ep.6 小悪魔ガールのカフェデート


 こいつ、すげえお腹すかせてる。あたしはクリームパスタをまるで蕎麦か何かのようにかきこむ(?)崎田くんの様子を眺めていた。


「……おいしい?って訊くまでもないか」


 崎田くんは黙って頷く。朝ごはん食べ損ねたのかな。


「ごめんね、急に連れてきちゃって」

「……いえ、こちらこそご馳走になってしまって」


 礼儀正しくお礼を言うけれど、話すのはちょっとだけダルそう。心行くまでパスタに集中させてあげるとするか。


 バイト先のカフェで、デート(もどき)。アホか、と我ながら思う。ちらりとカウンターの方を伺うと、バイトリーダー氏がすっと視線を逸らすのがわかった。


 ここのパスタは美味しい。なんなら、コーヒーはもっと美味しい。デートにもってこい、あたしにとって一番のおすすめは、この店なのだ。――ただ、自分のバイト先だということだけが難点。


 パスタを平らげると、彼は少し残念そうな顔をしてフォークをおいた。足りなかったのね、可哀想に。


「……それで、先輩はどうしてあのキャンパスに」


 それなあ。訊くよなあ。訊かないわけないよなあ。訊くだろうと思って一応回答用意しておいたんだわ。


「うん、なんかね、一年生の時に取り損ねた授業で面白いのがあるって気づいてさ。一度、聴いておくだけ聴いておこうと思ったんだよね」

「何ですか?その講義って」

「社会心理学。まあ、いわゆる楽単」

「そんなのが有ったんですか……俺も取っておけば良かったかもです」


 社会心理学の存在を知らない、だと?一番有名な講義じゃないか。もしかしてこの子情弱?死ぬぞ。


「なんか俺、憐れまれてます?」

「友達、居ないの?居なさそう」

「余計なお世話です」

「かわいそ」

「……じゃあ」


 崎田くんが唐突に真剣な顔をする。ちょっとイジり過ぎちゃったかな、いくら後輩相手だからといって失礼すぎたかも。謝ろうと思って崎田くんの方を伺うと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。――え?



「俺と、友だちになってくださいよ」



 ――お?


「経済学部なんでしょ? 俺と一緒。履修の事とか就活の事とか相談に乗っていただきたいです」


 すげえ。「お前には利用価値があるからぜひとも俺の友だちになってくれ」って面と向かって言う奴初めて見た。


「私にとってのメリットは?」


 ナメられては困る。


「ああ……優里乃さん、『損だけはしたくない』タイプなんでしたっけ」

「……!」


 何こいつ。あたしの事、結構知ってる?――そもそも「優里乃さん」って。どうしてあたしの名前知ってるの?ってかなんで下の名前で呼ぶ?


「メリットねえ……無いですね」

「ふうん」

「……だけど俺、無駄に色々知っちゃってるんすよね」


 挑戦的な顔でこちらを伺ってくるのは、いったいどういう気持ちの裏返し?


「秋合宿、204号室。一女のフリ」

「そこまで言うならぼっちの相手してあげてもいいからさ」


 恥とか外聞とか、もう割とどうでも良かったりする。だけど彼、必死そうなんだもん。脅しをかけてくるなんてどうかしてる。居場所なんて要らない、彼はあの時確かにそう言ったけれど、それって本当?


