第33話

 翌日の夕方。


「そんな大変な事態になっていたとはね……。ともかく、君や美玲嬢が無事でよかった、修一」

「……ああ」


 ゆっくりと語りかけてくる淳平に向かい、俺は曖昧な声を返した。

 ここは堅山黎明高校敷地内の男子寮、俺の部屋だ。テレビからは、マイクを手にしたリポーターやキャスターたちの緊迫した声が流れている。


《試験運用中の対地攻撃用人工衛星が誤作動を起こし――》

《高橋財閥代表、高橋辰夫氏の姿は依然見られず――》

《周囲の関係者や政府は水面下で議論を――》


 皆一様にこわばった顔つきをしている。しかし、いやだからこそ、俺はテレビのを見ようとはしなかった。そんな顔をされても、こちらの気が滅入るだけだ。それに――それで葉子が生き返るわけでもない。


 案の定、俺は軽い脳震盪を起こしていただけで、怪我自体は大したことはなかった。

 流石に高校は一時的に休校となったわけだが、帰省するのに手間のかかる生徒たちは、まだ寮に残っている。淳平もその一人で、今朝から俺の部屋に入り浸っていた。

 本当はいろいろと俺から聞きたいのだろうが、それを表に出さず、飽くまで俺を気遣う姿勢でいてくれる淳平に、俺は感謝するしかなかった。


 そしてこの部屋にはもう一人、場違いな人物が神妙な面持ちで床に腰を下ろしていた。


「殴ってもらった方がよかったかもしれん。今回は本当に、すまないことをしたと思っている」

「誰に対してです、理事長?」

「……」


 そう、高橋辰夫理事長だ。今回の事態を、彼は思いの外しっかりと受け止めてくれたらしい。


「いい加減、飯でも食べに行ったらどうです? 正座も崩していいんですよ」

「いや……」


 何故彼が俺の部屋に転がり込む羽目になったのか。それは単純に、マスコミの目を避けるため。――だったのだが、財閥に無関係な人間のうち、一番迷惑を被った俺に謝罪したかったかららしい。


 俺は葉子の遺言通り、この堅山に生けるものたちに対して謝ってほしいと何度も言い聞かせた。しかし理事長は、『私は贖罪に値するだけの言葉を持ち合わせていない』とかなんとか言って、ほとんど口を閉ざしたまま。

 本当に殴ってやろうかとも思ったのだが、それで葉子が喜ぶはずもない。よって俺と淳平は、理事長がぽつりぽつり呟くのに適当に相槌を入れていた。


 葉子が青白い光を放ち、それがどうなったのかはよく分かっていない。人間の視覚や映像機器では捕捉できない現象だったのだろう、ということ以外は。

 確かなのは、カウントダウンが終了しても何も起こらなかったこと、そして、その後葉子はぴくりとも動かなくなってしまったということの二点。

 後藤先生いわく、『まだ死んではいない』とのことだったが、かといって手の施しようはなかったようだ。

 今は保健室を治療室として、怪我人の手当て大忙しだ。


「そう言えば、後藤先生が何者なのか、まだはっきりしないのかい?」

「え? あ、ああ」


 先ほど同様、俺は淳平に生返事を返す。

 淳平は『ふむ』と一つ唸って、俺のベッドに腰かけながら腕を組んだ。

 その時、俺のズボンのポケットに入れたスマホが鳴りだした。


「誰だ?」


 通信設備が復旧したのはありがたいが、このタイミングで一体誰が?

 しかし、俺の通話先にいたのは、まさに渦中の人物だった。


《荒木くん? 一之宮葉子さんの死亡が確認された。埋葬しに行くなら、今すぐにでも》


 奇跡など、起こらなかった。

 葉子は妖狐であり、動かなくなったからといってすぐに死亡と決めつけることはできなかった。だが、それでも生き物であることには変わりない。いずれ、死はやって来る。


「淳平、俺ちょっと出てくる」

「え? 急にどうし――あ、いや、何でもない」


 淳平には既に話したことだ。葉子が死んでしまうであろうことと、彼女をどこに埋葬すべきであるかということは。だから引き留めようとはしないのだろう。

 しかし、


「荒木くん、私も同伴させてもらえまいか」


 理事長が、すっと腰を上げた。今までずっと正座していたとは思えない機敏さだ。

 俺はむすっとした顔を作りながら、理事長と視線を合わせた。


「できたんですか? 『贖罪の言葉』とやらは」

「……私にも分からん。だが、このまま君の部屋に居座っているわけにもいかんだろう? 何か行動を起こさなければ」

「ほう?」


 俺は嫌味の色を滲ませながら語りかけた。


「あれだけの子会社を有する高橋財閥の長たるあなたが、『行動に出る』ことを今更躊躇っていたんですか? 起業しようと思えば、どんな分野だってできたんでしょう? この高校を創立することだって、朝飯前だったはず。どうして『何か行動を』なんて悩んでいるんです?」

