第1話

「お前の右目、真っ赤になったな。」

 じっと見つめてくるアオイに、ヒミは居たたまれなくなって足元を見た。幼い頃ならば互いの境が分からなくなるほどに目を合わせていられたというのに、居心地が悪い。恥ずかしいのとも違う、嫌悪とも違う。己の赤い瞳の、網膜のさらに奥にある何かを見られてしまうのではないかというバツの悪さだ。そしてこの赤い色を見たアオイが少しでも厭うような表情をしたら…そう思うとヒミは地面を睨むよりほかなかった。

「…赤って、なんか気持ち悪いよね。片方だし。」

「いや、気持ち悪くはない。お前の赤は、澄んだ赤だから…」


「…綺麗だよ。」


 耳慣れない優しい言葉に弾かれて顔を上げると、深い海が遠くで煌めいているようなアオイの瞳を見つけた。記憶よりも少し高いところに目線がある。なにか返さなければと思うのに、思い付いた言葉は照れくさくて、発することは出来ず、ただ見返すばかりだ。『アオイの方が綺麗』だと声になることなく何度も浮かんでは消えた。



「え、なんか良い雰囲気?私邪魔?」

 むず痒い気持ちを抱えながら成り行きを見守っていた凪が口を出した。

「とにかく知り合いなら良かった。ヒミの方が先輩だから、いろいろ教えてあげて ね。」

 穢れを祓うこと、身を守ること、この世のこと、あの世のこと、天の理、地の理、人の理、あらゆることを身につける必要がある。

 そしてアオイもヒミ同様に神里に住み始めた。


「…大変だったんだな。どうやって色々覚えた?教えてくれる人が居なかったんだろ?」

 周りからこれまでのヒミの話を聞いたアオイはただ素直に浮かんだ疑問を口にした。

「凪さんや、椿さんが親切にしてくれて。それから古い記録とか、宮司に話を聞いたり…。だけど肝心なところは口伝らしくて、わからないことも結構あるんだけどね。」

「そうか…。」

 長かったであろう月日を思うと、アオイは何も言えずただヒミを見つめたが、ふと思い出した人里のことを話し出した。

「あ、そういえばお前がいなくなってからすぐ、外の街から家族が引っ越してきて、俺たちより3歳下くらいの女の子がいてさ、多分あの子…もうすぐここに来ると思うんだよな。」

 ヒミとアオイと、翡翠のトキワは交代したばかりだ。残っているのは琥珀と紫水晶。

「…橙色?」

「いや、たぶん紫。」

「きっとそうだね。アオイの予感が外れたことはなかったから。」

「そうか?自分のことはけっこう外すけどな。」

 昔から、アオイが「晴れだ」と言えば晴れた。「大丈夫」と言えば大丈夫だった。二人ともが「祓い子になる」と言えばやはりこうしてそうなった。幼い頃にアオイが言った「ずっと一緒なんだろうなー」という言葉もきっと真実になるのだろう、ヒミはそう信じている。


 それから数ヶ月後、アオイの予想通りに菫色の瞳にふわふわと揺れる髪が愛らしい少女がやって来た。


「アオイ君!」

 小動物を思わせる少女は、アオイの姿を見つけるなり、茶色い髪をふわりと揺らしながら嬉しそうに駆け寄った。

「良かった!ちょっと怖かったんだけど、アオイ君がいるって聞いたから来れたの。」

 傍らにいたヒミやトキワには目もくれず、ただ再会の嬉しさを語る少女に、トキワはヒミをちらりと横目で見た。いつも通りの赤目だ。傍目には何の感情も読み取れない。あまり声を上げて笑わないヒミとは対称的に、この少女は屈託なくよく笑う。きっと今まで周りから愛されて大切に育てられてきたのだなとわかるほどに。

「やっぱり紫だったか。そうだと思ってたよ、ハナ。」

「アオイ君の言った通りだったね。きっとまたすぐ会うって。」

「ああ。この二人も祓い子だから、挨拶しろよ。」

 そう言われて初めて気がついたようにヒミとトキワに目を向け、微笑みを崩すことなく挨拶を交わした。

 それまでの紫の祓い子は、体格のいい筋肉質な男だったので、余計に可憐で華奢な印象を受ける。

「ハナ、これがヒミだ。」

「ヒミちゃん?よろしくね。」

「…よろしく。」

 にこりと微笑む顔は愛らしく、アメジストのような瞳は深く美しい。その上声は高く甘いのだ。

「ヒミちゃんの目ってかっこいいね。オッドアイっていうんだよね、漫画とかでよく見たなー。」

「…ありがとう。」

「ヒミちゃんの話はアオイ君から聞いてたから、初めてな気がしないの。よろしくお願いします。」

「こちらこそ。」

 アオイにとっては微笑ましく映る光景だが、トキワにとっては胸をざわつかせるだけのものだ。

 この二人、合うはずがない。

 浮かんだ感想を胸に押し込めて、トキワはきらきらと好奇心が溢れる少女に目をやった。

「トキワ君の目も緑色がすっごく綺麗!よろしくお願いします。」

「こちらこそよろしく。」


 それからハナはヒミに興味を持ったとみえて、よく話しかけるようになった。何が好きで、何が嫌いなのか、何に興味があって、何を思っているのか、同性ということもあって、ことあるごとに側に寄った。

 ある日、いつものようにハナはヒミに話しかけていた。

「私は、口伝はされていないから、わからないの。」

「え?どういうこと?ヒミちゃん教えてもらえなかったの?」

「前任に会ったことがないから…」

「なんで会えなかったの?病気か何か?」

「…私がここへ来る前に、居なくなったから。」

「居なくなった?なんで?」

「…わからないけど、消えちゃったの。探しても、見つからなかったんだって。」

「逃げたってこと…?」

「そうかもね。」

 ハナはただ、わからないことを知るために聞いている。悪気があるわけではないとわかっていても、ヒミにはモヤモヤしたものが溜まっていく。相手に苛つきをぶつけてしまう前に会話を終わらせようと立ち上がったが「ひどい人だったんだね。」と何気なく呟かれた一言に、ヒミは自分を貶められた気になった。会ったこともない、ヒミに全てを押し付けて居なくなった前任ではあるが、それでも目の前の何も知らない娘に言われるのは嫌だった。

「知らないくせに、そんなこと言わないで。」

 いつも感情を露にすることが殆ど無いヒミから少しだけ発現した怒りの色に、ハナは「ごめん」と謝るしかなかった。




「アオイくん、ここへはどうやって行くの?」

「アオイくんも一緒に行ってくれない?」

「これ、教えてアオイくん。」

 ヒミとの間に微妙な空気が流れるようになってから、ハナはこれまで以上にアオイの近くにいるようになった。


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