手袋をはずして、改めて砂の感触を確かめた。水分を一切含んでいない砂は、握ることを許さないように手から簡単に逃げていく。そのサラりとした感触が気持ちよく、少しカキョウのことを忘れて触っていた。

 カキョウの不思議そうな視線に気づき、手を止めて立ち上がろうとしたときだった。

 まるで後ろに引っ張られるように体が重くなり、そのまま倒れてしまった。鎧がひどく重い。体を起こそうにも中々言うことを聞かない。

「大丈夫!? ちょ、なんか顔色ひどくない?」

 情けない姿を見せたはずなのに、心も頭も反応しない。やはり疲れは顔にも出ているらしく、相当来ているのだと実感させた。

 こうやって彼女と話してる最中でも、視界の端々がゆらりとしている。

「大丈夫だ。気にしなくていい」

 体を起こすのもやっとなのに、俺は何故か見栄を張ってしまった。

「そうだ! 寝させてもらったし、私が見張ってるから今日はしっかりと寝てよ」

 その提案は非常にありがたいが、先程まで目から血を流して意識不明で倒れてた人に見張りを代わってもらうのは、少々酷な話ではないだろうか?

「お? もう大丈夫そうだね」

 こちらが返事をしかねているところにトールが帰ってきた。手には茶紙の買い物袋とギルドの書類と思わしきものをを抱えている。

「いやーすっきりするぐらい寝てたみたい」

「寝てたって……君は意識不明で倒れてたんだよ? まぁ顔色はいいようだし、ひとまず安心かなー?」

「あはは……心配をおかけしました」

 照れくさそうに笑ったカキョウの顔を見ながら、呆れつつも安心したようなトール。

(しかし、トールは本当に慣れてるんだな)

 睡眠時間は俺と大して変わらないはずなのに、顔色もコンディションも落ちる気配はない。

「おやおや、ダイン君もさすがに来ちゃってるか」

 さすがにと言われるほど、今の俺の顔はひどいものなのか。

「よし、こうしよう。今夜は俺とカキョウちゃんで見張り、お前はネフェさんたちと一緒にたっぷりしっかり寝てもらう。代わりに明日見張ってくれればいいさ」

 確かに天幕の中からも二つの寝息が聞こえる。そこそこ鍛えてる俺が倒れそうなのに、非戦闘系の二人が辛くないはずもない。

「だがトールは……」

 俺と同じぐらいしか寝ていないので、トールだって本当は休息が必要なはずだ。

 だが、そんなこっちの心配はお見通しで、溜息つきながらこちらに近づくと、俺のおでこに力いっぱいのデコピンを食らわせてきた。

 普段なら痛いの一言で済ませれる程度の痛みだが、この体調では防御力も低下しているようでダメージの箇所を手で押さえ悶絶してしまった。

「ほら、大人しく寝ろ」

 笑顔の下には「言うことを聞け」という冷たい何かを感じた。

 これ以上は逆に迷惑をかけてしまうのもわかった。ここは言葉に甘えて、寝させてもらうことにしよう。

「……分かった。何かあったら絶対起こしてくれ」

 そう言ったまでは覚えているが、そこから起きるまでの記憶は一切なく、目を覚ましたときは、日が昇る直前の黄金色に照らされた天を仰いでいた。



◇◇◇



 さてこの人、鎧を脱ぎだしたと思ったら、脱いだ鎧を軽くまとめると、その場で横になり寝てしまいましたよ。背中は天幕に預けつつ、右腕を枕代わりにして砂地の上で。しかも、数秒も待たずしてイビキが聞こえてきました。

 出会って今日までまだ7日で、野宿が今日までに3回あったけど、どれも率先して見張りに立ってくれた。私が代わるといっても「それは男の役目だ」と言って、彼は首を縦に振らなかった。

「そういや、ダインがまともに寝てる姿見るの初めてだな……」

 まともといいつつ、砂地の上で寝ているので、あまり野宿と変わらない。でも、ずっと見張りしてる姿しか見てなかったので、イビキをかくほど深く眠ってる彼を見るのは初めてだった。

 彼に近づいてかがんでみると、さっきまで苦しそうだった顔は吹き飛んだようにとても穏やかで、整った顔に似合わない盛大なイビキをかいている。イビキをするたびに大口を開け、整った顔の崩れるさまはこの数日の彼の印象を和らげてくれた。

