ep.48 そもそも何がハッピーエンド
夕方頃に、ひよりが病室にやってきて、春樹くんは入れ違いに帰っていった。
「来てくれてありがとう。春樹くんにも気を遣って連絡してくれてありがとう。それは感謝してる。……だけどさ、ひより。情報は正確に伝えなきゃダメよ」
「え? だって、優里乃がホームから落ちたことと、入院先と、ちゃんと伝えたけれど」
「あいつ、あたしが電車にひかれたんだと思ったみたい。死んだか、重体だと思って、泣きながらここに来たっぽいよ」
いつもはどちらかといえば薄い瞼が、開くのも辛そうなほどに腫れていた。それよりも驚いたのが、彼、あたしが死んだら泣くんだって気づいたこと。
「だって、私も優里乃の状態知らなかったし」
「少なくとも、本人からLINEが来てる以上、大したことないのはわかるでしょうよ……」
まあ、ひよりに怪我の程度を伝えなかった自分も悪い。悪いんだけど、手首が結構痛かったし、その辺はむしろ周りが気を回してくれ……と思うのは期待しすぎですかね?
「あのさ、優里乃。崎田くんと優里乃ってさ、どういう関係なの」
「少なくとも、めちゃくちゃ親友」
「少なくとも?」
「アイツ、あたしのこと好きらしいよー、ウケるよね」
「そんな言い方しなくてもいいんじゃないの? ……照れ隠しなのは分かるけどさ」
首をすくめた。確かに、いくらなんでも、酷い言い方だった。「好き」に対して「ウケる」は、「嫌い」なんかよりよほど失礼だ。
「付き合ってはないのね?」
「まだOKしてないからね!」
「……何言ってんの?」
「ま、さっきさ、付き合うのは手首が治ってからだね、みたいな話をしてたのよね」
「なんで? 関係なくない?」
なんとなく、とあたしは言葉を濁す。
たぶん、後遺症が残る。担当医の話しぶり、手術時間の長さ、スマホで調べたなけなしの情報から総合的に判断すると、きっとそう。日常生活や仕事には支障がなかったとしても、重いものを持ったり、ピアノを弾いたり、複雑な動きをすることは、もしかしたらできないのかもしれない。
そう考えると、なんだかなあ、と思うのだ。確かに、彼にそこまで迷惑をかけるかというと、そうではないかもしれない。それでも別に、春樹くんの相手はあたしじゃなくても良くない? って思ってしまう。あたしくらいのルックスの、あたしと同等レベルの就職先をゲットした、利き手に大怪我を負っていない女の子は、世の中にごまんといる。
でも、そんな話をしたらひよりはきっと、悲しい顔をする。
「簡単に言うと、手首が動かせる桜庭と、手首が動かせない桜庭、どっちがいいですか ってことよ」
「桜庭二人もいない」
「そうだけど」
「いや、まったく理解できないんだけど。そりゃ、この状態じゃあデートとかは無理よ? でも、『付き合う』っていう契約くらいは交わしたっていいんじゃないの」
「この状態で、束縛だけしろってか」
「崎田くんは何て言ってるのよ」
春樹くんは、もちろん不満そうだった。なんでOKしてくれないんですか、と頬を膨らませていた。――今は怪我が痛かったり、リハビリが憂鬱だったりで余裕がないからだと説明をしたら、しぶしぶ納得してくれたけれど。
「退院したら付き合いましょうって言ってる。頭ん中、お花畑なんだよね、いい年して」
「いい年って、でも彼、私たちより三つも下なんでしょ?」
「高校時代にダブりまくってて、実は同い年……」
「マジか」
ひよりもびっくり。あたしも、初めて聞いたときはびっくりしたよ。
「なんだろう。……優里乃と、かなり属性が違う生き物って感じだよね」
「属性」
「いいコンビだと思うけどなあ」
ひよりが、つぶやく。
「そもそも、優里乃は崎田くんのこと、好きなんだっけ」
「そもそも論、来たね」
笑ってしまった。――ほんと、そもそも過ぎる。
「……好き、だね」
ずっと、心にストップをかけてきた。あたしと春樹くんは、あくまで利害関係だ、と。だけど、あたしはいつの間にか、完全に彼に心も身体も、ほだされていた。気づかないふりをしていたけれど。
「それは、告白してくれたからとかではなく?」
「ではなく」
「……じゃあ、裕太のときとは違うのね」
あたしのことを選んでくれたから、裕太のことは好きだった。志歩の方へと流れた彼に興味を持てなかった。――そんな関係よりは、健全か。同時に、これから先、色々とつらそうだ。
「先のことを見据えて危機を回避するのが得意なのは優里乃の長所だけど、結局『何がハッピーエンドなんですか?』って考えないと、本末転倒よ。特に恋愛。――好きなもん同士がくっつくのが、普通に考えてハッピーエンド、みたいな」
曖昧に頷くしかなかった。
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