ep.19 あの曲が有ったから

「あ、優里乃ー!」


 蛇ににらまれたかのように固まってしまったあたしに、天使の微笑みを向けるのは、同期のひよりちゃん。


「な……なんで、ひより4年にもなって、アーソナの宣伝活動してるわけ」

「えー?だって、私、一応アーソナ部員だし」

「えっと、まあそうなんだけどさ」

「そんなことよりさ。聴いていかない? 定期演奏会」


 そわっ、とした。


「……いい」

「えー、なんで? 私もこのあと聴きに行くよ」

「連れもいるし……ね? あれっ」


 春樹くんの方を振り返るも、彼の姿はない。おのれ、逃げやがったな。


「まあ、用事がないのなら見に来なよ。もう、最後の学生生活なんだしさ」


 やらない後悔より、やる後悔ってか。


「……考えとく」


 ひよりちゃんに小さく手を振ると、あたしはその場を離れた。




 人混みを避け、ごみステーションの横で、手渡されたチラシに目を落とす。


『コール・アーソナ 定期演奏会 13:00~』


 チラシひとつでも、本当に大変だったのを思い出す。


 印刷部数で揉める。掲載情報に不備がないか、チェックをする。印刷後に先輩から文句が出たときには、発狂しそうになった。別にいいじゃんか、フォントサイズの0.5ポイントくらい。


「……『流浪の民』、歌うのか」


 5曲ほど並んだ中に、見覚えのある曲を見つける。


 あたしたちが、二年生の頃に歌った曲。――志歩が、ソロを務めた。



 時計を見る。13時まで、あと10分。


 ――最後に供養してやるか、あたしの気持ち。講堂のある、1号館を睨んだ。




 客としてコール・アーソナの演奏会を聴きに来たのは、当然ながら初めてだった。演出する側としてはあまりに大きく、眺めるだけで足がすくむような客席は、あっという間にいっぱいになる。


 中程の席に腰かけた。ベージュのダッフルコートを脱ぎ、膝の上に置いた頃には、もう開演2、3分前だった。




 ブザー音が鳴り、客席が静かになった。辺りが真っ暗になり、幕が開けると、淡い青緑色に照らされた舞台が浮かび上がる。

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