「そうだな。こいつも慣れない野外生活のくせによく頑張ってくれたとは思うよ」

 出会ったときも箱から出てきたし、いろんなものが物珍しそうにしてたから、旅とかほとんどしたことが無さそうなのは分かっていた。

 野宿とか長期の旅は自分も初めてだから、仮眠という浅い任意的な眠りというのは難しく、意識するとどうも寝れなくなる。そして目を覚ませば、大抵ダインが起きているか、うつらうつらな感じで目をこすっていたりと、見張りをこなしていた。

「しかし、トールは本当に慣れっこだね。ダインより少し長く起きているのに顔色一つ変わらないんだもの」

 今だってケロっとしている。戦闘もあったのに疲れているそぶりは一切ない。

「そりゃこの生活を6年もやってればね、身に着けざる得ない術ってヤツさ」

 彼は焚き火の近くに腰掛けると、手に持っていた買い物袋を整理しながら語りだした。

「6年っていつから? そんなに年変わらないように見えるけど……」

「ん、お兄さん今、21だよ。15の時にギルド入って、そっからずーっと……」

 整理する手が止まり、夜空を見つめるトールの目もまた虚ろとなり、疲れとは別の暗い表情をしていた。

 なんだろ、自分よりほんの少しだけ先を行ってる人なのに、まったく違う流れの中に生きてるような感じで、そばにいるのにとても遠くに見えた。

「ま、そういうわけでお兄さんはちょいと多くのことを知ってたりするだけさ。これから長い付き合いになるんだから、その中で色々教えていくよ」

 ウィンクつきの微笑みを向けてきたトールの顔を見て、なぜかホッとしてしまった。

 先日のホミノスとガルムスの差別の話を聞いた後なのに、何この安心できる雰囲気。年上の包容力とかじゃなく、彼の後ろには積み上げてきた何かがあった。

(あ……信用と信頼だ)

 ギルドの仕事は、お客様との間に信用を重ね、信頼を勝ち取り、リピートしてもらったり、評判を広めてもらって指名をいただき、さらなる上を目指しながらまた同じことを繰り返す。

 そう考えると、彼に対する安心感はそこからくる信頼なのかもしれない。私たちは自然に彼によって守られ、安心を貰っているんだ。

 たった数日とはいえ、背中合わせて戦っている仲間であることは現状変わらないけど、そこには確かに信頼があるし、私たちの間に人種的差別は全く無い。

 こんなご時勢だからこそ、今ここにいる仲間を信頼しなくては誰を信頼すればいいのだろうか。

「うん、よろしくお願いします。先輩」

 トールは「こちらこそ」といわんばかりにやはり笑った。内心はほぼ見透かされてると思う。というより、見透かしてこちらを楽しむような笑顔だった。

 誰よりも寝てないのに、ここまで飄々としてるその笑顔が、少しずつむかついてきた。

 向こうも分かったかのようにニヤニヤのクツクツとした笑いになってきてる。

「それじゃぁ早速ですが、効率的な仮眠するところを実践して見せてください。せ・ん・ぱ・い?」

 クツクツと笑っていたその顔は突然見開き、口元に手を当てて少し沈黙しだした。数秒経つと今度は肩で笑い出し、頭をかきだした。

「そうきますか。これは1本取られたな。わーかーりーまーしーた」

 トールは立ち上がるとガシッと私の頭を片手で掴んで、ワシャワシャー!っと髪をこねくり回された。睨み付けるとウィンクをしながら、天幕の入口をはさんでダインの反対側に腰掛け、ゆっくりと体を横にした。

「一応見た目ではかなり回復してるみたいだから任せるけど、カキョウちゃんもあまり無理はしないこと。数時間したら俺も起きるから……後はよろしく」

 そこから目を閉じると、静かにまどろみに落ちたようで、一定のリズムの小さな寝息が聞こえてきた。見た目こそ、本当に眠っている状態に見えるので、何が効率的なのかは一見すると分からなかった。

 ただ、目的は彼らをいつもより多く寝かせることなので、ちゃんと教わるのは後ででいいと思っている。

「さて……がんばりましょーっと」

 私は立ち上がって、満点の夜空に向かって思いっきり背伸びをした。

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