第8話 月がきれいですねって言ってみたいですね。

◆ニブチンゆーさん。


①「明治の文豪は『愛しています』を『月が奇麗ですね』と訳したそうです」


 手垢のつきまくったトリビアを語るテレビに見入るマリママ。


②「わあ、見てゆーさん。月が奇麗だよ」

 「うん、奇麗だな」


 ベランダに出て美しい満月を見て夫に報告するマリママと、それをちらっと見て子供たちとのゲームに戻るゆーさん。


③「ねえ、ゆーさん。月が、月が奇麗なんだよっ」

 「? 確かに奇麗だな。で?」


  笑顔でムキになるマリママと、楽しいゲームの邪魔をされてイラっとした風なゆーさん。


④「月が奇麗なんだってばあ、もう~!」

 「だから月が奇麗でどうしたんだってば⁉ 言いたいことがあるならはっきり言えって」

 

 バカらしいケンカに発展し、あきれた風の二人の子供。



(本文)

 ゆーさんはニブチンというか、詩情を解さない人なんでロマンチックな言い回しがまったく通じません。


 告白されても、「好きです」ってストレートに言われないと告白されたって気づかないような衝撃のニブさです☆

 

 本人は全くモテなかったって言ってますけど、本当はモテたことに気づいてないだけじゃないかしら……なんて、妻は疑っております。


(コメント)

 また遠回しに自慢ですか?

 毎回毎回飽きませんね。こんな話して誰得なんですか。

 いい加減誰も読まないようなこんなブログ閉じてもらえませんか。不愉快です。




 昨晩更新したネタに対し、深夜に荒しは三行もコメントを寄越していた。どうやら逆鱗に触れるネタだったようだ。


 PCから目を上げ、ベランダをふと見やると手すりに三本脚のカラスが停まっていた。ぱちんと指を鳴らすとカラスは弾けて細かい紙吹雪になる。あとでベランダを掃除しなければ、やれやれ。


 三本脚のカラスに部屋を突き止められて数日になる。見つけ次第こうして駆除するようになったが繰り返し繰り返しやってきては部屋の中を監視する。こまったものである。どうやら子供たちの後をつけている様子でもあり、どうにも気味が悪い。

 紙の鳥を使役するのはこの地のローカル呪術の特徴らしい。こちらの呪術師に何か恨みを買うようなことをしたのかしら、私たち。商売敵って形にもなっちゃうし。



「マリは関係ないよ、俺が昔やらかしていたのが原因みたいだから」

「雄馬、起きたの? 寝てなくて大丈夫?」

 

 マリの心の声が聞こえたらしい雄馬は、昨晩帰ってきた格好のまま夫婦が寝室にしている和室の布団の上に突っ伏していた。

 

 昨晩遅くに帰ってきた雄馬は全くアルコールを口にしていないにもかかわらず体調が良く無いようだった。

 まったくもう遅くなるなら電話かメールでもしてちょうだい! というマーリエンヌの怒りも瞬時に収まるほど青い顔をして、寝間着に着替える間も惜しむように布団に倒れこむ。

 そのまま朝までピクリともせず一晩を過ごしたようだった(マーリエンヌは隣で眠った。一仕事の前の睡眠は大事なのだ)。


 朝、子供たちが余計な心配をしないように「パパはちょっと風邪をひいたみたい。静かにしてね。騒がしくしちゃ駄目よ、特におうちゃん!」とだけ話しておく。

「パパきょうお仕事休むの? おれが帰っても家にいる? じゃあ一緒にゲームしていい?」

「こら! パパは風邪でお休みだって言ったでしょ。ゲームはパパが元気になるまで禁止」

 

 じゃあじゃあ、パパが元気になったら一緒にゲームしてもいい? と朝食を食べるのも忘れて食い下がる。反対に日向子はじいっとこちらを見つめる。


「……パパ、風邪なのにくしゃみも咳もしてないよ? 本当に風邪?」

「えーと、おなかに来る風邪なのよ」

「前にもこんな風に朝からばたっと倒れて起きてこない日が何度かあったよね。ママ、その時も風邪だって言ってたけど。本当に風邪なの?」

「心配してくれてるのね、ありがとう。ひなちゃんは優しい子ね」

 

 ごまかされないぞと日向子の鋭い目が語っていたが、そろそろ時計は八時を指していた。もう家を出ないといけない時間だ。バタバタと子供たちはいつもと変わらずにぎやかに家を出た。