「あたしの計画に付き合ってよ」

「計画?」

「そ。――『夢のキラキラキャンパスライフ計画』」

「優里乃さん。……バカなんですか」

「バカになる計画を立てているんですわ」


 崎田くんは顎に手を当て、考え込むそぶりをした。


「まあ、俺に迷惑がかからない範囲ならいいですけど」

「ゆーて大丈夫」

「本当ですか」


 疑るようにそう言って崎田くんはふふっと笑った。無駄にイケメン。


 食べ終えたパスタの皿を、バイトリーダー氏が下げていく。そろそろ店を出た方がいいだろうか。


「じゃ、そういうことで。――そういえばあたしの下の名前、どこで知ったの」


 さっき少し気になったことを問う。


「だって、四年生の皆さんが合宿で『優里乃、優里乃』って連呼してたじゃないですか。さっきの人もゆりちゃんって呼んでたし」

「なるほど」

「下の名前を先に覚えて、あとで部員名簿で名字を覚えたので、俺の頭の中では『優里乃さん』で辞書登録されちゃってるんです。――迷惑でしたか」

「いや、別に。ご自由にどうぞ」

「俺の名前は――」

「知ってる。崎田くん、でしょ」

「はい。崎田さきた 春樹はるきって言うんです。春夏秋冬の春に、樹木の樹」

「うん」

「俺の事も、どちらの名前で呼んでくれても大丈夫です」


 それは、下の名前で呼んでもOKってことなのだろう。――なんなら、そっち推奨みたいな。


 だけどさ。まあ、ちょっとバカにされ過ぎだよね、なんて思い始めている。そんなに思い通りにはならないもんだよ、いくら友だちだからって。


「うん、じゃあ崎田くんって呼ぶね。――あたしの中では『崎田くん』で辞書登録されてるから」



 一瞬、表情が強張ったように見えた。しかし彼はコンマ1秒で、笑顔を張り付ける。


「了解です、ご自由に」




 出席が必要な三限の授業があるという崎田くんを送り出し、あたしはカフェに戻った。


「どうも、お疲れさまでーす」

「お前、何考えてるんだ」


 おっと、バイトリーダー氏の叱責か?


「何がですかー?」

「……いや、別に」

「またまた。何か気になることがあるんなら言っちゃってくださいよっ」


 静かな雰囲気、おしゃれなカフェ。この店を大事にしているバイトリーダー氏的には、もしかしたら従業員が男を連れ込んでいるというシチュエーションに腹が立ったのかもしれない。


 なんて、鈍感ぶるつもりはない。


「さっき一緒にいた人……仲良いのか」

「仲良く見えます?」

「……いや」


 小さくそう言うと、俯いて再び食器を洗い始める。仲良く見えなかったんかい。あたしはカウンター席に座ってバイトリーダーの顔を真ん前から見つめる。


「なんなんだ」

「飯倉さんって、全くそういう『影』が見えないですよね」


 あたしよりひとつ上、23歳の彼。あたしは大学二年生でサークルを離れ、ここのバイトを始めた。それからずっと知り合いだが、女の人と付き合っているという話を聞いたことがない。いっつもこのカフェのカウンターに立っているイメージ。


「もしかして、そっち系の方……?」

「どっち系だよ」

「そっち系って言ったらそっち系ですよ」

「そんなこと言ったらそっちだって」

「あたしは、もう恋愛なんて懲り懲りですよー」


 フラれたはずの元カレに襲われそうになったんだよ? もう、そんなややこしいのは御免だよね。


「飯倉さんって理想高そうですよね」

「なんでそう思う」

「完璧主義っぽいし」

「桜庭は面食いっぽいな」

「やだー、分かります? イケメンは正義」

「これだから桜庭は」


 呆れたように首を振り、洗い物に戻る。


「これだから、何ですか?」


 あたしは首を傾げ、バイトリーダーの顔を覗きこんだ。


「なんだよ」

「これだから桜庭は、って言ったじゃないですか。――これだから、『どう』なんですか」


 あたしは、知っている。


「これだから……」


 飯倉バイトリーダーが考えていること、実は分かっている。


「これだから桜庭は、いつも迷走している……イメージ」

「飯倉さん、あたしの迷走シーンとか見てないでしょ」


 素直じゃねえな。


「……イメージだよ、イメージ。深い意味はない。もういいだろ」


 洗い物を終え、布巾で食器を拭く。


「飯倉さん、少ししゃがんでください」


 あたしはカウンターから身を乗り出して、彼の肩に手を置いた。


「えっ」

「パン屑、取れました」


 しゃがんだ隙に、猫っ毛ぎみの彼の前髪に触れた。パン屑がついていたなんて、嘘だ。ただ、ちょっとからかっただけ。


「……あ、どうも」


 飯倉バイトリーダーはあたしの目を見ずに答えた。


 本当は分かっている。――飯倉バイトリーダーはあたしの事を気にしている、そんなことくらい。

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