sideB. 1
これは、あるおバカな女子大生に振り回されたせいで、ほんの少しだけ人生が変わってしまったかもしれない、そんな俺の物語である。
クリスマスの朝のプレゼントなんて、何年ぶりだろう。
大学に入学して初めてのクリスマス――その日俺は、一番、絶対に欲しくなかったプレゼントを受けとることとなる。
それは、優里乃さんが電車のホームから転落した、という知らせだった。
その日の俺はスマホのバイブレーションで目を覚ました。あの日、優里乃さんにキツい言葉を浴びせられて以来イマイチ笑えず、朝起きるのはつらかった。ああ、俺、こんなことでマジで落ち込んじゃうんだなって思うと、情けなくも感じた。同時にそれだけ、あのお馬鹿な先輩のことを必要としていた自分に気づいた一週間だった。
そんな中、届いたメッセージは、ひよりさんからのものだった。
『崎田くん、もう聞いてる? 昨日ゆりの、電車のホームかは落ちたって』
『ホームから』と打ちたかったはずのところを『ホームかは』と打っているあたり、相当焦っていたのだろう……などと考えている余裕は、当時の俺にはなかった。
『容体はどうなんですか』
『わからない、A病院に搬送されたってだけ』
優里乃さんに『ひよりのやつ、LINEの文面がうるさいんだよね』と評されるくらい、いつもはたっぷりの絵文字が帰ってくるはずのひよりさんから、黒一色のメッセージが返ってきている、その事実だけで、俺は事の重大さを理解した。
常識的に考えてみれば、電車に跳ねられれば即死である。優里乃さんが、死ぬ? ……そんなことあるか?
一刻も早く、優里乃さんの元に行きたかった。着ていたジャージを着替えもせず、寝癖がついているであろう髪を整えることもせずアパートを飛び出した。
ホームに来ていた電車に飛び乗ろうとして、失敗する。飛び乗り乗車はご遠慮ください、という無機質なアナウンスにいらっとするが、自分まで事故っては元も子もないなと思った。次の電車を待つうちに、涙が溢れてくる。
こんなことになるなら、もっと最初から素直になっておくべきだった。初めて会ったときからなんとなく好きだった。無鉄砲でお節介なド阿呆にしか見えないけど、本当はかなり頭がよく、しっかり考えている。アホに見えるのは、彼女自身すら気づいていない優しさからくるもの。――こんな人間になりたかったな、と思った時期さえあった。
それなのに、俺は彼女に近づくために失礼な物言いをすることしかできなかった。途中からは好きな気持ちが溢れすぎて、近づきすぎた。謝りたかったけれど、拒絶されて、でも諦めきれなかったのだ。
病院に到着する頃には涙と鼻水でめちゃくちゃな顔面をしていたと思う。受付の人が引いていたのを感じた。案内された入院病棟のナースセンターに声をかけた。
「あの、桜庭 優里乃さん……電車の事故の……」
そこまで言って泣き崩れてしまった俺を、看護師の一人が宥めた。
「落ち着いてください。桜庭さん、命に別状はありませんから。意識もしっかりしてますし、すぐに面会できますよ」
一旦心を静めるために、共用スペースに移動した。自販機で、300ml入りのペットボトルのお茶を購入する。ここは、整形外科の入院病棟。優里乃さんは、そもそも電車に跳ねられたわけではなかった。ホームに転落したときに手首を折ってしまい、緊急手術を行ったのだと聞いた。
痛かっただろうか。怖かっただろうか。そんなの嫌だな、優里乃さんには、いつもお気楽で居てほしい。命に別状なし、と聞いた今だからいえることだけど、怪我をした瞬間は、どうか気を失っていてほしいな、なんて思ったり。単純に、痛い思いをするのはめちゃくちゃかわいそうだ。
「……先程は失礼いたしました。よろしくお願いいたします」
再びナースセンターに声をかけると、若い看護師さんが俺を優里乃さんの部屋に案内してくれた。
「桜庭さーん、失礼いたします。お見舞いの方がいらっしゃいましたよ」
「ああ、ありがとうございます。入ってもらってください」
一週間ぶりの優里乃さんの声に、泣きそうになった。軽やかな、癖のない声。大好きな声。
看護師さんがどうぞ、というので俺はカーテンで覆われた彼女のスペースへと滑り込んだ。
優里乃さんはベッドの上に座っていた。三角巾で吊るされた右腕と、点滴に繋がれた左手があまりに痛々しかった。
「ひより来んの早くない? てっきり……お前かい」
「……俺でごめんなさい」
彼女は顔を背けた。……怒ってるのかな。
「来てくれたのは嬉しいし、そこにいる分には構わないけど、ちょっと顔見られたくなくて」
「どうかされたんですか」
「いや、ノーメイクだし、ちょっと目が腫れてるっぽくて」
「目、ぶつけたんですか」
「いや……ぶっちゃけ昨日、痛すぎて泣いてしまってさ」
いい大人が情けな、と言って彼女は笑った。
「怪我は」
「えっと、右手首の粉砕骨折と、左肘の打撲と、右膝の骨にひび」
「それは泣いても仕方がないです」
体の一部が砕ける痛みなんて想像もつかない。
「それはそうと、あんたもなかなかひどい顔してるね?」
ちらりと俺の方を見て、少し笑う。
「……顔さえ洗わずに家を飛び出してきたもので」
「近寄るな」
優里乃さんが、意地悪を言う。そのくらいの元気はあるんだ、と少し安心する。
ノーメイクで、一切巻かれていないストレートヘアーの優里乃さんは、22歳にしてはとても幼く見えた。
「春樹くん。……本当にごめんなさい」
優里乃さんが、頭を下げた。それは、俺に心配をかけたことに対する謝罪か。
「この間言ったこと、嘘だから。春樹くんと居て楽しくなかったって言ったこと」
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