電子世界を生きる(旧タイトル 死んだ後の世界で)

トカゲ

死んだ後の世界で

1 師匠と弟子

第1話 俺達の町

 この町は不便という言葉が良く似合う。


 まずデパートが1つしかない。高いビルだって5階建てがせいぜいだ。くすんだ色をしたビルの隙間から見えるドンヨリした灰色の空もどうかと思う。


 デパートから少し離れた場所にある喫茶店は俺のお気に入りの場所の1つだ。

 静かな店内に流れるジャズやマスターの淹れるコーヒーが好きだ。あと客が少ないのも良い。 


 俺は毎朝ここで1杯のコーヒーを飲んでから仕事に出るようにしている。

 席に着いた俺はテーブルに備え付けられた新聞を開きながらマスターに注文を伝えた。


 「コーヒーを頼む」

 「あいよ」


 不愛想なマスターが頷いてコーヒーを持ってきた。

  コトリ、と置かれたコーヒーには手を付けずに新聞に目を通していく。

 新聞を読み終わってからコーヒーを飲んだ俺は首を傾げた。


 「あぁ、成程な」


 もう1度新聞を見て納得する。

 どうやらコーヒーが冷めるのは今日から当たり前になったようだ。


 「温度変化が追加されたのか」


 昨日までは何時まで経っても冷めることがなかったコーヒーは今日から冷めるようになったらしい。


 「また1つ不便になった」


 不便になる事は喜ばしい事ではないはずなのに、気付いたら俺は自然と笑っていた。


・・・



 人格や記憶をコンピューターに保存する事で、死んだ後も電脳世界で生きる事が出来るようになってからどれ位の年月が過ぎただろうか。


 今では殆どの人が健康診断の時に記憶の保存をしていて、死んだらその記憶を持った自分が電脳世界で目を覚ますようになっている。


 ここまで言えば分かる人もいると思うが、俺は既に死んだ人間だ。

 もう死んで3年になる。最初は戸惑っていたが今はもう慣れたものだ。


 「コーヒーくらいは熱いままでも良いと思うけどな」


 電脳世界だから何でもありでも良いと思うのだが、残念ながら昨今はリアル志向の人が多いようだ。そのせいでこの世界は日に日に不便になっている。


 このコーヒーがいい例だ。何時でも熱いまま飲めるコーヒーは俺の密かな楽しみだったというのに。


 「不便が嫌ならば別の世界に行けば良いでしょうに」

 「マスターは冷たいなぁ。俺だって別に本気で言ってないよ」


 マスターのいう事はもっともだ。

 便利な世界だって多く存在するのだから、本当に嫌ならそっちに行けばいい。


 こんな5階建てのビルと小さなデパートしかない世界じゃなく、高層ビルや空飛ぶ車のある世界、コーヒーが冷めない世界に移る事は何時でも出来るのだから。


 でも俺はこの昭和とファンタジーが融合した世界が好きなんだから仕方がない。

 どんなに不便になったとしても、多分俺はここで生きていくのだろう。

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