 子供たちの足跡が遠ざかった後、会社に電話をして今日は病欠する旨を伝える。

電話に出た佐藤美里は「ああ社長のいつもの発作ですね。了解しました。今日は特に大きな案件はありませんし、二人でなんとかなると思います。ではお大事に」とあっさり受け入れてくれた。


「ごまかすにしたって‶えーと″はないぞ。あれじゃ風邪じゃないってばらしてるようなもんだ」

 布団につっぷしたまま雄馬は朝の子供たちとのやりとりを指摘した。意識を失っている風でいてちゃんと聞いていたらしい。あらいけない、とマーリエンヌは舌を出す。

「ひなちゃんは賢いし、もう大きいから雄馬の体のことをちゃんと話そうかしら」

「……もうちょっと待っていてほしい」


 ごめん、ちょっと寝るわと言って雄馬は再び静かになった。

 マーリエンヌは朝の家事にとりかかる。




 とっくにクリアし終わったゲーム画面を映したテレビからマーリエンヌが出てきて異世界に引きずり込まれた。そしてなし崩しに勇者になった。

 勇者になってしばらくは気持ちが高揚し続けた。

 

 親や親戚、地域の人間から疎まれる原因になった赤い髪も、妙なものが視えたり風や雷を呼べる力も、異世界で冒険し魔王と呼ばれるバケモノを倒すものの徴だったからと聞かされて安心もした。もう二度とあんな肥溜めよりもクソな現実に帰るものかと決意した。


 マーリエンヌの世界を支配しようとした魔王はわりと早々に退治できた。しかし今度はその魔王の仲間が自分の故郷に現れたことを知る。あんな世界どうなってもいいと思っていた筈なのに、自分の住んでいた一帯が大きな炎の柱で焼き尽くされた様子を見せつけられては無視することもできなかった。勇者とかヒーローとか呼ばれる連中と共闘して、その魔王も退治した。


 帰る場所をなくしたこともあり、冒険と称していろんな世界を旅した。退治しても退治してもすぐに湧き出る魔王を追って退治する旅だった。

冒険を続けているうちに、自分と同じように異世界に引きずり込まれた境遇の子供たちに出会った。みんな勇者と呼ばれて魔王を退治する冒険を続けていた。目的が一緒だったから協力したこともある。馬の合うヤツ、合わないヤツ、色んな勇者がいたが今から思えばみんないい奴だったように思える。


 魔王を倒しているうちに、最初の高揚感は失われる。デカイ剣で命があるものを斬ることに対する脅えも次第に薄れる。助けてとすがった女の子の救出に間に合わず怪物に嬲られた後の死骸を見たこともある。もう二度とそんな失敗を繰り返すまいと決意すると、一緒に協力していた勇者の一人が焼かれて消し炭になる。

 お前らがいるから魔王が来たんだと助けた村人から石を投げつけられたのは一度や二度ではない。三度や四度でもなかったから次第に慣れて何も感じなくなる。

 魔王様がわれわれに幸せをお与えになったのにどうして退治してくれたのだとその時は全く理解できなかった責められ方をしたこともある。その時はまだ子供で、魔王は文字通り悪いバケモノの王だと思っていた。まさか魔王の殆どが元々は異世界からやってきてよりよい世界を作ろうという高邁な理想を抱いていた徳の高い人間のなれの果てだったとは考えもしなかった。魔王の掲げる理想は大抵現地の正義と相いれないもので、勇者とは魔力や知力で圧倒的に有利な魔王に抵抗するため現地の人間が自分たちの正義を守るためにちょっと気分のよくなる話と名声と富で担ぎだしたバカなガキのことだと気づくのに時間がかかりすぎた。どういう仕組みなのかいまだに不明だが、異世界からやってきたガキは大抵理屈を超えた妙な力を発揮するのだ(そしてそういうガキには大抵妙な特徴があるので見つけやすいのだ)。


 勇者は魔王への一里塚、と妙な戯れ歌を口にしていたのはあるもう名前も覚えていないある賢者だった。まだ勇者になりたててで冒険が楽しくて仕方ない時だった。だから意味など分かるわけがなかった。


 魔王は異世界から来ている、という事実を知ったときにこの戯れ歌の意味にに気づかなかったのは自分のバカさ故である。

 

 自分と同じころに勇者になったガキの殆どは、そのころにはほとんど死んでいたか、現地の権力者の土下座させ靴の裏をなめさせてから魔王を切り刻みに行くようなゲスになるか、何もかも放り捨てて山の中に隠遁するかに大別されていた。勇者と呼ばれたガキの進路はその三種類だけだと思い込んでいた。できればその三つは避けたいと思いながら幻覚と戯れていた。

