ep.46 思考停止で拒絶するのは

 俺の知る優里乃さんは、時々つまらなさそうでした、と彼は言った。


「働き者でサバサバしてるのに、たまにあざとい。なんか、人望とか内定とか成績とか、普通の女子大生がほしいと思いそうなものを全部持ち合わせているのに、表情がどこか薄くて、そしてたまに、本当につまらなさそうな顔をするんです」

「……そんなに?」

「はい。でも、この数ヵ月の間に、ほとんどそういう表情を見せなくなった。喜怒哀楽が、分かりやすくなりましたし」


 なんでだろうな、って考えたんですよ、と彼は続けた。


「当然っちゃ当然なんですけど、優里乃さんが一番生き生きとしていたのは、人と接しているときでした。特に、後輩の男子に勉強教えてあげたり、相談に乗ったりしているとき。あれ、学科の後輩さんですよね」

「そうね。田口くんと、学部は違うけれど同じ学年よ」

「ぶっちゃけ、その人への当て付けなんじゃないですか? さっきのこと」

「……ごめん」


 春樹くんとは、自分の働くカフェでも何度か会っているし、大学構内でも、図書館や学食で頻繁に会っていたから、この後輩くんにも目撃されていてもおかしくはない。


 そして、当て付けという言葉はあまりに正しかった。


「人の役に立つって、本当に人生が充実するんだろうなって、見ていて思ったんです。でもあれ、優里乃さんにとってはある意味チャレンジだったんじゃないですか? 髪の毛を明るくすることよりも、新しいバイトを始めることなんかよりも」

「……あたしが、人に利用されるのが嫌いな人間だから」


 後輩くんは、頷いた。


「一見、矛盾しているようにも見える。だって、優里乃さんに、実質的な得は生じ得ないですから。でも、そんな条件下で、対等な関係を築けるか。優里乃さんが目指したものって、そういうことですよね」


 言葉を失う。――鈍いヤツのくせに、何?


「自分が利用されるのは、悲しい。でも、負い目を感じられるのも、嫌だったんじゃないですか」

「私は――」

「端から見たら、お二人はすごく、自然な関係に見えました」


 後輩くんの言葉は、止まらない。


「でも、彼は二人の関係を『師弟関係』と呼んだ。それは、一般的には対等なものではないですよね。好きとか嫌いとかじゃなくて、本当はそこが一番悲しかったんじゃないですか」

「……待って、あの時田口くん、居たっけ」

「ごめんなさい、彼女から聞いた話をヒントに、いろいろ喋っちゃってます」

「まあ、別にいいけど……」


 恋人は一心同体ってか。けっ。


「その後、お二人の間にどのようなやり取りがあったかは、俺には知る由もありません。学科の後輩さんと仲良くするも、卒業を機に縁を切ってしまうも、そんなことは優里乃さんの自由ですしね。ただ、俺がひとつ言えるのは――」


 後輩くんは、少し考えるような仕草をした。


「端から見るぶんに、いいコンビだったのにな、勿体ないな、って感じてしまう。それと、人間関係って、どんどん変わっていくものですよ」


 最初は、ただの利害関係人同士だったのかもしれない。あたしから春樹くんには、大学を生き抜く知恵、春樹くんからあたしには、「キラキラキャンパスライフ」のお手伝いを提供する。圧倒的ギブアンドテイクの関係。


 そんな中、腐れ縁も相まって交流が増えていって、気づいたら、彼の家庭事情に足を突っ込んでいた。出すぎた真似だったかもしれない。しかし、そんなあたしを春樹くんは信用してくれた。


 そう、そしてあたしは、彼から頼まれたのだ。「一緒に大学生活を送ってくれ」と。嬉しかった。彼の相棒になれたような気がして。実は同い年だったことも、あたしにとってはすごく好都合だった。共通点は多ければ多いほど、対等な関係になりやすいものだ。


 後輩くんに言われて、初めて自分の求めていたものに気づく。


 あたしは、損がしたくないわけではなかった。まあ、しないに越したことはないけれど。


 ただ、自分も人と対等な関係を築いて、利害とか関係なく協力できるんだ、ということを証明したかっただけなのかもしれない。だからこそ、春樹くんと居ることで、実質的には自分が何も得ていないなんてことは、気にならなかった。結果として、利用されてもいいかな、と思ったことすらあった。――互いの心に、均衡がとれてさえいれば。


 そんな中で、春樹くんに突きつけられた「師弟」という関係。不平等な関係性に、思わず心を閉ざしてしまった。そんな中で、どさくさに紛れて身体を求められたりして、利用されてるんだか、負い目を感じられているのか、同情されているんだか、なんなんだかよく分からなくなってきて、


 そして、逃げ出した。


 何度も、「一緒に居てくれさえすればいい」と言われていたのに、そんな言葉には耳を貸さなかった。素直になれなかった春樹くんの表面上の言葉だけをあげつらって、彼を傷つけた。


 思考停止して、相手を拒絶するのはとても簡単だから。絶対に自分は傷つかずに済むから。


「田口くん、ごめん。酷いことして、彼女さんのこと、悪く言って。……あたし、どうしたら良かったのかな。もうこれ以上、不用意に人を傷つけたくない。春樹くんにも謝らなきゃ」

「俺のことは気にしないでください。でも、その方が優里乃さんのことを、心から慕ってくれる人なのであれば、それは絶対に、手を離しちゃいけません」


 それでは、失礼いたします。そう言って後輩くんは店を出た。取り残された、あたし。


 思わず、その場に座り込んでしまった。


「本当に、馬鹿だ」


 彼が言うことはあまりに正しくて、春樹くんを失ったあたしはあまりに馬鹿で。なぜか、涙が止まらなくなる。


 確かに、あたしはコール・アーソナで、自分が求めていた人間関係を築けなかった。同期のみんなは、あたしが面倒なことを引き受けてくれる都合のいい人間だとみなしていた。――あたしは、ただみんなで頑張りたかっただけなのに。


 だから、都合のいいキャラを演じるのをやめて、合理的に、利己的に生きようとしていた。極端すぎて、笑っちゃう。そうやって、今まで何人の手を振り払ってきたのだろう?


 取り返しのつかないことをしてしまった、そう感じた。

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