ep.16 the・モラトリアム


 食器を洗いながら、教授に言われたことを何度も反復していた。


 ――本当に、就職でいいのか。


 いいに決まっている。今更、何を言っているんだ。同じ学部の友人はほぼ全員、あたしと同じように学卒で就職をする。働かなければ食べていけないのは当たり前で、あたしだってかなり就活は頑張った。


「桜庭。手ぇ止まってる」

「うるせぇ、そっちこそ研究の進捗止まって……あ、すみません。ごめんなさい」


 やっば、飯倉Jr.怖い顔しとる。図星やん、絶対。いや、あたしの暴言か。


 ちょっぴり久しぶりのカフェバイト。髪の毛は相当暗めのアッシュに染め直した。


「……最終年度にどうにかするからいいんだよ」

「理系でそれってまずいんじゃないですか」

「うちのラボはユルい方だからな」

「そういう問題なんですか?」


 理系のクズ学生って、居るんだな。


「ひとつ、質問していいですか。飯倉さんって、別に研究とか好きじゃなさそうじゃないですか。それなのにどうして、院に進まれたんですか」

「……突然それ?」

「いや、よく考えてみれば不思議だなあって思って。理系なら院、文系なら学部って、まるでそれが当たり前のように」


 首をかしげて飯倉Jr.の顔をうかがう。


「……恥ずかしながら、まさにその通りだよ。それが、当たり前だったから。院に進まないと、就職さえ出来ないって聞いてたから」

「逆に、文系で院に行くと、結構就活で詰むって噂もあるんですよ」

「桜庭、院進するのか?」

「まさか」


 でもさ、四年間の間に、いろいろな変化って訪れると思うんですよ。理系に進んだって、自分が研究向きかどうかなんて、卒論準備が本格的になるまで気づかない。文系に進んだからって、研究もありじゃねって気づくことだってある。


 自分に何が向いているかなんて、始めてみないと分からないのに、始めた頃には大方運命決まってる。


 自分に何ができるか。


 自分は、周りにどのように貢献できるのか。


 自分は、何が好きなのか。


 ――そして、自分に無いものに憧れて、やっぱりダメだなって思いながらもだんだん楽しくなってきた、そんなタイミングで「いやいや、あんた、最初にこの道に進むって決めたやん」みたいな感じで思いっきり引き戻される。


 あたしの大学生活、大体それ。


「飯倉さんは、卒業後のビジョンとかってあります?」

「まあ、とりあえず研究室推薦で、そこそこ名のある企業で研究開発職に就けたらいいな、と。それで、クビになったり定年退職したりしたら、ここ継ぐわ」

「うわ、テキトー。そんなやわな意志でこの店継いだら、マスターさん泣きますよ」

「俺の親父だって、脱サラしてここオープンしたんだからな」


 でも、潰しがきくっていうのは、それはそれでな選択なのかも。


 そんなことをぼんやり考えていると、入り口のベルがカランコロン、と綺麗な音をたてた。


「いらっしゃいませ」


 最初に目に飛び込んできたのは、あたしや飯倉さんと同世代に見える、なかなか感じのよい男性だった。そして、その後ろに居たのは、どこかで見たことがある、色白で髪の長い美少女――


 誰だっけ?

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