「その辺にしておいたらどうかね、修一」


 淳平が口を挟んできた。

 彼の意図を察するのは容易だった。俺だってこれ以上、理事長を責め立てたところで何も得るものはないと分かっている。

 そして訪れたのは、沈黙。葉子の死という事実が、この部屋を冷凍庫に様変わりさせてしまったようだ。


 冷え切った部屋の空気を震わせたのは、理事長だった。


「私は恐れていたのかもしれない」


 俺は無言で目だけを上げる。


「私は先代から託されたこの財閥を守るのに必死だった。だがそれは、恐れていたためだ」

「恐れているって、何をです?」

「金だ」


 理事長は即答した。しかし、肩を落とし、がっくりと脱力しきった彼に、いつもの快活さは微塵もない。


「お金……」


 ぼんやりと呟く淳平。その言葉に、俺は体育館で戦った隊長――エリンの義父のことを思いだした。

 金があれば何だってできると、奴は言った。どんな力を行使することさえも。

 だが、それは間違いだ。彼よりよほど金の扱いに長けているであろう理事長でさえ、こんな罪を犯してしまうのだから。


「まあ、とにかく俺は校舎の保健室に行く」

「僕も同行していいかい?」


 尋ねてきた淳平に、俺は背を向けたまま『ああ』と一言。


「なら私も――あ、いや、しかし……」

「構いませんよ」


 俺は廊下に一歩踏み出しながら、理事長に言った。


「葉子はあなたの善意を信じていましたから」


         ※


 保健室はさながら野戦病院のようだった。怪我人は、主にフォックスハンターの面々だ。皆どこかに包帯を巻かれ、生気のない顔で壁沿いにへたり込んでいる。


「森田くん、鎮静剤二十ミリ。あとそっちの三番さんの包帯取り換えて。輸血用の血液は?」

「間に合いそうです。あと、鎮静剤に三番さんの包帯ですね……」


 森田先生は、完全に後藤先生の後方支援に回っていた。

 俺は開きっぱなしのスライドドアをノックし、『失礼します』と一言。アルコールの臭いがツンと鼻を突く。


「荒木くん? 来てくれたのね。じゃあ二人共、荒木くんたちに説明を」


 その指示に応えたのは、聞き慣れた二人の声だった。


「分かりました、後藤先生」

「了解、後藤副長」


 俺が一歩、保健室に踏み込むと、カーテンに仕切られたスペースからその二人が現れた。


「美玲、エリン……」


 自然と二人の名前が、俺の口から紡がれる。確かエリンは、美玲の部屋に居候していたはずだ。

 二人は肩を寄せ合うようにして、辛うじて立っていた。エリンが美玲の肩を抱くようにしているが、両人とも一人では歩くことさえ困難だろう。そのくらい、二人の身体はふらついていた。

 ゆっくりと目を上げたエリンは、軽く手招きをする。あのカーテンの向こうに、葉子がいるのだ。きっと、ひんやりと冷たくなって。


 俺は二歩目となる足を、保健室に踏み入れた。そのまま無言で保健室を横切り、カーテンの仕切りへと向かう。すると、ちょうど女子二人の前に行き当たった。


「お前ら二人は大丈夫か?」

「ええ。私はね。でも美玲は……」


 そう言いかけて、エリンは口を閉じた。


「どうした?」


 と俺が言い終える前に、エリンは自らの体重を俺に預けてきた。


「エリン……?」

「くっ……」


 エリンはそっと俺の両肩に手を載せた。俺には、いつか同じようなことをされた記憶がある。一つ違うのは、エリンが嗚咽を漏らしているということだ。

 そんな俺たちのそばから、美玲が駆け出す気配がした。


「パパ! パパ!!」


 美玲が叫んでいる。全身を声にして、全力で理事長の元へと駆けていく。

 そんな彼女を前にして、理事長は――。


「美玲」


 飾り気のない、しかしそれゆえに他者に安心をもたらす声音。


「パパぁ……!」


 美玲の声がくぐもっている。理事長の――父親の胸に抱きとめられたのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る