 

 ある権力者に依頼されて退治した魔王は、まだルーキーだった。はっきり言って手ごたえがなかった。

 切り落としたばかりの首の、こめかみあたりからにょっきり生えた角を持ち上げてみた。

 それはよく知った顔だった。


 昔一緒に冒険したことがある、自分と同じように異世界から来た勇者の一人だった。こいつとはウマが合うなと思った一人だった。

 戦争で村や家族を失ったから、勇者になって弱い人を守りたい。将来は出来ればかつての故郷のような平和で安全で、誰にも脅かされない小さいけれど簡単に攻略されないような村を作りたいという夢を語っていたやつだ。小せえ夢だなあとバカにするとはにかんだように笑っていた、そいつだった。

 

 魔王の住んでいた塔から、金色の麦の畑が見えた。麦畑は一面に広がっていた。そいつが魔王になって作った理想郷だった。それを刈り取るもう村人はいない。自分に魔王討伐を頼んだ権力者の兵隊が殺しつくしたはずだ。


 誰にも簡単に攻略されない村を作るんじゃなかったのかよ、お前俺らの同期で一番頭がよかったじゃねえか、俺みたいなバカに簡単に攻略されるような村で満足してんじゃねえよ。バカかよ。


 勇者は魔王への一里塚、その意味をその時ようやく理解した。それくらいのバカである、自分は。


 

「……あら」

 うめき声が聞こえたのでマーリエンヌは和室を覗く。四つん這いになって何かをこらえている雄馬の背中から巨大な龍の翼が突き出ている。そのせいで作業着が破れていた。布団に立てた爪も人間のものではなくなり、こめかみからは水牛のような角が突き出ていた。

「あらあらあら」

 

 洗い物を中断し、エプロンで手をふいてからマーリエンヌは聖槍を出現させる。和室に入るとふすまを閉めて簡易の結界を張った。これじゃあもう完全に敷金は帰ってこないわね。


「ごめんね、雄馬」

 一言謝ってから聖槍を構えて、浄化の呪文を唱えた。神々しい光線が放たれて異形に変身しかけていた雄馬を焼く。獣のような咆哮を響かせて浄化の輝きに包まれた雄馬はもだえる。

 マーリエンヌは顔をそむけるが、ためらうことなく背中を踏みつけて背中から生えた翼を引きはがした。雄馬は激痛に呻く。

「痛くても我慢して、お願い!」

 翼を二枚ともむしり取り、今度は角をつかんで聖槍の刃先で角を根本から切り落とす。角を切るときは翼を引きはがすよりは痛くなかったらしい。


「……」

 マーリエンヌの聖魔法の余波で、寝室の中はぐちゃぐちゃに乱れた。

 雄馬の着ていた作業着も、布団も引き裂かれてめちゃくちゃである。買い替えは必須だ。

 それ以前にこの翼と角はどうしよう、燃えるゴミで出せるかしら?


 じゅううう……と体全体から湯気を立ち上らせた雄馬は次第に普段の姿に戻ってゆく。湯気が消えた頃、若干きまり悪そうにしながら雄馬はもそもそと起き上がった正座する。


「おはよう、雄馬」

「……おはよう」

 

発作が起きた後のお決まりのやり取りをしてから、文字通り憑き物が落ちたような雄馬はぺこりと頭を下げた。


「その、毎回毎回ありがとうございマス」

「どういたしまして。これが私の仕事ですもの」


 必ずこの世に産み落とされであろう魔王の復活の阻止、それが雄馬を勇者にしたマーリエンヌの贖罪である。


 自分が荒らした寝室の有様を見て、雄馬はきまり悪そうに頭をかいた。

「体調はよくなったんんで午後いっぱい使ってこの部屋を元通りにしておきます」

「そうしてくれると助かるわぁ。できれば子供たちが帰ってくるまでにお願いね」


「おなか空いたでしょ? お昼はなんにする? 冷凍のおうどんがあるからそれにしましょうか?」

「うどんか……。無理して出汁とろうとしなくていいからな、ちゃんと麺つゆか顆粒出汁使えよ。な?」

「大丈夫よお、プリンセスアストレイアさんの本に載ってた簡単で美味しいおだしの取り方を試してみるから」

「いやだから無理するなって」

 


 

 

 


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