静かな夜明け

真夜猫

静かな夜明け

「よう、横穴屋」

扉を開けた先に立っていたのはがっしりした壮年の男。

雪が吹きすさぶ中、歩いてきたようだ。

その割にあまり疲れた様子を見せないのは、これまでの生きてきた経験値のおかげだろうか。

「久しぶりだな、四回目か」

扉を開けた女性は男の顔を見て一瞬驚くが、すぐに嬉しそうな顔で男を迎えた。

「久しぶりだねえ。ほら、入りな。部屋が冷えちまう」

部屋の中には薬草の束や液体の入った小瓶がところ狭しと並んでいる。

暖炉のパチパチという音がしてとても温かい。

男にとってこの部屋の景色は全てが懐かしく、長い旅路の緊張感が和らぐようだった。

男は勝手知ったる顔で暖炉の一番近くの椅子に座る。

「ちょっと待ってね。今ココア入れるから……いや、お前さんはコーヒーだったね。ちょうどこの間買っておいたんだよ。コーヒーで構わない?」

「ああ、頼んだ」

「はい、頼まれました。しかしお前さんも強運だねえ。今回で合計何回目の転移になるんだい?」

「もう数えるのはやめたよ。元々転移が好きな方じゃないんだ。酔うからな」

「でも前回からは50くらい飛んでるんだろ?」

「いや、もっと増えたよ。最近はどこの世界に行っても交通の便がいいんだ。ここくらいだよ。飛行機のあと2日も歩くのは」

「でも風情があるだろう?」

「吹雪で何も見えないじゃないか」

「そりゃあこの時期だから。お前さんが来る日はいつも吹雪だ。いつかここから見下ろす景色を見せたいね。はい、コーヒー」

女性が差し出すコーヒーを男はありがたく受け取る。

女性も自分のコーヒーをテーブルに置いて椅子に座る。

「こんなに転移ばっかりしてて一度も失敗してないのかい?」

「そうでもない。ほら」

男が見せた左手には小指がなかった。

「少しいかがわしい横穴屋で転移に入ったらこれだ。内臓に負荷もかかってるらしいし、もう転移にお金はケチらないことにした」

「それでもうちには来るんだ?」

「いろいろ言っても代償は足りなくなる。それに土産話だけで飛ばせてくれる横穴屋なんて滅多にいないし、もう三回飛んでるんだから腕がいいのはわかってる。いかがわしくたって、本当に看板のとおり親切丁寧安全の転移業なんだからな」

「そりゃどうも。んで、どう? 変な世界に行っちゃったりした?」

「あんまり話すようなところには行かなかったと思うが」

「どんな話でもいいよ。わたしゃこの世界から出たことがないんだから、どんな話でも珍しいさ」

「そうだなあ……そういえば街を歩く人が皆カエルを持ち歩いてる世界があったな」

「ほう、何のために?」

………………

…………

……


楽しい談笑は続き、夜が更けてきた。

転移は深夜に行われる。

「ところでさ、元の世界の噂は聞いたのかい?」

横穴屋の女性が神妙そうに聞く。

「さっぱりだな。転移を何度もやってるやつはほとんどいない。俺の世界では転移はおおっぴらにはしてないから俺の世界から来る奴もいないに等しい。俺の場合は例外だけどな」

男の元いた世界では転移や横穴屋のことは国家機密だった。

男は罪を犯し、転移という罰を受けた。

まだ転移について詳しくわかっておらず、転移者が訪れることもほぼ稀だったころ、ランダムに他の世界に飛ばされるなら世界が多ければ永久追放と同義だと解釈され、男はその世界を追われた。

しかし転移の仕組みや世界の数がわかっていないのは、今もほとんど変わらない。

「じゃあ……彼女のことも、」

「全く情報がない」

男には愛する人がいた。

男は彼女にもう一度会うため、何度も転移を繰り返している。

横穴屋は、少し躊躇いながら言った。

「……最初の転移から、もう何年になるんだい?」

「15年か。早いものだ。俺も、年をとった」

「そんなに彼女は待っててくれるのかね」

「は?」

男は意味がわからないという顔をする。

横穴屋はあきれたような顔をする。

「罪を犯して、絶対に帰ってこれないところに追放されて、15年も待ってる女がいるかい?」

「そんなこと……」

「普通の女は10年、いや、5年も待てない。さっさと忘れて次の男に行っちゃうよ」

「……」

「それに200回以上転移して、この世界に4回も来てるのに、なんで転移できないんだい? 世界がなくなることだってあるかもしれない。元の姿がわからないほど荒廃することだってないわけじゃない。そんな世界だって今まで散々見てきただろ?」

「……」

男は拳を握りしめる。

「だいたい、彼女の顔、15年経ってもわかるのかい?」

「……!」

思わず立ち上がる男。

驚いた横穴屋の顔を見て、申し訳なさげに座る。

「ごめんな。少し言い過ぎたよ」

「こっちこそ、悪い」

「なあ、諦めてここに住むって言うのはどうだい?」

「……え?」

「転移には危険がつきまとう。お前さんが200回も転移して生きてるのは奇跡みたいなもんだよ。この世界ならそんなに危険はないし、横穴屋の私だって、転移経験者が一緒に店にいてくれるのは心強い。ここの生活だって、そんなに悪いものじゃない」

「……」

「……どうだ、私と一緒に暮らさないか?」

「……」

「ここからの景色、見せたいんだよ」

「……」

しばしの沈黙ののち、男は戸惑いながらゆっくりと口を開く。

「……約束、したんだ」

「え?」

「もう一度、何があってももう一度、会うって、丘の上から町を見ようって、約束したんだ」

「……ほう」

男の心は、男の瞳は、あまりに真っ直ぐで、彼女には彼が少年のようにさえ見えた。


それが、無性に悔しい。


引き止めることなんて、できない。


自分が嫌いで、約束した女に嫉妬する自分が嫌いで、引き止めた自分が嫌いで、引き止めきれない自分が嫌い。

そんなことを知られたくない、そう思いつつも感情を表に出しかけた自分に嫌気が差す。


女は立ち上がった。

「……行くよ」

「……」

「次の世界、行くんだろ。準備しな。夜が明けちまうよ」

「……いいのか?」

「いいも何も、私の仕事は横穴屋だよ。親切丁寧安全の転移業さ。わかったらさっさと行っちまいな!」

「……すまん」

「気を落としてたら呑み込まれちまうよ! 次の世界で会うんだろう?」

「……ああ」

男が扉の奥に入る。

彼女が扉を閉めると、何度となく自分と相手とを隔ててきた扉の向こうが、見えないことに気づく。

彼女はレバーを握りしめ、腹から声を絞り出して言う。

「準備はいいかい?」

「……最後だな」

「あたしゃいつでも最後だよ! わかったらボタンを押して壁から手を離す!」

「ああ」

「じゃあ行くよ。3、2、1!」

レバーを思いっきり下げる。


「さよなら」

男が小さく呟いた一言は次元の狭間に消えていった。


「私だって、一人は寂しい」

扉に寄りかかった女の一言は吹雪の中の小屋のなかでは誰にも届くことはなかった。



夜が明ける。

吹雪はいつの間にか止み、女は小屋の外から昇る朝日を見た。

視界は真っ白で、果てしなく真っ白で、静かだった。

男は今どこにいるのだろう。

横穴屋は、楽しい時間を思い出しながら、悪いと思いながらもまた男が来る日を待つのだった。

次は晴れたら、と無意識に考える自分が、嫌いなまま。

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