ep.8 109のお手本


 渋谷で用事を一通り済ませ、重い荷物を両手に帰路につく。両腕にぶら下がる袋は何も自分のファッションに関するものだけではない。――じゃがいも、にんじん、玉ねぎに牛肉。カレーじゃなくて、シチューだよ。弟のリクエスト。彼はあたしの作ったシチューしか基本的には食べない。


 あたし、何気に家事スキル高いんだ。


 実家暮らしの20歳以上の女子ってだけで家事が出来ないとか独立していないとか、散々なイメージを持たれるけれど、中学生の頃から家事嫌いの母親の代わりに五人家族の食卓を守ってきたのみならず、掃除、洗濯etc. をこなしてきたあたしは、その辺の「基本外食」系一人暮らし女子学生よりはそっち方面の女子力は高めなんだと思う。


 「女子力」じゃなくて「主婦力」の間違いでは、というクレームは受け付けておりません。未婚だしね。


 いつもは重く感じる夕飯の買い物袋も、新しい服やメイク道具、そしてヘアカラーと一緒ならなんだか羽のように軽い。――というのは大袈裟だけど、家にたどり着くまでに出現する石段を五段ほど一気に飛び降りてしまうくらいにはテンション高め。


 そんなときに一人の少女に出会ったのだ。



「……お、有華ゆかちゃんじゃん。おひさ」


 あたしの口から飛び出したその名前。それを聞いた彼女はゆっくりとふりかえる。


 オレンジがかった明るい茶色に染めた長い髪。


 自然と剥がれ落ちそうなほどに重みを持ったつけまつげ。


 マットで濃い口紅。


 銀色(どんな生地使ってんだ? )のマイクロミニスカとそれを覆い隠さんばかりの、ちょっとバスローブっぽさあるコート。


「……」


 彼女はほんの少し怯えた目をすると、なにも言わずその場を逃げ出す。挨拶も返さないなんて無礼だと思った? 許してあげて、あたしが許してるんだから。いつものことだし。


 有華ちゃんは、小学生の頃に一緒にピアノ教室に通っていた女の子であたしの三つ下。つまりは崎田くんと同い年(彼が浪人・留年をしていなければ)。


 まだ幼かった頃、知らないおじさんに騙されてついていきそうになっていた彼女を助けてからというものの、ずっと仲良くしてきた。――あの頃は誰の言うことでも信じてしまう、つやつやの黒髪をした、素敵なピアノの音を鳴らすピュアで可愛らしい女の子だった、と思う。


 なんなら、今だってそんな子だって思っている。――どんな格好をしていたって、有華ちゃんは有華ちゃんだ、そんなの当たり前だ。


 だけどあたしが小学六年生でピアノ教室をやめてまもなく、彼女もピアノをやめた。二歳下の弟くんがピアノの圧倒的な才能を認められ始めた頃だっただろうか。それでもその頃はまだ、街中ですれ違ったときに軽く挨拶をしたり近況報告をしたりしていたと記憶している。


 彼女が不登校になったという噂を聞いたのは、あたしが高校に上がったばかりの頃。家にこもっているのか、全然見かけなくなったな、と思っていた。


「ねえ優里乃、気づいてる? あれ有華ちゃんよ、ピアノで仲良かった」


 ある日家の近所を母と歩いていたときに、すっかりギャルに成り果てた彼女の後ろ姿を指差しながら母が教えてくれたのだ。


 それからというもの、有華ちゃんに会ったときには声をかけるようにしているんだけれど、あの子すぐ逃げちゃうんだ。なにかあたしに対して後ろめたいことでもあるのかね。


 ――ところで渋谷109計画を実行したら、あたしも有華ちゃんみたいなイメージになるのだろうか。ふとそんなことを考えた。


 その日の風呂上がりのあたしを見た家族の反応といったら。


「だーいじょうぶ大丈夫、ちゃんとした行事の時には染め直すし」


 JD最後の年。就活も内定式も無事終えたんだから髪色を派手にすることくらい許してほしいよね、なんて思う。


「あんたには明るい色は似合わない」

「そうね、でも楽しいっ」

「髪の毛染めてる人って、モテないよ」

「いや、あたしがあたし自身のためにやってることなんだけど」

「やるべきことやってからそういう事は――」

「いや、ちゃんと大学の単位は全部回収してるし、就職だってお望み通り公務員に内定もらってるし、遊び金はバイトでちゃんと稼いでるし、他にやるべきことってなんかある?」


 今までめちゃくちゃ合理的かつ真面目に動いてきたからこそ言えること。――やることやってんだから、やりたいこと邪魔すんなよ、って。でも待てよ。


 バイト、髪染め禁止じゃん。詰んだ。


 後日渋谷109にて黒髪ウィッグを購入いたしました。

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